新田次郎著『芙蓉の人』 は、明治の半ば、高層気象観測の実現のため、富士山頂で越冬観測を試みた野中到、千代子夫妻の情熱と苦闘を描いた名作である。
南極にも匹敵する厳しい寒さと栄養不足で、結局3か月足らずで断念せざるをえなかったが、二人の挑戦は日本の気象観測の発展に多大な影響を与えた。
そして昭和。1964年、“台風の砦”として期待された富士山レーダーが、野中夫妻が冬季観測を行った場所、剣ヶ峰に完成する。
建設の責任者は当時、気象庁の測器課長だった藤原寛人。
そう、『芙蓉の人』の著者、新田次郎その人である。
"芙蓉峰" とは、富士山の雅称である。また、芙蓉は中国では愛情のシンボルだという。つまり、この小説の題名の "芙蓉" とは、富士山であると同時に、献身的に身を挺して夫を支えた妻千代子さんのことでもあるのだ。
2001年秋、レーダードームが撤去された。測候所は無人化され、高層気象観測の拠点としての富士山測候所は、その歴史に幕を閉じた。
冬晴れの富士。
その上空を飛ぶたびに、明治に生きた二人の男女の壮絶なドラマが蘇えってくる。
南極にも匹敵する厳しい寒さと栄養不足で、結局3か月足らずで断念せざるをえなかったが、二人の挑戦は日本の気象観測の発展に多大な影響を与えた。
そして昭和。1964年、“台風の砦”として期待された富士山レーダーが、野中夫妻が冬季観測を行った場所、剣ヶ峰に完成する。
建設の責任者は当時、気象庁の測器課長だった藤原寛人。
そう、『芙蓉の人』の著者、新田次郎その人である。
"芙蓉峰" とは、富士山の雅称である。また、芙蓉は中国では愛情のシンボルだという。つまり、この小説の題名の "芙蓉" とは、富士山であると同時に、献身的に身を挺して夫を支えた妻千代子さんのことでもあるのだ。
2001年秋、レーダードームが撤去された。測候所は無人化され、高層気象観測の拠点としての富士山測候所は、その歴史に幕を閉じた。
冬晴れの富士。
その上空を飛ぶたびに、明治に生きた二人の男女の壮絶なドラマが蘇えってくる。