Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

琉球弧の島々を飛ぶ (28) - ヨナラ水道

2009-08-31 | 沖縄
「ヨナラ水道」は、西表島の野原崎と小浜島の細崎との間の海峡。
石垣島と西表島の間の石西礁湖の切れ目の一つである。
地元ではユナラドゥー(与那良渡)ともいう。
約2万年前の氷河期の河谷跡が、海面上昇によって海峡となった。
幅約500-750m、長さ約5km、水深は10-30m。
小浜水道と書いた記録もあり、航路や荒天時の避難所として重視されていた。

ヨナラ水道の一角、“マンタウエイ”と呼ばれるポイントには、毎年4月から5月にかけてマンタと呼ばれる巨大なオニイトマキエイが群れをなしてやってくる。体長6m、畳8畳分にも及ぶ巨大マンタが、ゆるやかにヒレを上下させて泳ぐさまを一目見ようとダイバーたちが集まる。

画面右は西表島の由布島。


琉球弧の島々を飛ぶ (27) - 小浜島・細崎(くばざき)

2009-08-30 | 沖縄
小浜島には二つの集落がある。
島の中心にある小浜村と
島の最西端で、西表島に向って細く突き出している、“細崎(くばざき)村”。
この2つの村は、歴史的に血縁関係はないという。
それというのも細崎は明治末期に漁業入植した糸満本土の海人(うみんちゅ)の村だからだ。
八重山でカツオ漁が盛んだったその昔、ここは餌の供給地となり、
また、13ものカツオ工場が立ち並んでいたという。
細崎は今も小浜島の漁業を支えている。


琉球弧の島々を飛ぶ (26) - 小浜島・石長田海岸

2009-08-29 | 沖縄
石長田(いしなーた)海岸は、アカヤ崎から南側に広がる海岸。
海水と淡水が混じる汽水域で育つマングローブの群生が見られる。
この群落には、ヤエヤマヒルギ、メヒルギ、ニッパヤシなど数十種類の亜熱帯植物が群生しており、「日本の重要湿地500」に選定されている。
干潮時の夜には、島タコ(小さいタコ)や蟹、貝などの海の恵みを獲りに島の人々の姿が見られる。

琉球弧の島々を飛ぶ (25) - 小浜島・アカヤ崎

2009-08-28 | 沖縄
小浜島北東部、「アカヤ崎」の手前に標高50mほどの高台(画面右)がある。「ちゅらさん展望台」といって、NHKドラマ『ちゅらさん』の主人公、恵里と文也が将来の結婚を約束したガジュマルの木「和也の木」を見ることができる。
展望台からは、北に碧い海、西に西表島、手前は、ヨナラ水道(通称マンタウェイ)、南に小浜島のマングローブ林を見渡すことができる。


雲上を飛ぶ (20)

2009-08-27 | その他
  
  
  いま私の願いごとが
  かなうならば翼がほしい
  この背中に鳥のように
  白い翼つけてください
  この大空に翼をひろげ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
  翼はためかせ
  行きたい

  いま富とか名誉ならば
  いらないけど翼がほしい
  子どものとき夢みたこと
  今も同じ夢に見ている
  この大空に翼をひろげ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
  翼はためかせ

  この大空に翼をひろげ
  飛んで行きたいよ
  悲しみのない自由な空へ
  翼はためかせ
  行きたい

  1771年『翼をください』赤い鳥(歌)、山上路夫(作詞)村井邦彦(作曲)


雲上を飛ぶ (19)

2009-08-26 | その他
今私は コバルトの風
Feeling in America, in America
ああ きらめく季節の中で
抱きしめるから It's America

今私は コバルトの風
Feeling in America, in America
ああ きらめく季節の中で
Feeling in America, It's America



1979年、日本航空のCMソングとして作られ、コーラスグループ“サーカス”のヒット曲となった。

雲上を飛ぶ (18)

2009-08-25 | その他
今私は コバルトの風
Feeling in America, in America
ああ きらめく季節の中で
抱きしめるから It's America
一人旅の 先々で
いつもあなたを 想っていた
そうよ 初めて気付いたの
あなたの胸は 愛のエアポート

琉球弧の島々を飛ぶ (24) - 小浜島・大岳(うふだけ)

2009-08-23 | 沖縄
映画『ナビィの恋』の主役やNHKドラマ『ちゅらさん』の“おばぁ”役でお馴染みとなった女優・平良とみは、沖縄返還30周年にあたる2002年、CD『ニライカナイ』をリリースした。

「美しい沖縄ことばを後世に伝えたい」という平良とみの思いにより、本人による6つのショートストーリーの語りに、ショーロ・クラブの心地よい音楽が絡むといった内容になっている(「ニライカナイ」とは遠い海の向こうにある神々、先祖たちの島のこで、そこから人々に数多くの恵みがもたらされるという伝承がある)。

「おばぁと一緒に海風に吹かれながら昔話をしよう」という語りかけから、ショートストーリーは始まる。

そして第二話「空を飛んだ山」は、

「海辺の浜から見える小浜島には、山があり緑も豊富。その隣には平べったい竹富島もみえる。小浜島には山があるのに、何故、竹富島には山がないのか。
昔は竹富島にも中岳という高い山があったが、その中岳に住んでいた人の行いがよくなかったため、中岳が竹富島から小浜島に飛んでいってしまった」という話。

そして、その山こそが、目の前の小浜島「大岳(うふだけ)」なのだ。

平良とみの、あるいはウチナーのおばぁならではの温かい語りと、ショーロ・クラブのアコースティックメロディーが聴く者の心に沁みいる。

琉球弧の島々を飛ぶ (23) - 小浜島

2009-08-22 | 沖縄
小浜島は、西表島と石垣島の中間に浮かぶ島。
2001年度のNHK朝の連続ドラマ『ちゅらさん』の舞台になり、一躍有名になった。中でも“シュガーロード”と呼ばれる道は、ドラマのロケ地にもなり、小浜島の一大観光名所となった。
島の中央には、島のシンボルである海抜99mの大岳(うふだき)が聳え立っている。

古来から、米作りが可能だったため、八重山地方の中でも豊かな農業伝統をもつ。現在はサトウキビと米が主に栽培されている。

島民の自主的な取り組みによって観光振興を実践してきた、お隣の竹富島とは対照的に、小浜島は、本土資本を導入して約30年前にリゾート開発が行なわれた。

島の面積の5分の1を、ヤマハリゾート(2007年に三井不動産リゾートへ事業譲渡)が開発したリゾート施設「はいむるぶし(南群星の意)」が占める。

琉球弧の島々を飛ぶ (22) - 竹富島・西桟橋

2009-08-21 | 沖縄
竹富島の西海岸に突き出た一本の小さな桟橋。
真っ赤な夕日をのんびり眺めようと多くの人が桟橋に集まってくる。 夕日を眺める島一番のスポットだ。

竹富島「西桟橋」は、全長約10.5m、幅約2m、1938(昭和13)年の石造り。
住民の交通拠点として71年ごろまで使用された。先端には荷置き場、荷揚げ場があり、荷物の運搬・搬入や漁獲の水揚げなどに利用されていた。
2005年には、黒島の伊古桟橋と共に、国の登録有形文化財に指定された。


西桟橋は、17世紀から明治末期までの約300年間、人頭税に苦しめられた島民が、田を求めてこの桟橋から西表島に、耕作の出稼ぎに出かけたという。松をくり抜いた粗末な小さな船や帆舟で、危険な海路を往復したという。出稼ぎは日帰りなど不可能なため、出稼ぎ中は風土病の少ない西表島の由布島に、田小屋を建てて寝泊まりしたのであった。

琉球弧の島々を飛ぶ (21) - 竹富島

2009-08-20 | 沖縄
石垣島の南南西6km、石垣港の離島桟橋から高速船でわずか10分の竹富島。
地元では『タキドゥン』と発音される。
赤瓦屋根の家々、サンゴの石垣、白砂の道、屋根の上のシーサー、原色の花々が咲き、美しい沖縄の原風景が残る」島である。

本土復帰後の沖縄に押し寄せてきたリゾート開発の波を察知し、自分たちの島を守るべく、人口250人余りの小さな竹富島の人々が、不自由を覚悟で昔ながらのまち並を残すと決意したのが1986年。
「竹富島憲章」を制定した。

憲章で明示されている「保全優先の基本理念」の5項目は、
1「売らない」 2「壊さない」 3「汚さない」 4「乱さない」 5「生かす」。

竹富島の「憲章」は、理念が明確だったため、島外企業の侵入を阻止し
当時、年間9万人程度だった観光客が40万人を越え、人口は340人まで増えた。
懸命に守ってきたその昔ながらの集落形態は、国の「町並み保存地区」の指定を受け、今では全国でも有数の観光地となっている。


しかし、今、再び、竹富島では、2010年に開業を目指す13ヘクタール規模のリゾート開発問題が持ち上がっている。


琉球弧の島々を飛ぶ (20) - 八重山を結ぶ高速船

2009-08-19 | 沖縄
石垣島を中心として、西表島・竹富島など珊瑚礁に囲まれた島々と、絶海に浮かぶ日本の最西端の与那国島、有人島で最南端の波照間島を含めた諸島群の総称を「八重山諸島」という。

八重山の交通の中心地となるのが、石垣島の「石垣港離島桟橋」であり、船便が八重山諸島の島々を結ぶ。

竹富航路や黒島、小浜島航路などは30分おきに高速船が運行する。
生活航路としても重要な各航路を、フェリーや高速船が頻繫に出入港する様は、さながら都会の路線バスのようでもある。


琉球弧の島々を飛ぶ (19) - 白保(しらほ)

2009-08-18 | 沖縄
母の故郷の沖縄を訪れた12歳の少女は、夏を石垣島で過ごすことになった。
固く閉ざされていた彼女の心は、島の子供たちとの触れ合いや、白保のサンゴ、美しい島の風景によって次第に開かれていく。

椎名誠監督、映画「うみ・そら・さんごのいいつたえ」は、私に、石垣島の素晴らしさを存分に伝えてくれた。そして、この映画の撮影を担当した水中カメラマンの中村征夫氏は、写真集『白保 SHIRAHO』で、危機にさらされているこの海の美しさと重要性を教えてくれた。

屋久島、種子島に始まり、トカラ、奄美、沖縄、そして八重山と台湾まで、南北に約1,300kmにわたって続く琉球弧の島々には、造礁サンゴ、つまりサンゴ礁を造るサンゴが生育しており、造礁サンゴが生育する世界の北限となっている。

そして、ここにはオーストラリア北東部に見られる2,000kmに及ぶグレート・バリア・リーフに匹敵するといわれるほど多様なサンゴが息づいているのだ。

しかし、沖縄が日本に返還された後、各地では、環境をかえりみない、さまざまな開発行為により、サンゴ礁が破壊され、失われてきた。また、サンゴを食べるオニヒトデの大発生、温暖化によるサンゴの白化現象が、そこに追い討ちをかけ、壊滅的な打撃を与える大きな要因になった。

そんな中で、きわめて良好なサンゴ礁の環境を保ちつづけてきた数少ない海の一つが、石垣島「白保の海」なのだ。
石垣島の東海岸に位置する、南北10kmほどのこの白保のサンゴ礁は、サンゴはもちろん、さまざまな生きものたちの生息場所でもあり、とりわけ、「アオサンゴ」の大群落は、世界でも最大級といわれている。

グレート・バリア・リーフのように、海岸から数十キロも沖合に形成されるサンゴ礁とは異なり、白保のサンゴ礁は、海岸の目の前に広がるサンゴ礁であり、誰もが足を運び、その恵みを享受できる。そんな身近さこそが、白保の海の特長なのである。

「命継ぎの海」とも呼ばれるこの白保の海は、今も人間に、さまざまな恵みをもたらしてくれている。

琉球弧の島々を飛ぶ (18) - 石垣島

2009-08-17 | 沖縄
石垣島は沖縄本島から南西に450km、大小10数島の島々からからなる八重山諸島の主島で、政治・経済・交通など全ての面で八重山の中心となる島。
周囲約90kmの海岸線は珊瑚礁に囲まれ、河口に広がるマングローブや自生するヤエヤマヤシの群落も見られ亜熱帯の緑濃い自然が残っている。

石垣空港へのアプローチコースでは、石垣島北部から大平洋側のサンゴ礁と山に沿ってしばらく南下する。写真は、石垣島北部、伊原間にある船越漁港沖。

伊原間半島の付け根にあるこの地域は、東西の海岸の距離が200mほどしかない。
その昔、漁師たちは半島をぐるりと一周するには時間も労力もかかるため、サバニ(舟)をかついで往来していたという。「船越(フナクヤ)」の名前の由来である。

“うみ・そら・さんご”が織りなす自然は変化に富んでおり、他では味わえない景観を眺めることができる。