Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

「火の国」熊本のシンボル - 阿蘇山

2008-12-30 | 九州
阿蘇山とは阿蘇火山のことで、大カルデラの外輪山と阿蘇五岳(根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳)と呼ばれる中央火口丘でできている。9万年前の巨大カルデラ噴火による噴出物は600km³(ほぼ富士山の山体全部の大きさ)以上に達し、火砕流は九州の半分を覆ったと推定されている。特に厚く堆積した地域では火砕流台地となって残っている。この台地は九州中央部に広く分布し、緩やかに波打つ平原を形作っている。深田久弥は、著書「日本百名山」の中で、「私がさらに驚いたのは、そのカルデラよりも、環をなした外輪山の外側に拡がる裾野の大きさであった。それは九重や祖母の下まで来ていた。」というほど壮大なスケールが伺える。

凹の自然美 - 阿蘇谷

2008-12-29 | 九州
カルデラの壁が阿蘇外輪山であり、中央火口丘と北外輪の間に広がる一帯を「阿蘇谷」、中央火口丘と南外輪の間のカルデラを「南郷谷」という。阿蘇谷には黒川という清流が流れ、この川をはさんで外輪山麓や阿蘇山麓に点々と集落が形成されている。平地は田畑としてひらかれ阿蘇平野と呼ばれる。阿蘇谷には、熊本と大分を結ぶJR豊肥本線が通り、その立野駅から分岐する第三セクター・南阿蘇鉄道が南郷谷を走っている。阿蘇の本質は、阿蘇山ではなくて、阿蘇カルデラである。


カルデラのスペクタクル - 阿蘇外輪山

2008-12-28 | 九州
九州中央部に位置する阿蘇火山は、周囲128km、南北の内径25km、東西の内径18kmの広大なカルデラと、その中央に東西にわたって聳える十数個の峰峰からなる美しい火山である。広大なカルデラは今から約30万年前~9万年前の巨大噴火によって形成されたもので、カルデラが出来た後、その中央に中岳、高岳などの中央火口丘が噴火活動によって作られた。搭乗機は、早朝の朝陽に照らされた、その日本離れした壮大なカルデラ地形を跨ぐように飛行して行く。

「深山霧島」の咲き乱れる山 - 九重連山

2008-12-27 | 九州
九重(くじゅう)連山は、大分県玖珠郡九重町から竹田市北部にかけて広がる火山群の総称である。最高峰は九州本土最高峰でもある中岳 (1,791m) 。久住山や大船山、三俣山など1,700m級の山々が連なる比較的新しい火山で、約15万年前から活動を始めた安山岩を主体とする火山群である。一帯は阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。"坊がつる"は、九重連山に囲まれた、標高1300m前後の小盆地で、草原や貴重な湿原などが広がり、ラムサールの登録湿地でもある。芹洋子が歌いヒットした『坊がつる讃歌』に詠われたミヤマキリシマは、初夏に大船山や平治岳の斜面をピンク色に染める。

「豊後富士」 - 由布岳

2008-12-26 | 九州
温泉湧出量日本一といわれる湯の街、別府温泉の奥座敷、湯布院温泉は、HNK朝の連続ドラマ"風のはるか"の放送で一躍全国的に知られることとなった。大分県湯布院町と、別府市の中間に位置する由布岳(1583,5m)は、由布院盆地の東に聳え立つ鐘状火山。その姿の端麗なことから「豊後富士」の名で親しまれ、もっと古い時代には、九州随一の名山筑紫富士とも称された。古くから「豊後風土記」や「万葉集」などにも登場して、神の山として、多くの伝説や物語を秘めた名峰である。山頂部は東峰、西峰の特異な双耳峰と、トロイデ型の山容はひときわ威容を誇っている。

泉州沖に浮かぶ巨大海上空港 - 関空(かんくう)

2008-12-25 | 近畿
関西国際空港は、大阪国際空港(伊丹)に係る騒音等環境問題などを背景に、海上五キロ、陸上ルートを飛行しない、周辺地域の整備を一体としてやっていくという3条件の下、大阪府泉州沖を埋め立てて建設された海上空港で、国内では成田に次ぐ国際拠点空港として国や民間、自治体が出資し、1994年に開港した。日本では初めてとなる離発着制限のない24時間空港で、滑走路は3,500mと、2007年8月に供用開始の2期島の4,000mの計2本がある。しかし、伊丹、関西、神戸の三空港併存時代を迎えた現在、航空行政や役割分担のあり方について様々な議論が行われている。

「茅渟の海(ちぬのうみ)」 - 大阪湾

2008-12-24 | 近畿
搭乗機は、冬の柔らかな陽射しで輝く大阪湾上空を旋回する。黒鯛の宝庫であったことから、古名を「茅渟の海(ちぬのうみ)」というらしい。現在、その空域はというと、南北約28キロメートル、東西約56キロメートルの空間で、ジェット旅客機は3分から6分で通過してしまう。 しかも、六甲と生駒葛城,紀伊の山々が三方を取り囲んでおり、航空機の出入り経路はきわめて狭い。そこを伊丹、関西、神戸の各空港、八尾空港を入れると4空港を離発着する航空機が交錯して飛んでいる。ピーク時には1時間最大の60本もの飛行機が狭い大阪湾上空を飛び交うことになる、いわば「空の過密地帯」なのだ。


「イヤニチ」と恐れられた海 - 明石海峡

2008-12-23 | 近畿
明石海峡は、瀬戸内海東端に位置する淡路島と兵庫県明石市の間にある海峡。船で西から古代の中心地、大和を目指してくると入り口に当たるため、古くは明石大門と呼ばれていた。 満ち潮の時、 その独特の海底地形から「イヤニチ」と呼ばれる三角波と西への潮が生じる。古来より海難事故が多発する難所であった。 「イヤな満ち潮」から「イヤニチ」と呼ばれるようになったとか。 半面、 イヤニチは浅い漁場をつくり、栄養源と酸素を供給し、いわば天然の生簀を造り出し、明石に素晴らしい海の幸をもたらしている。現在は、世界最長の明石海峡大橋が架けられている。1995年1月17日、淡路島北東約3kmの明石海峡を震源として発生した、阪神淡路大震災も忘れることができない。

国造り伝説の舞台 - 沼島(ぬしま)

2008-12-22 | 近畿
淡路島の南方4.6km、紀伊水道に浮かぶ周囲約10kmの勾玉形の小さな島が沼島である。『古事記』『日本書紀』の神代巻、いわゆる“記紀神話”によれば、天つ神が、イザナギの命、イザナミの命の二神に神聖な沼矛(ぬぼこ)を授け、国造りを命じた。この二神は、まず、天の浮橋に立って、授かった矛で、混沌とした世界をかき回した。潮をゴロゴロと鳴らし、引き上げた矛の先から落ちた雫が固まって島となった。これが、オノコロ島である。その舞台=オノコロ島が、沼島とされている。


京阪神の食糧基地 - 淡路島

2008-12-21 | 近畿
淡路島は、瀬戸内海の東部に位置し、本州とは明石海峡、四国とは鳴門海峡を隔て相対し、 瀬戸内海最大の島である。温暖な気候であるが、少雨で、水源となる高い山がないため、ため池が多いのが特徴。その数は約25,000個あるといわれている。三原平野を中心とした南部(洲本市、南あわじ市)では、酪農及び三毛作(水稲+レタス+たまねぎ等)が行われており、京阪神の食糧基地として、全国に「農業王国」の名声を博している。 また、平安時代には、淡路島は「御食国」と言われ、神や天皇に食べ物を献上していたとされている。

うずしお巻く道 - 鳴門海峡

2008-12-20 | 四国
鳴門海峡は、淡路島と四国(徳島県鳴門市の大毛島)の間にある約1340mの海峡。四国側には、小鳴門海峡を挟み、大毛島、島田島などがある。この海峡は、瀬戸内海と紀伊水道の間にあることから、両者の潮の干満によって鳴門海峡に約1.3mの落差が出来るために大小たくさんの渦が出来ることで有名である。約6時間おきに大きく変化する。この鳴門海峡を跨ぐのが大鳴門橋で、淡路島と四国を結ぶ全長1629m、主塔の高さ144mの橋。1985年(昭和60年)6月8日に開通した。

源平古戦場 - 高松・屋島

2008-12-19 | 四国
屋島は、香川県高松市北東部にある瀬戸内海に突きだした巨大なテーブル状の溶岩台地。今は地続きに近いが、昔、屋島はその名の通りの特徴的な屋根の形をした島であった。寿永3年(1184年)一の谷の戦いに破れた平宗盛らが安徳天皇を奉じて根拠地としており、翌1185年、平氏の滅亡を決定的にした「屋島の戦い」の古戦場としても知られる。この戦いで源氏方の武者那須与一が、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした故事は特に有名である。画面左は高松港、右上は瀬戸内海に浮かぶ小豆島(しょうどしま)。

「讃岐うどん」の発祥地 - 坂出(さかいで)市

2008-12-18 | 四国
映画「UDON」も公開され、讃岐うどんブームに拍車がかかっている。香川県は、「ため池」が多いことでも知られるが、降水量が少ないため、生産しにくい米に代わって小麦から作ることのできる「うどん文化」が発展してきた。うどんは小麦粉、塩、水で作られるが、その1つ、「塩」が盛んに作られていたことも、この地でうどんが発達した理由といえる。沿岸部にはかつて塩田も広がっていた。一説によると弘法大師が中国からうどん技術を広めたともいわれる。坂出市は、瀬戸内海に面し、瀬戸大橋の四国側玄関口に当たる。

「空海」生誕の地 - 善通寺市

2008-12-16 | 四国
善通寺市は、香川県の北西部に位置する。空海の生誕地として四国八十八箇所が多く点在し、明治から帝国陸軍の師団が置かれていた軍都でもあり、今でも陸上自衛隊の駐屯地が配置されており古い歴史を持つ都市である。中央部の象頭山は火山台地で、南部に金毘羅さんのある琴平山524m、北部に大麻山616mがあり、琴平、善通寺側からみると象の頭に似ている。金刀比羅宮は古来より海の神様、五穀豊穰・大漁祈願・商売繁盛などの神様として、全国に「讃岐の金毘羅さん」として知られ、信仰をあつめてきた.



別子銅山で栄えた「工都」- 新居浜市

2008-12-14 | 四国
新居浜市(にいはまし)は、四国の中北部、愛媛県の東予地方に位置する。北は瀬戸内海の最奥の燧灘に面する。平野部は、東西から百数十メートルの丘陵地である郷山、金子山が突き出すように広がっているため、市街地は「工」の字型に形成されている。江戸時代に開坑された別子銅山で繁栄の足がかりを築き、その後非鉄金属・産業機械・化学工業など住友グループとその協力企業群により発展を遂げた企業城下町として有名である。1973年には鉱山が休山されたが、市内には貴重な別子銅山の産業遺産が数多く残されている。