Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

インドネシア・ジャワ島を横断する - (9)

2012-10-28 | 海外


ジャワ島東部の中心地であるスラバヤ上空を通過したころ、機窓には見事な“クレーター”が飛び込んできた。
ブロモ山(Gunung Bromo-2,329m)である。

ブロモ山は、マランの北東約30kmに位置する火山で、テンガー山脈(テンガー・カルデラの一部を構成し、ブロモ・テンガー・スムル国立公園(Bromo Tengger Semeru National Park)内に位置する。


その南方に聳える円錐形の火山はジャワ島最高峰のスメル山(Gunung Semeru-3676m)である。




過去の大噴火により火口付近が陥没してカルデラ地形となり、外輪山の直径は7.5km、その火口原にバトゥッ山とブロモ山が聳えている。

外輪山に囲まれたカルデラの中は砂漠のように砂で覆われており「砂の海」と呼ばれている。
テンガ-の砂地、“砂の海”は、標高2000メートルの地に海と砂地が広がる珍しい場所で、1919年、インドネシアでは唯一の保護地区とされてた。カルデラ周辺にはワタンガン山(2,661m)、クルシ山(2,581m)、スメル山などの山がある。


この壮大な景色は「神々の庭」と称され,インドネシアで最も素晴らしく感動的な風景の一つとされている。
















インドネシア・ジャワ島を横断する - (8)

2012-10-21 | 海外


2010年10月26日。

メラピ山は再び噴火を起こし、火砕流が発生。


11月4日、5日の大噴火では、噴煙が上空10キロまで舞い上がり、ジョグジャカルタの空港は閉鎖となり、空の便にも大きな影響を及ぼした。

爆発が大規模だったため、火砕流による死傷者が増えた。
一時約35万人が避難。
犠牲者は320人を超える被害となった。



山の南方にあるジョクジャカルタ王宮の先代スルタン、ハメンクブオノ9世から「山の番人」に任じられ山腹に暮らしてきた長老マリジャン氏宅で、16人の遺体が発見された。
マリジャン氏の死亡も確認された。

マリジャン氏は前回2006年の噴火の際、政府の避難命令に応じず、山の「怒り」を静める祈りをささげ続けて一躍有名になった。

その亡骸は、ひれ伏して祈りをささげた姿のままだったという。


政府は25日、警戒レベルを最高の「危険」に引き上げ、周辺住民に避難命令を出していた。




ムラピ山は再び眠りについたかのように現在噴火は収まっている。
それでも世界遺産ボロブドゥール遺跡では降り積もった火山灰がいまだに確認できる。












インドネシア・ジャワ島を横断する - (7)

2012-10-20 | 海外


2010年11月5日、インドネシアの首都ジャカルタにあるスカルノ・ハッタ国際空港へ乗り入れている10社以上の国際便36便が運航停止となった。

10月26日、同空港から約450km離れたジャワ島中部のメラピ山が10月26日からまたもや大規模な噴火を始めたためだ。
シンガポール、マレーシア、キャセイ、エミレーツなどの定期便が運航を停止する一方、6日午前11時57分に成田空港を出発したジャカルタ行きの日本航空JL725便(B777-300、乗員乗客86人)は、同日午後10時、成田に引き返した。

メラピ山の最寄りのジョクジャカルタの空港は6日、終日閉鎖した。










インドネシア・ジャワ島を横断する - (6)

2012-10-13 | 海外


2006年、あのスマトラ沖大地震とともに、ジャワ島中部のメラピ山(Gunung Merapi・2968m)が噴火し大規模火砕流発生が発生したことは、記憶に新しい。

メラピ山の裾野には、プランバナン寺院とボルブドゥールという有名な世界遺産がある。
この2つの遺跡は発見されるまで長い間、このメラピ山が噴出した火山灰に埋もれ森林に深く覆われていたのだ。



2006年、噴火したジャワ島のメラピ山の火山活動がピークに達しつつあったとき、何千人もの近隣の住民が安全なふもとの仮設キャンプに避難を余儀なくされた。

だが、山頂からわずか4.5キロの山腹にあるキナレジョ村の村人たちは、80歳代の古老が指示を出すまで避難しないと言うのだ。

その古老とは、メラピ山の山守り、ムバ・マリジャンであった。

彼は、メラピ山の精霊と住民の意思疎通を図る「守護者」とされてきた人物。
メラピの山頂に住むといわれる“荒ぶる鬼神”を鎮めるために儀式をとり行うのが、マリジャンの仕事である。
マリジャンは言う、「私のできることは、もしメラピが噴火したら、溶岩が人びとを危険にさらさないように全能の神にお祈りすることだけだ」。

だが今回は、その祈りも効き目がなかった。
溶岩ドームが崩壊。マリジャンの村とは別の側、山腹の西側を、真っ赤に燃えるマグマが雪崩のように流れ落ちた。

1カ月後、溶岩ドームが再び崩れた。今度は火口の南側で、二人の救援隊員が2メートルも降り積もった火山灰の下敷きになって死亡した。だが好運にも(それとも火山の神の恵みなのか)マリジャンの村は無事だった。

マリジャンに言わせれば、噴火は脅威というより、成長の原動力だ。
「メラピの王国は広がっている」と彼は山頂を見上げて言う。


インドネシアでは、火山は人々の生活の一部であるだけでなく、生活の支えでもある。降り積もった火山灰で、ジャワ島の地味は肥え、1年に3回もコメを収穫できる。火山が一つしかない隣の島、ボルネオではそうはいかない。








インドネシア・ジャワ島を横断する - (5)

2012-10-07 | 海外


1500年以降に世界で発生した死者1,000人以上の噴火災害の回数は、インドネシアが13回と際立って多く、全世界の火山災害による死者数の実に60%を占めている。
次いでフィリピン・日本・イタリア・西インド諸島が各3回、コロンビア・パプアニューギニアが各2回と続く。これらはすべて爆発的噴火を行う沈み込みプレート境界にあり、イタリア以外は環太平洋火山帯の国々である。

有史以来最大の噴火は,1815年のインドネシア・タンボラ火山の巨大噴火で、直接の死者は1.2万人であった。多量の降灰により農作物が壊滅したため、8万人の餓死者が出た。

記憶に新しいところでは、2010年11月のジャワ島・メラピ山の噴火がある。
メラピ山は、古都ジョグジャカルタのわずか30キロメートル北に位置し、「火の山」という名の通り、世界でも代表的な活火山。2010年の噴火では、1億4,000万立方メートルと推定される火山噴出物がふもとに堆積し、386人が死亡、避難者は約40万人に達した。









インドネシア・ジャワ島を横断する - (4)

2012-10-06 | 海外


インドネシアは世界で最も火山活動の盛んな地域であり、ジャワ島やバリ島は、島全体が火山活動によって形成されたと言っても過言ではない。

オーストラリア・プレートとユーラシア・プレートの境界にオーストラリアプレートが沈み込み、スンダ(ジャワ)海溝が形成され、ユーラシア大陸側に島弧列島が形成され、活発な火山活動が行われている。この点で地質環境が日本と良く似ている。 


現在も活動中の火山が多く、歴史に残る大きな被害を出した火山も数多くある。

火山災害の観点から見ると、歴史上のワースト3のうち、上位1位(1815年、タンボラ火山)、2位(1883年、クラカタウ火山)は、いずれもインドネシアの火山であり、ワースト20のうちなんと60%に当たる12件がインドネシアで発生している。










インドネシア・ジャワ島を横断する - (3)

2012-10-02 | 海外


インドネシアの首都ジャカルタにあるスカルノ・ハッタ国際空港(Jakarta International Soekarno-Hatta Airport)を飛び立つと、まもなく南の方角ににパングランゴ(Gunung Pangarango 3,019m)、ゲデ(Gunung Gude 2,958m)の連山を望むことができる。

この2つの3,000m級の山とその周囲に広がる原生林を保全する目的で「グヌン・グデ・パングランゴ国立公園」が設立された。 

グヌン・グデ・パングランゴ国立公園はインドネシアの自然保護の歴史、また生物多様性において、非常に重要なポジションに位置している。ジャカルタからわずか100km、21,975haの広大な美しい自然の原生林は、1980年、インドネシアで初めての国立公園として指定された。


*「グヌン」はマレー語で「山」の意味。