Tenkuu Cafe - a view from above

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-空から見るからこそ見えてくるものがある-

クルンテープ、「天使の都」 - タイ・バンコク (6)

2011-12-30 | 海外

今回の洪水の原因の一つとして、タイ北部ダムの放水のタイミングの悪さが指摘されている。
通常、雨季に溜まったダム水を乾期に放水していくが、今年は例年以上の降雨量があったことから、雨季があける前に限界貯水率を上回り、放水を余儀なくされた。


しかし原因はこれだけではなさそうである。

タイ北部に降った雨水は、1ヶ月ほどかけて中部から南部へとゆっくりとタイを南北に貫く大河チャオプラヤ川を移動する。アユタヤ付近で大量の水が溢れ出すが、一帯にひろがる水田に一旦溜められるために、この水が一気に下流に流れ下ることはなかった。

つまり、かつてのアユタヤに広がっていた広大な水田は、豊かなタイ米を育むだけではなく、天然の貯水池の役割を果たしていたのだ。アユタヤの工業団地は、本来、水を貯める遊水地であるべき所を埋め立てて造成されてしまったことになる。


タイでは、洪水は今まで毎年繰り返されていた。タイの稲作は、水と調和していた。稲は洪水と共にあったのだ。





クルンテープ、「天使の都」 - タイ・バンコク (5)

2011-12-29 | 海外



現在、アユタヤ地区には、サハラタナ、ロジャナ、ハイテック、バンパインの工業団地が建設され、ホンダ、キヤノン、ニコン、ソニーなど多くの日系企業が進出している。

今回の洪水で、この地区では工場閉鎖が相次ぎ、36工場で1万人近くの人が解雇されるという。



タイでの工業団地建設は、1980年代半ばまではバンコク首都圏や地方の主要都市にかぎられていたが、プラザ合意(1985年)以降、日本企業が「円高」をうけ、低賃金労働力を求めてタイに押し寄せ、この地区にも外資導入で工業団地が急ピッチで造成された。



かつてアユタヤ周辺には広大な水田が広がっていた。

しかし日系企業のタイ進出ブームが起こり、水田は埋め立てられ急激に減少した。










クルンテープ、「天使の都」 - タイ・バンコク (4)

2011-12-26 | 海外


タイの古都アユタヤ(Ayutthaya)は、首都バンコクからチャオプラヤ川を北へ遡ること約70km、チャオプラヤ川とその支流パーサック川、ロップリー川に囲まれた中洲にある。


16世紀後半から17世紀にかけて、中国、インド、西欧を中心に各国の商人がアユタヤを行き来するようになり国際貿易都市として発展し、優れた文化が形成された。日本も朱印船貿易で鹿皮、鯨皮などを輸入していた。

遠藤周作の著書『王国への道』で主人公となっている山田長政(藤蔵)がアユタヤを訪れ、傭兵隊長として名を馳せたのは、この時期である。多数の日本人商人がこの地を訪れ、日本人街ができるほどであった。

5つの王朝、33人の王により栄華を誇ったが、ビルマ軍の猛攻によって1767年4月7日、ついに倒壊、アユタヤ王朝は幕を閉じた。

1351年にウートン王によって建都されてから、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた。



その都市計画や中央集権制度、国際貿易振興といった近代国家の基盤は、その後のバンコク王朝にも受け継がれた。

黄金の都と称されたアユタヤには、ワット・プラ・スィー・サンペット、ワット・プラ・モンコン・ボビット、ワット・ヤイチャイモンコンなどの寺院跡、ストゥーパ(仏塔)などが今も残っている。

1991年にユネスコ世界遺産に登録された。









クルンテープ、「天使の都」 - タイ・バンコク (3)

2011-12-24 | 海外



「アユタヤ?どこにある」

「唐、天竺と我々が申している国のなかにある。色々な国があってな。六昆(リゴール)、太泥(パタニ)、暹羅(シャム)――― その暹羅の都がアユタヤという。実は俺もこのこと、知らなんだ」



右も左も蜒々たるマングローブの密林である。藤蔵にはその名前もわからない。マングローブの中には泥水に横倒しになっているものもある。そしてその密林には眼のさめるような赤い花が咲いている。それは炎のようである。すべての色彩が強烈で、すべての影がここでは、はっきりとしている。錫を溶かしたような光が泥水に反射して眼がくらむようだ。時折、密林のなかから鳥のするどい声がきこえる。その鳥の声がやむと密林はまた静寂になる。

「この河はなんという河だ」
藤蔵が中国人の舟子にきくと、
「メナム」と答えた。

あとになってわかったが、メナムというのはこの河の名ではなかった。河のことをこの国の言葉でメナムというのである。中国人はそれを間違えたのだった。
(遠藤周作著『王国への道』より)





今回の洪水で、タイでは全土の三分の一が水没し、首都バンコク北方のアユタヤ地区に拡がる工業団地も被災し、ここに展開する400社をこえる日系企業も操業停止に追い込まれた。








クルンテープ、「天使の都」 - タイ・バンコク (2)

2011-12-17 | 海外


今年、タイで「50年に1度」と言われる大洪水が起こり、バンコクを始め、広大な地域が影響を受けた。

この深刻な被害をもたらしたチャオプラヤ川(Mae Nam Chao Phraya) は、バンコクの北側にあるナコンサワン県から始まり、タイ湾に流れ込む全長372kmの、タイを代表する河川である。

この大河は、古来、氾濫により田んぼに養分をもたらし、肥沃ひよくな土地を育んできた。
チャオプラヤ川上流域の地方では、人々は氾濫を前提に高床式の家に住み、家に小舟をつないで洪水に備えてきたのだ。


また、首都バンコクは、チャオプラヤ川下流のデルタ地帯に位置し、かつては“東洋のベニス”と呼ばれた運河の町であった。町中に張り巡らされた運河には日用品や食べ物を売る舟が往来し、人々は生活用水として運河の水を利用し、水と共に生きてきた。

今も、定期船・貨物船・観光船・渡し船・ホテル船・貸し切り船などなど、数多くの船が行き交っている。







クルンテープ、「天使の都」 - タイ・バンコク (1)

2011-12-10 | 海外




そもそもバンコックの名は、アユタヤ王朝時代、ここに”かんらん樹(じゅ)”が多かったところから、バーン(町)コーク(かんらん)と名付けられたのにはじまるが、古名は又、クルン・テープ(天使の都)と謂(い)った。海抜二メートルに満たない町の交通は、すべて運河にたよっている。運河と云っても、道を築くために土盛りをすれば、掘ったところがすなわち川になる。家を建てるために土盛りをすれば、掘ったところがすなわち川になる。家を建てるために土盛りをすれば池ができる。そうして出きた池はおのずから川に通じ、かくていわゆる運河は四通八達して、すべてがあの水の母、ここの人たちの肌の色と等しく茶褐色に日に照り映えるメナム河に通じていた。
(三島由紀夫著『暁の寺』より)





三島由紀夫のライフワーク、『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』の冒頭である。この「暁の寺」とはバンコクの、チャオプラヤ川の川沿いにたたずむ寺院、「ワット・アルン」を指す(アルンは暁の意味、10バーツ硬貨にも描かれている)。
三島は1967年秋、インドを旅行し、その帰路にタイに寄った。『暁の寺』の取材が目的であったという。バンコクに10日間滞在した後、ビエンチャン、プノンペン、アンコールワットにも立ち寄り、帰国後、『豊饒の海』全四巻を完成し、1970年11月25日、市谷の自衛隊駐屯地にて自決をした。


画像のチャオプラヤ川は、かつてはメナム川と呼ばれることが多かったが、これは現地の人々がこの川を「メーナーム・チャオプラヤー」(「メナム」は川を意味する普通名詞)と呼んでいるのを、「メナム」が川の名前であると外国人が勘違いしたことによるものであり、現在では、「メナム川」と呼ばれることはほぼ無くなった。