「いごっそう」と「はちきん」
信念を曲げず、反骨で権力にも屈しない精神性とユーモアを併せ持つ、土佐男を“いごっそう”と呼ぶ。
そして、陽気で男勝りで、行動力に富み、さばさばしていて、気性がはげしいが男には献身的、そんな土佐の女性が“はちきん”。
「南国土佐」で知られる高知は、南は太平洋に面し、北1,800m級の四国山脈を背負う。
四国山脈で隔たれた土佐は、四国の孤島といわれた時代があった。平地は非常に少なく河川の流域と海岸地帯に点在するだけ。海岸線は極めて長く、西部は沈降による出入りの多いリアス式海岸であり、東部は逆にほとんど出入りのない隆起海岸で平坦な砂浜がつづく。
このような複雑な地形や明るい陽光にあふれる温暖な気候、毎年襲ってくる台風の猛威などの自然環境、土地柄が「いごっそう」という独特の気質を育んだという。
幕末から明治維新へと土佐が送りだした志士は多い。
十五代藩主・山内容堂を筆頭に、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太と枚挙にいとまがない。
そして、明治維新を迎えて、板垣退助、岩崎弥太郎、後藤象二郎らが歴史の舞台に登場してくる。民権運動に生涯を捧げた中江兆民も土佐の生まれだ。いずれも、「いごっそう」の面々である。