Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

沈黙の碧い海 - 長崎市外海

2009-05-31 | 九州
 
 「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」

長崎市街地から北部に約10Km、角力(すもう)灘に面した場所に長崎市外海町(そとめちょう)がある。
ここは「隠れキリシタンの里」であり、キリスト教の文化が色濃く残る町である。
この外海町に明治12年に主任司祭として赴任してきたフランス人宣教師マルコ・マリ・ド・ドロ神父は、深い人類愛をもって、貧しく質素な生活を強いられていた外海の人々のために一生を尽くした。出津(しつ)教会を建て、変岳の開墾を指導し、イワシ綱工場を建設、保育所の開設、ド・ロ診療所の設立、上浦上水道の建設などの多くの事業を起こし外海の人々と一緒に働き、魂の拠りどころとしてキリスト教を布教した。
また、外海町は遠藤周作の小説『沈黙』の舞台となった場所。『沈黙』は1966年に発表さ、谷崎潤一郎賞を受賞しベストセラーになった。遠藤周作は、こよなくこの地を愛し「第二の故郷」と言っていた。
出津文化村には「沈黙の碑」があり、冒頭の一節が刻まれている。


湾と湾をつなぐ水道 - 針尾瀬戸、早岐瀬戸

2009-05-30 | 九州
大村湾の最大の特徴は、四方を陸に囲まれた、まるで湖のような“湾”だ。湾が外洋に通じるのはわずか2ヶ所の細い水路を通してのみ。
「針尾瀬戸」と「早岐(はいき)瀬戸」という2本の水路で、まず佐世保湾につながり、そしてその佐世保湾が外洋(東シナ海)につながる。大村湾はいわば2重に閉ざされた湾なのだ。
針尾瀬戸は、大村湾を塞ぐ針尾島と西彼杵(にしそのぎ)半島の間の水域。佐世保市と西海市を結ぶ。大変流れが早く渦潮を見ることでき、西海橋と新西海橋が架けられている。日本三大急潮の一つ。
早岐瀬戸は、もっとも狭いところはわずか幅10m程度。れっきとした海の一部なのだが、実際に早岐瀬戸を見ると川のように見える。潮の満ち引きにより流れの向きが変わる、とても不思議な川のような海である。
針尾地区には、オランダの宮殿や街、田園風景を再現した、九州最大のテーマパークであるハウステンボスがある。


世界初の海上空港 - 長崎空港

2009-05-28 | 九州
波静かな湾に浮かぶ巨大な空母のような様相を見せるのは、長崎空港。
大村湾に浮かぶ有人島である箕島を開発することで、1975年5月1日に世界初の海上空港として開業した。
一般に知られる長崎空港とは、正確には長崎空港B滑走路 (14 / 32) とそれに付随する施設のことを指し、大村湾のほぼ中程、海岸から約2kmに浮かぶ箕島全域が空港として使用されている。有人島であったため、現在でも空港建設に伴い立ち退いた旧島民によって、毎年5月1日が慰霊祭が行われている。
なお、長崎空港A滑走路 (18 / 36) とそれに付随する施設は、本土側の大村市今津町に位置する長崎空港発足以前の旧大村空港を指し、現在は大村航空基地と呼ばれ、海上自衛隊大村航空隊及び第22航空群により使用されている。

不知火燃ゆる神秘の海 - 有明海

2009-05-27 | 九州
福岡・佐賀・熊本・長崎の4県に取り囲まれた内湾、有明海。
干満の差が激しく、干潮時には広大な干潟が広がることで知られる。
この海は、多様な海の幸をもたらす豊穣の海であるとともに、古来、中国大陸や朝鮮半島とわが国を繋ぐ重要な交通路でもあった。
有明海は古くから不知火(しらぬい)燃ゆる神秘の海として知られたが、その風土は広大な干潟によって代表される。干潟には、北原白秋の『わが生ひたち』に登場するムツゴロウやワラスボなどの干潟性生物が多く生息する。潟スキーを巧みに操り、長さ5mもある竿を片手に瞬時にひっかけて釣る漁法は、干潟の代表的風物詩である。干潟はまたシギ、ガンなどの野鳥の楽園でもある。

九州の空の玄関 - 福岡国際空港

2009-05-26 | 九州
空港から福岡の中心地、天神まで市営地下鉄で約10分、福岡空港は日本で一番、いや世界でも屈指の便利な空港だ。その福岡空港は、ひと昔前まで「板付(いたづけ)空港」と呼ばれていた。
第2次大戦後、未完成の蓆田(むしろだ)飛行場を米軍が接収し拡張整備、朝鮮戦争時の重要基地であった。1951年一部が民間に開放され、「福岡空港」として九州の表玄関となるが、ベトナム戦争時にはアメリカ軍機の訓練補給基地となった。軍民共用が長い間続き、基地との併用による支障が多発、1968年には九州大学に米軍用機が墜落する。72年に全面返還された。
空港の近くに板付遺跡という国の史跡がある。日本の弥生式文化最古の水稲耕作跡とされている。
今は日本中にあるロイヤルホストのロイヤルは、板付発着機の機内食ビジネスで伸びたのだった。
筆者自身の「空の旅」もJALのDC-6Bによる伊丹―板付から始まる。

海に流れ落ちる谷 - 国東半島

2009-05-24 | 九州
周防灘上空より国東(くにさき)半島北部を眺める。
大分県北東部に位置し、周防灘、伊予灘、別府湾に向かって、丸く突き出た半島で、中央に位置する標高721mの両子(ふたご)山から放射状に海へと下がる28の谷が半島に刻まれている。海岸線は北部においては小さな入り江と岬が連続するリアス式海岸となっている。谷には村ができ、来縄(くなわ、現・豊後高田市)・田染(たしぶ、豊後高田市)・伊美(いみ、国東市国見町)・国東(国東市国東町)・安岐(あき、国東市安岐町)・武蔵(むさし、国東市武蔵町)という名が付けられた。この村を中心に奈良時代から平安時代にかけて、「六郷満山」と呼ばれる神仏習合の文化が栄え、今なお、数多くの寺社仏閣や石仏・磨崖仏がある。
正面竹田津港には山口県の徳山と結ぶフェリー基地があり、下松、周南、防府などへ勤める人も利用しているという。また、七不思議の伝説やキツネ踊りで知られる姫島へは国見町の伊美港からフェリーがむすぶ。




日本三大急潮 - 来島海峡

2009-05-23 | 四国
来島(くるしま)海峡は、瀬戸内海中部、愛媛県今治市とその沖の大島との間を隔て、西の斎灘(いつきなだ)と東の燧灘(ひうちなだ)とを隔てる海峡。伊予水軍の本拠地。「一に来島、二に鳴門、三にくだって馬関瀬戸」とうたわれたように鳴門海峡、関門海峡とともに日本三大急潮として知られている。小さな島々が点在する瀬戸内海きっての景勝の地。来島海峡は四つ(来島ノ瀬戸、西水道、中水道、東水道)の狭い水道に分かれ、潮の流れは10ノット(時速18km)にも達し、直径10メートルの八幡渦が発生する。この八幡渦は大浜の八幡神社の大祭の時に島から来たみこしが海を渡る途中、この渦に巻き込まれて沈んでしまったことからこの名前がついたという。瀬戸内海のみならず全国的にも有数の船の難所とされる。また、潮の流れによって航路が変わる「順中逆西」(順潮の場合は短く屈曲の少ない中水道を、潮流に逆らって航行する場合は西水道を進む)という特殊な航法を採るのは世界唯一。
この海峡をまたぐように世界初の三連吊橋・来島海峡大橋が架かる。


もうひとつのウェストン祭 - 糸魚川市青海

2009-05-19 | 関東
英国人宣教師ウォルター・ウェストン(Walter Weston, 1861年-1940年)は、北アルプスをこよなく愛し、その素晴らしさを著書『日本アルプスの登山と探検』(MOUNTAINEERING AND EXPLORATION IN THE JAPANESE ALPS)を通じ、世界に紹介した。上高地では、日本近代登山の父とも呼ばれる彼の功績をたたえるために日本山岳会が主催して毎年6月第1土〜日曜にウェストン碑の前で「ウェストン祭」が催されている。
一方、新潟県糸魚川市でも、ウェストンが「親不知が日本アルプスの起点である」として、明治27年、彼が青海を訪れていることを機縁とし、ウェストンの全身像を設置し、例年5月下旬、地元有志による「海のウェストン祭」が催される。

北陸道最大の難所 - 親不知(おやしらず)

2009-05-18 | 関東
海とアルプスを直結。「親不知」の断崖から、北アルプスの朝日岳(2,418m)に伸びる栂海(つがみ)新道は標高差2400m、全長27kmの尾根を踏破する。 国内唯一、山から海へ、また海から山へと縦走できる。青海町の「サワガニ山岳会」のメンバーが、11年の歳月をかけて切り開いた道。昭和46年に北アルプスの3,000mから海抜0mが繋がった。
「親不知」は北アルプスの日本海側の端、新潟県糸魚川市、JR北陸本線の青海駅から市振駅の間に位置する約15Kmにわたる崖が連なった地帯。断崖は北アルプスの北端が日本海によって侵食されたために生まれたものである。
越後国と越中国の間を往来する旅人は、この断崖を海岸線に沿って進まねばならず、古くから北陸道(越路)最大の難所として知られてきた。
「親不知」の名称の由来は、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道である事から、とされている。

たおやかなる花の名山 - 朝日岳

2009-05-17 | 中部
白馬岳の北側に連なる朝日岳(2418m)、雪倉岳は、北アルプスの一角に位置する山ながら、やさしい表情のたおやかな稜線が続く。このエリアは花の山、白馬のうちでも見事なお花畑が広がることで知られる。山頂からは白馬岳や剱岳などの北アルプス、妙高連山などの頸城(くびき)の雄大な山々の展望、そして富山湾や能登半島の眺めも望むことができる。この日は、遥か彼方、浅間山の稜線までが、柔らかな朱鷺色の空に浮かび上がった。頂上へは白馬岳からの縦走路のほか、蓮華温泉、小川温泉、そして日本海から続く栂海(つがみ)新道が延びている。

残雪招くよ!早春の北アルプス(10) - 剱岳・後立山連峰

2009-05-13 | 中部
「カニノタテバイ」、「カニノヨコバイ」に代表される連続する緊張した岩場の通過は、熟達した登山者のみが許される憧れのコースである。
その遥か彼方には、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳など後立山連峰の山々が折り重なって続いている。およそ50万年前から始まったといわれる北アルプスの造山運動の賜物とはいえ、神々が創り出したとしか思えない大パノラマだ。雄大で美しい。

残雪招くよ!早春の北アルプス (9) - 剱岳・立山

2009-05-12 | 中部
白山とは反対の東方に目を移すと、剱岳(2999m)の威容が姿を現した。
北アルプス北部を代表する「岩と雪の殿堂」。
その岩稜で固められた山容は、まるで岩の鎧で身を固めた武者のような迫力が感じられ、圧倒的な存在感で鎮座している。
「北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳であろう」と、深田久弥は『百名山』の剣岳の出だしに書いているが、誰しも剱岳の際立った姿を目にすれば、この表現が確かであると思うであろう。


残雪招くよ!早春の北アルプス (8) - 白山

2009-05-11 | 中部
僅か数分で、北アルプスの峰々を横断し、富山市上空にさしかかるころ、遥か西方には、朝陽を受け、神々しく輝く白山の雄姿が現れる。
白山は、最高峰の御前峰(2,702m)・剣ヶ峰(2,677m)・大汝峰(2,684m)の「白山三峰」を中心とする、周辺の山峰の総称である。 北陸地方の中では標高の高い山であるため、他の山では残雪が消えた季節でも「白い」山として遠方からでも一目で判明できる山である。
一年を通して白雪の天衣をまとった白山は、農民たちから祖先の霊が宿る聖域、また水を司る神の御座所と崇められてきた。6世紀には、白山を水源とする手取川、九頭竜川、長良川、庄川の各流域でそれぞれの白山信仰が生まれていたという。富士山、立山と並び「日本三霊山」の一つに数えられている。
日本ではこれより西には2,000m以上の山がないため、2,000m超級の高山として最西端の山となる。

残雪招くよ!早春の北アルプス (7) - 有峰湖

2009-05-10 | 中部
北アルプスの霊峰薬師岳に連なる山々の清流を集め、満々と水をたたえた面積5.12平方キロメートルの大人造湖「有峰湖」。常願寺川の支流、和田川の源流に位置し、昭和34年に完成した人造湖だ。ダムの底にかっての有峰村が眠っている。
地名としては元来、山奥にある水源地という意味で「うれ」と呼び、漢字で「有嶺」と書かれていたが、「憂い」に通じるとして、「有峰(ありみね)」に改名されたのだという。
古くは、この標高1,000mの地には高原盆地が形成されており、戦いに敗れた落人が隠れ住んだ場所ともいわれている。厳しい自然環境の中、少数ながら、薬師岳を信仰し、ヒエ、ソバ、ワラビ粉をつくって慎ましく生活していた集落の人々であったが、有峰ダム建設に伴い離散。昭和3年に廃村になった。ダムは盆地への入口である地点に建設され、巨大な人造湖・有峰湖が誕生した。総貯水容量では、山を隔てて東に隣接する黒部湖(黒部ダム)よりも大きい。


残雪招くよ!早春の北アルプス (6) - 薬師岳

2009-05-09 | 中部
薬師岳(2,926m)は、富山県南東部にある北アルプスの一峰で、北アルプスの山のうちでは並外れた山体の大きさで知られる。立山や剱岳の峻険な山容に比べ、雄大だが穏やかな山容を示す。東側には南稜カール、中央カール、金作谷カールがあり、「薬師岳の圏谷群」として特別天然記念物に指定されている。立山連峰の山々の例にもれず、薬師岳もまた山岳信仰の対象であり、阿弥陀浄土としての立山(雄山)に対し、薬師岳はその名の通り薬師如来の浄土として信仰を集めた。山頂には祠があり、銅剣など、数々の修験の宝具が見られる。かつては旧暦の6月15日に西麓の有峰村(大正時代にダム建設のため離散)の住民が登山し、薬師如来に剣を奉納する風習があった。