Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

Cafe belvedere - (46)

2015-07-29 | Cafe 


鮮やかな緑が茂る日本庭園に流れ落ちる滝。

その滝の流れが、そのまま室内へ流れこんできたかのように、“曲水の流れ”が優美なラインを描く。

吹き抜けの空間には、“蒔絵”の柱が立ち並び、“紫雲”をイメージした照明に彩られる。

一瞬、応挙の『大瀑布図』、光琳の『紅白梅図屏風』が頭をよぎる。



平安時代の様式美が漂う空間で、優雅なひとときをゆったりと過ごす。











Cafe belvedere - (45)

2015-05-17 | Cafe 


「群青と緑青の風景だ、と私は思った。島々は緑の樹木に蔽われ、急な斜面を段々畑が海ぎわから山の上まで続いていた。小さな村々の家々が、まるで自然の中に溶け込むように点在している。地中海のコバルトやウルトラマリンではなく、日本画の絵の具の色感だった。花崗岩質の島を蔽う松の繁みは、緑青を塗り重ねた色そのものに見えた。空気は爽やかな中に、潤いと甘やかさを持ち、ほっとするような安らかさと、親しさに満ちていた」
-- 東山魁夷著『風景との対話』より




魁夷は、横浜で生まれるが、3歳のとき父の仕事の関係で神戸へ転居。港に出入りする外国船や異人館など異国的なものを見て育ったためか、西洋への憧憬を強めていく。

大正15(1926)年に東京美術学校に入学。洋画科を志望するが、父の意向で日本画科へ入学。

卒業後、25歳のときドイツへ留学。

そして昭和10(1935)年秋のこと、2年間の留学を終え帰国の途、瀬戸内海の風景を目にした魁夷は、ヨーロッパとは異なる“日本の色”を発見し心をうたれる。

後年、魁夷は、「自分の中には“異国的なものに対する憧憬”と“郷土的なものに対する郷愁”が宿命的に存在している」と語っている。

そして、その根源を、祖先の土地、「塩飽諸島」に見いだしていたかもしれない。








Cafe belvedere - (44)

2015-05-11 | Cafe 


東山魁夷(1908 - 1999年 本名は東山新吉)は、いうまでもなく、わが国を代表する日本画の巨匠であり、皇居新宮殿の壁画や奈良唐招提寺御影堂の障壁画などで有名である。

魁夷は横浜市で生まれるが、祖父・新吉が塩飽諸島の櫃石(ひついし)島の出身であったことから、しばしばこの地を訪れている。

祖父と同じ新吉と名付けられた魁夷は、祖先が暮らした櫃石島や塩飽諸島に特別な思いを抱いていたと思われ、瀬戸大橋のライトグレーの色は、「海と溶け合う柔らかい色を」との魁夷の提案で決まったというエピソードもある。


櫃石島生まれの魁夷の祖父は、幕末のころ江戸に出て、榎本武揚率いる幕府の海軍に身を投じた後、海運業で財をなす。 魁夷が生まれた明治41(1908)年にはすでに亡くなっていたが、魁夷は、祖父を通して、瀬戸内海の風土への愛着を育んでいった。









Cafe belvedere - (43)

2015-05-10 | Cafe 

塩飽諸島(しわく・しょとう)は、瀬戸大橋の周辺の、本島、広島、与島、櫃石島、手島、高見島、牛島のなど大小28島から成り、その名の由来は、坂出などで盛んだった製塩で「塩焼く」とも、激しい潮流の「潮湧く」とも言う。

戦国時代には塩飽水軍が活躍し、江戸時代は人名(にんみょう)による自治が行われたところでもある。

古代から海上交通の要衝で、潮流の速い西備讃瀬戸に浮かぶ塩飽諸島は、操船に長けた島民が住んだと考えられている。











Cafe belvedere - (42)

2015-05-05 | Cafe 




私は人間的な感動が無くて、風景を美しいと見ることは在り得ないと信じている。風景は、いわば人間の心の祈りである。私は清澄な風景を描きたいと思っている。汚染され、荒らされた風景が、人間の心の救いであり得るはずがない。風景は心の鏡である。

- 東山魁夷著『日本の美を求めて』より











Cafe belvedere - (41)

2015-02-08 | Cafe 



サーキュラー・キー(Circular Quay)は、オーストラリア・シドニーにある埠頭。シドニー中心業務地区(シドニーCBD)の北縁であり、シドニー湾に面する。

シドニーの顔とも呼べる場所で、オペラ・ハウスやハーバー・ブリッジといった、シドニーの超有名観光スポットを一望できるエリアである。


サーキュラー・キーの南側には、シドニー・オペラハウス、王立植物園、北側には、ハーバー・ブリッジ、シドニー発祥の地で、開拓当時のヴィクトリア王朝時代の面影を残す町並み「ザ・ロックス」がある。


サーキュラー(Circular)とは「円形の」、キー(Quay)とは「埠頭」という意味。






Circular Quay is a harbour in Sydney, Australia on the northern edge of the Sydney central business district on Sydney Cove.

There are great views of the Harbour Bridge and the Sydney Opera House,

On the southern side of Circular Quay is a walkway that leads to the Sydney Opera House and Royal Botanical Gardens; while on the northern side, a short walk along lovely landscaped walkways takes you to the Harbour Bridge and The Rocks, one of the oldest, most attractive and most interesting parts of Sydney.










Cafe belvedere - (40)

2014-10-14 | Cafe 


長野県の最北、新潟県と県境を接する小谷村。

日本百名山に数えられる標高1963mの雨飾山がそびえる。


その山麓には、ブナの原生森に囲まれ、ひっそりと神秘の「鎌池」が佇む。

草を刈る鎌の形に似ていることから名付けられたという。


10月中旬には紅葉が見頃を迎える。

早朝、穏やかに静止した水面に錦秋が映り込んだ。





Cafe belvedere - (39)

2014-10-13 | Cafe 



昔、信州と越後の界に向池という池があって、この池に雌雄2匹の大蛇が棲んでおった。

この大蛇はたびたび出てはいたずらをして困るので、地元の人たちはどうにかして退治したいと、村中の下肥を池の中へ入れた。

すると大蛇は苦しがり、雄は薪棚の上に登って難を避けた。 村人はこれを見てすぐ薪棚に火をかけて焼き殺してしまった。雌はこれに悲しんで、泣きながら野尻湖の方へ逃げた。

その逃げる途中の涙の落ちた所が池になった。

それが隠居池、鉈池、鎌池である。












Cafe belvedere - (37)

2014-09-15 | Cafe 



私は印を彫る、もっぱら石材である。

木に二度ほど彫ったが、そのおもしろくないこと
予定の如く彫れてしまうのだ。

石はいい。

偶然のカケ、ヒビ、
その偶然をあてにし生かすたのしさ
ボンヤリ待っている偶然ではない。

ウッカリぶつかる偶然ではない
予定している偶然

もうそれは偶然ではないかもしれない。


しかしこの種の偶然が、
石印を実に芸術的なものにする。










Cafe belvedere - (36)

2014-09-14 | Cafe 



若し、この世の中に植物が一つもなかったとしたらどうだろう。

どっちを見ても花はない。

そういうとき私たちは、一体何をいけるだろう。


私は、そこに石があったら石、若しくは土があったら土をいけるだろう。






蒼風は、いける人の「個性」を尊重する新しい「いけばな」を生み出した。

「いつでも、どこでも、だれにでも」

そして、どんな素材を使ってもいけられる「いけばな」を世界に示した。








Cafe belvedere - (35)

2014-09-13 | Cafe 



「いけばな」の二大流派といえば、池坊と草月だ。

池坊は室町時代から続く由緒ある流派。
それに対して、草月は、昭和になって生まれた。



勅使河原 蒼風(てしがわら そうふう)は、華道家・勅使河原久次の長男として1900年、大阪に生まれる。
幼少より華道の手ほどきを受けるが、やがて型通りにいける従来のいけばなに疑問を持ち、父と訣別、1927(昭和2)年、生ける人の個性を尊重する芸術としての「いけばな」を提唱する草月流を創流した。


「いけばなは生きている彫刻である」

として、華道の重要な型を否定する蒼風のいけばな観は、日本では異端児扱いされた。しかし、昭和32年に来日したフランスの世界的な評論家・ミッシェル・タビエが彼の作風を絶賛したことより世界に紹介されることになる。


生涯を通じて、日本はもとより欧米各地でも積極的に展覧会やデモンストレーションを行い、
「IKEBANA」を世界的な文化に高めた。また、いけばなばかりでなく、彫刻、絵画、書も手がけるなど、幅広い創作活動を最晩年まで続けた。








Cafe belvedere - (34)

2014-09-10 | Cafe 





植物ほど寿命の長いものはない。千年も千五百年も生きている木もある。これほど長い生命を持っている生物はほかにはないであろう。鶴は千年、亀は万年というけれども、これはそうあってほしいというだけの話である。


いかにもやさしく、しおらしく見える植物でも、長い間の風雪に耐え、世の流れをじっと見てきているだけに、実は並々ならぬふてぶてしさを裡に秘めているわけである。

(勅使河原蒼風著『花伝書』より)












Cafe belvedere - (33)

2014-08-15 | Cafe 


聖徳太子が沐浴をしたとされる池のほとりには、太子と縁の深い小野妹子(おののいもこ)を始祖とする僧侶の住坊があったことから、「池坊(いけのぼう)」と呼ばれるようになった。


代々の住職は、朝夕と仏前に花を供えていたが、その中から、いけばなの名手が現れ、いけばなが人々に広く伝えられるようになった。


六角堂がいけばな発祥の地と呼ばれているのはそのためである。










Cafe belvedere - (32)

2014-08-10 | Cafe 


ここは、京都市内のオフィス街のど真ん中。

「六角さん」の愛称で親しまれる、「六角堂」がある。

正式名称は、紫雲山頂法寺。



西暦587年、聖徳太子を開基として創建されたと伝えられる。


聖徳太子は、大阪に四天王寺を建立するため、用材を求めてこの地を訪れた。

その際、大変美しい池を見つけ、旅の疲れを癒すために池のかたわらにある多良の木の枝に、護持仏と衣を掛けて沐浴をしていたところ、護持仏が木から離れなくなった。


聖徳太子はその場で一晩過ごすことになるが、夢の中に護持仏が現れ、

「この場所にとどまって衆生を救済したい」とお告げがあったという。



そこで聖徳太子はこの地に、御堂を建て、護持仏を本尊として安置したといわれている。