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道南の空を飛ぶ (14) - 函館山

2009-09-28 | 北海道

五月二十八日 新暦七月十九日

土用 朝五つ迄曇る 
夫より晴天江戸出立後の上天気なり 
併し山々白雲おほし 
箱館山に登て所々の方位を測 
夜も晴測量……

 寛政十二年 一八〇〇年
(伊能忠敬測量日誌より)


伊能忠敬(1745-1818)は、寛政 7年(1795)50歳で江戸に出て、
翌年、当時32歳であった幕府天文方高橋至時(1764-1804)に師事し、暦学、数学の勉学を始めた。

1800年(寛政12年)、幕府に北方の地図作製を願い出て許され、江戸を出立。
同年 5月10日、本州最北端の地、三厩に着いた忠敬の一行は、直ちに出帆し、
箱館へ入る予定であったが、ヤマセに悩まされかなりの滞留の後、出発したが、風向きの影響で松前領、吉岡に入った。
その後も悪天候に悩まされ5月22日に陸路箱館に入った。
5月28日、蝦夷の本格的な測量のため函館山の登山をし、北海道測量の第一歩を記した。

このとき、伊能忠敬、実に56歳のことであった。

出来上がった地図の精妙さに幕府は驚嘆し、関東、奥州、北陸の地図をとの要望を受け、やがて、「日本全図」完成の偉業へと繋がって行く。