青函連絡船が80年の歴史に幕を閉じてから20年が過ぎた。
国鉄青函連絡船は津軽海峡をはさんだ本州青森-北海道函館間113kmを約3時間50分で運航していた。 1908年(明治41年)の「比羅夫丸」の就航に始まり、1987年4月(昭和62年)JR北海道に移管され1988年3月(昭和63年)「津軽海峡線」の開通で廃止となる。
青函トンネルは、「洞爺丸遭難事故」を受け、太平洋戦争前からあった本州と北海道をトンネルで結ぶ構想が一気に具体化し、船舶輸送の代替手段として、長期間の工期と巨額の工費を費やして建設されることとなった。青森県東津軽郡三厩村(画面左)と北海道松前郡福島町(画面右)を結ぶ西ルート、青森県下北郡大間町と北海道亀田郡戸井町を結ぶ東ルートが検討され、当初は距離が短い東ルートが有力視されたが、東ルートは西ルートよりも水深が深い上、海底の地質調査で掘削に適さない部分が多いと判定されたため、西ルートでの建設と決定した。
映画『海峡』(1982年 森谷司郎監督 木村大作撮影 主演:高倉健、吉永小百合他)は、青函トンネル工事に携わった人々の30年近くにわたる人生の歩みを、青函トンネル技術調査員を中心に見事に描いている。
現在、青函トンネルはできたものの、津軽海峡の航路はいまだ健在である。青函トンネルは自動車の通行ができないため、北海道へ渡る車は、フェリーを利用しているのだ。津軽海峡を通らない長距離フェリーもあるが、青森―函館(青函)間にも実に20往復以上が運航されている。また、下北半島の大間と函館の間にもフェリー航路がある。
国鉄青函連絡船は津軽海峡をはさんだ本州青森-北海道函館間113kmを約3時間50分で運航していた。 1908年(明治41年)の「比羅夫丸」の就航に始まり、1987年4月(昭和62年)JR北海道に移管され1988年3月(昭和63年)「津軽海峡線」の開通で廃止となる。
青函トンネルは、「洞爺丸遭難事故」を受け、太平洋戦争前からあった本州と北海道をトンネルで結ぶ構想が一気に具体化し、船舶輸送の代替手段として、長期間の工期と巨額の工費を費やして建設されることとなった。青森県東津軽郡三厩村(画面左)と北海道松前郡福島町(画面右)を結ぶ西ルート、青森県下北郡大間町と北海道亀田郡戸井町を結ぶ東ルートが検討され、当初は距離が短い東ルートが有力視されたが、東ルートは西ルートよりも水深が深い上、海底の地質調査で掘削に適さない部分が多いと判定されたため、西ルートでの建設と決定した。
映画『海峡』(1982年 森谷司郎監督 木村大作撮影 主演:高倉健、吉永小百合他)は、青函トンネル工事に携わった人々の30年近くにわたる人生の歩みを、青函トンネル技術調査員を中心に見事に描いている。
現在、青函トンネルはできたものの、津軽海峡の航路はいまだ健在である。青函トンネルは自動車の通行ができないため、北海道へ渡る車は、フェリーを利用しているのだ。津軽海峡を通らない長距離フェリーもあるが、青森―函館(青函)間にも実に20往復以上が運航されている。また、下北半島の大間と函館の間にもフェリー航路がある。