「箱館は絵のように美しい」
幕末の文久年間、開港して間もない箱館を訪れた英国人は、海峡にそびえ立つ函館山と緩やかな弧を描く函館湾の景色を船上から眺め、感嘆の声を上げた。
「蝦夷地ならびにそれより北方の諸島は、動物学的に申せば、日本ではなく北東アジアの一部なのであります。そこから、本州は津軽海峡という疑いのない境界線で断ち切られたのであります。」
“ブラキストン・ライン”とは、動物学上の津軽海峡の呼称であり、この海峡を境にして動物の分布は南北で異なることを発見した英国人T.W.Blakiston(1832~1891)の名によるものである。
ブラキストンは函館開港直後の1861年より約23年間この地に在留し、貿易を営み、傍ら鳥類の採集研究に努めた。そして津軽海峡を挾んでの南北沿岸には異なる動物の棲息を挙げ、本州のニホンサル、イタチ、ツキノワグマ 等は北海道にはおらず、また北海道に住むヒグマ、キタキツネ、エゾシカ、エゾリス等は本州にはいないことを挙げている。
津軽海峡を望む函館山山頂には、1960(昭和32)年、函館青年会議所によってブラキストン・ラインを記念する碑が建立された。
そこには、
「…この世界的業績は、津軽海峡と共に永遠に残るであろう」と刻まれている。