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琉球弧の島々を飛ぶ (34) - 与那国島・ティンダバナ

2009-09-07 | 沖縄
与那国島の北東にある祖納集落に、隆起珊瑚岩塊の“ティンダバナ(天蛇鼻)”がある。
高さ70mの自然展望台で、ここは与那国の歴史、伝説の源である。

伝説によると、16世紀に巨漢の女酋長である「サンアイ・イソバ」が住んでいて、その弟たちを島の各地に配置し、良い政治を行い国を治めていたと言われている。 またこの展望台からは、祖納の集落とナンタ浜を眺望することができる。

イソバは太った怪力無双の大女で、15世紀末から16世紀頭に活躍した島の統治者だ。祖納からみえる高台ティンダバナの上、サンアイの大木(ガジュマル)のある村に住み、島人から尊敬を集め「サンアイイソバ」,「イソバアブ」(アブ=女性の尊称)と呼ばれていた。

4人の兄弟を村に配し、新村建設、牧場開拓、新田開墾、宮古との貿易などを仕切った。イソバは朝夕拝所に祈願し、一種の司祭者的存在で、島を統治して祭政両面 を主宰した。飼い牛を連れ、島をまわり、自ら鍬をもち開墾に汗した。島の暮らしはとても豊かだったという。

ある日、八重山征伐帰りの琉球王国の軍(宮古勢)が奇襲して、ふもとの村を焼き討ちされた。高台から炎をみたイソバは刀を握り、麓に駆け降りて戦の先頭に立ち敵を夢中で切り倒した。大将の一人を宙に吊し上げ敵を追い詰め、遂に撃退したという。

しかし琉球王国の与那国制圧は年々進み、琉球の島津侵入後ついに人頭税が課され、人減らしのクブラ割りやトゥング田など与那国は苦難の歴史を刻むことになる。


『街道をゆく- 沖縄・先島への道』の中で、司馬遼太郎氏は、サンアイ・イソバを「収奪者としての首長で はなく、東アジアの古代の村落の指導者にしばしば存在したように、巫女であった」「彼女の名が後世まで残っ たのは、上陸してきた琉球王府の軍隊に対し、島人を指揮し、これを撃退したからである」と書いている。