ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

原状回復

2013-03-15 21:38:37 | Weblog
隣の会社が出て行った。
原状回復して。



おいおい。これが原状回復なのか。
は、廃墟じゃん。あり得ん。

私たちが普通に日本人してたら、日本人はみんなが雷鋒になってしまうよ。
なんでこうなんだろうなあ。中国人は。

昨晩は、友人の飲み会に飛び入り参加して、誕生日ケーキをご馳走してもらった。
みんな初対面なのに、やさしい。
上海で会う日本人は、変な人もたくさんいるけれど、
基本的には日本でのしがらみを離れ、1人の人間として付き合ってくれるのがいい。

そして、いい気分になると、上海の街が美しく見えてくる。



でも、うっかりしていると、足下をすくわれる。
気をつけて歩かないと。



なんだかいい色だ。

 

さて今日は祖父の命日だ。

祖父は、私の誕生日が過ぎるのを待っていてくれたんだなあ。

プレゼント

2013-03-15 01:37:20 | Weblog
3月14日は私の誕生日で、いろんな人から、いろんなかたちのプレゼントをもらった。

一日前の昨日の夕方、中国人の同僚が「いま忙しい~?」と言いながら寄って来た。
いわく「来週のプレゼン資料の日本語がどうもおかしい気がする。見てくれない?」と。

パワポで40ページある資料だ。
当日までに用意すればいいか、と思っていたら、
けっこう笑ってしまう日本語が満載で、真面目にやりだすと時間がない。

今日の昼間、プレゼンする部署の中国人のリーダーが近くを通ったので、
「これ、たいへんだよ~。今度おごってよね~」と言ったら、
「あ~、来週、はじめて日本語でプレゼンするから~」とのこと。
配布資料ではなく、それをもとに中国人スタッフがプレゼンすることを知り、
プレゼン資料としての最低限のレベルと、そのスタッフがリハをする時間が必要だということを
初めて理解した。

結構、たいへんじゃん。

そこから気合いを入れて、中国語のプレゼン資料を読んで、
何を言いたいのかを理解した上で日本語を直し、
終業時間が少し過ぎたくらいの時間に、渡しに行った。

私「昨日までの資料は、日本語が上手な中国人スタッフがいるんだな、という資料だったけど、
 とりあえず、日本人がチェックしたんだな、という感じにしておいたから、安心して」
プレゼンする同僚「わかった~、ありがと~」
私「たぶん、日本人的な言い回しがたくさんあって、意味がわからないところがあるから、
 もし困ったらいつでも声をかけてね。
 私も1回しか見てないから完璧とは言えないけど,最低限の恥をかかないレベルはあると思う。
 これから一緒にもっとよくしていこう」

と言ったところで、私が「おごって」とおねだりした中国人のリーダーが口をはさんだ。
「あなたは、雷鋒を知ってるか?」と。
私が「ああ、有名な人でしょ」と言ったら、
彼は「あなたは雷鋒だよ」と言うので「褒め過ぎだよ」と言ったら、
「いや、本当だよ」と言ってくれた。

雷鋒は、Wikiによるとすごい人だ。
雷鋒(らいほう、1940年12月18日 - 1962年8月15日)は、中国人民解放軍における模範兵士とされる人物。
湖南省長沙出身。児童団や少年先鋒隊に入り活動。1957年には中国共産主義青年団に入り、
中国各地の農場や工場で作業するなどの奉仕活動を続けた。
1960年(1959年)、人民解放軍に入隊。輸送隊に配属された。
1962年8月15日、遼寧省撫順で殉職。
電柱を輸送中のトラックを立て直す作業中、頭を強く打ち死亡した。22歳であった。
死後、毛沢東などの共産党指導者の言葉を引用した日記が「発見」され、
彼は軍人の思想的モデルとして大きく取り上げられるようになった。
1963年3月5日に毛沢東によって、「向雷鋒同志学習(雷鋒同志に学ぼう)」運動が始められた。
このスローガンは文化大革命中、各種新聞や学校教科書で盛んに用いられ、
彼は模範兵士として、無私の象徴として偶像に祭り上げられた。
その後も今日に至るまで政府のキャンペーンで何度も用いられており、
3月5日は「雷鋒に学ぶ日」として学生たちが公園や街路などの掃除をする日となっている。
また出身地の長沙と殉職地の撫順では「雷鋒紀念館」が開設されている。

中国の若い人が、私のことを
日本人の私のことを、革命の模範兵士と同じと言ってくれるなんて。

もちろんお世辞なんだろうけど、
それでも、そうそう言わない褒め言葉だとも思う。

すごい1日だった。