ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

2013-03-24 15:50:20 | Weblog
桜の咲く頃は、急に気温が下がる。
それは上海も同じで、ここ数日、すごく冷えている。

昨日は、なんとも離れがたい日本人の友人が、
だいたい1ヶ月に1回集まる食事会だった。
コア参加メンバーは「呼ばれて来た人たち」と言う。
国籍、性別、年齢不問。
唯一求められるのは、
自分がどんなに汚くても、それを受け止めたいという覚悟をもっていること、
だろうか。

ということで、2回目以降は、
いくら誘ってもタイミングがあわなくて来られない人が出てくる。

「ここ数日、冷えるね」ということで、火鍋を食べた。

少し早く会場に着いてしまったので、Kindleで小説を読んだ。
坂口安吾の『桜の森の満開の下』。
読んでいて思い出したのは、芥川龍之介の『羅生門』。

私は、ソメイヨシノがすごく苦手。
うすピンクの中に赤い花弁が見える感じが、どうしても人の目に見えてしまう。
大勢の瞳に見つめらている気がして、すごく苦手。
そして、音もなく散るのが、体感できるような風もないのに散るのが、すごくこわい。
ついでに、花見という口実で、桜の下で酒盛りしている日本人の集団もこわい。

そして、場所取りさせられる新入社員は、本当に悲惨。
あんなに、ハラハラと散る、よくわからないけど散って行く花びらの下で、
ずっと何時間も孤独に誰かを待つなんて、本当に拷問。
私は気が狂いそうだった。仕事だと思って我慢したけど、1回が限界だった。

ただ、ソメイヨシノ以外の桜は、結構好き。
もっちりとしていたり、葉とも共存する。

坂口安吾の『桜の森の満開の下』は、
私が恐れる桜という美の狂気そのものだった。

でもきっと、坂口安吾の見ていた桜の狂気は、私のそれとは違う。
惚れた美しい女が、人を殺して首をとってきてくれとせがむ。
せがまれた男は、桜の下に1人坐ることを恐れている。

孤独感と美意識と、あこがれとコンプレックスと、
それが言葉であらわせないことによる、闇のような恐怖。
日本が戦争に進んだ道と、そして終わらせ方への罪。

それは、日本の美しさと、西洋的な論理力の弱さと紙一重。
世界の基準を理解せず、ずるずると決断しなかった罪そのもの。

じゃあ、どこに行くのか。

桜を見て、桜の下で騒ぐ覚悟ができているのか。日本人は。
それは、私たちが守らなければならない美意識と価値観、
それをどのように日本人自身が受け止めるか、ということ。

そこを自問せずに、急にキレる中国人と、
「話し合ってわかる」なんて、絶対無理だと思う。
中国にも賢い人はたくさんいるし、共産党のエリートもいるけど、
基本、数に負けるのは日本と同じ。
暴走する人は必ずいるのだから。

でも、上海にいると、美しいソメイヨシノの桜道を歩きたくなる。


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