ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ロジカルな文章

2013-03-21 23:57:06 | Weblog
昼間、同僚の日本人から美味しい紅茶を分けてもらった。
香港のものだということだから、本場イギリスのアールグレイだったのだろう。

すごく香りがよくて、おいしかった。

いま、Kindleで読んでいるのがちょうど『空家の冒険』(コナン・ドイル)だったものだから、
「うわ~、19世紀ロンドンって感じ。シャーロック・ホームズだ~」と言ったら、
「ハリーポッターでなく、ホームズ!」とツッコミが入った。

そうか、いまイギリスの小説といったら、ハリーポッターなんだ。

負けじと「版権が切れているものだったら、Amazonで0円でダウンロードできるよ」と言ったら、
「え~、そうなの~」とのこと。
そうです。iPhone使いだったら、Kindleのハードを持っていなくても、
アプリをダウンロードすればいいのです。
上海でも、日本語の名作が読めるのです。

でもそこで、「ってことは、言葉遣いがちょっと古いってことでしょ~」という、
次なる笑いが起こった。

そうよ。美しい日本語よ。
特に感情が動くときの描写が、いまと違う。
恥じらいとためらいがあったころの日本語は、たいへんに美しい。
それらは文字であっても、ある種の気配として感じられる。

ビジネスでは、結果から書く「ロジカルな文章」を求められるし、
私もそれを意識しているけれど、そんな文章ばかり書いていると、
どんどん、文章がへたくそになるような気がする。

たとえどんな文体であれ、
そこに「故意な言い落とし」は、あるものだし、
議事録のような事実の記載でも、それは起きうる。

ロジカルな文章は客観的に事実を伝えるように思えるけれど、
これほど人の意識を導きやすいものもない。
「結論ありき」だから、過去を書き換え、再構築することが可能だから。

ということで、ロジカルな文章を読み、
誰かが「そうか、まとめると、こういうことだよね!」と言い出すとき、
私は思い切り疑り深くなる。