飛騨の山猿マーベリック新聞

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◆<東京新聞社説>あさま山荘事件 政治熱冷ます蛮行越え

2022年02月18日 09時59分15秒 | ●YAMACHANの雑記帳
 それは、高度成長末期、日本社会を震撼(しんかん)させた集団リンチが明るみに出る序章だった。新左翼、連合赤軍の五人が一九七二年二月十九日、長野県軽井沢町の「あさま山荘」に立てこもった事件=写真。鉄球が壁を打ち壊すシーンに象徴される警察との十日間の攻防はテレビで生中継された。警察官ら三人が銃撃戦で亡くなった。その後、彼らが軍事訓練のため前年から集結した群馬県の山中で男女十二人の遺体が次々に見つかる。「キスをした」「ネックレスや指輪を持ち込んだ」といった理由で「革命戦士」として失格とされ、凄絶(せいぜつ)を極める同志間のリンチで殺されていた。立てこもりは、殺され、逮捕され、脱走も相次いだ末に残った残党の犯行だった。八二年の東京地裁判決は最高幹部、永田洋子元死刑囚=獄中で病死=らのリーダーとしての器量不足がリンチ殺人の主因と断じた。「猜疑(さいぎ)心や嫉妬心、冷酷な加虐趣味」など個人の資質を批判し、思想や革命などにまつわる弁護側の主張を一蹴した。最高裁まで争われ、一審判決は確定したが、全体像が法廷で解明されたとは言い難いとの指摘は今も残る。時代は「政治の季節」だった。ベトナム戦争は泥沼化、中国では文化大革命が吹き荒れた。学生が各地で立ち上がり、パリの五月革命は結果的に大統領辞任につながった。国内でも公害など経済発展のひずみが噴出。安保闘争や、東京大安田講堂占拠事件はじめ学園紛争が広がっていた。「暴力革命」を訴え、銃砲店や交番を襲撃した連合赤軍メンバーに対してすら、日本社会の一部の層などが抱いた一種の共感は、リンチ殺人により、幻想から幻滅へと百八十度変わった。学生運動は潮がひいたように衰退し、若者の政治離れは一気に進んだ。時代は移り、世界は民主主義と権威主義が相克の渦中にある。今こそ、若い世代が政治をわがこととして、とらえるべき時であろう。文学、芸術、ジャーナリズムなどあらゆる領域で、半世紀前の陰惨な記憶を乗り越え、政治と若者の関係性を編み直すような試みが求められる。

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