飛騨の山猿マーベリック新聞

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☆ウォルフレンとの共著『独立の思考』出版に際して(24日発売)

2013年05月08日 08時19分39秒 | ●YAMACHANの雑記帳

http://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar222427


はじめに――日本を思考停止させる「対米追随」のシステム 孫崎 享
 アメリカと良好な関係を築いてさえいれば、日本の平和は保証され、経済もまた繁栄する――。そんな?神話?が、日本ではいまだまかり通っている。
 民主党から政権を奪還した自民党は、安倍晋三首相を先頭に「対米追随路線」を突き進んでいる。民主党政権が模索した在日米軍普天間基地の沖繩「県外移転」の可能性は、安倍政権になって完全に消え失せた。自民党内にも反対が根強いTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加問題も、いち早く「賛成」が表明された。いずれもアメリカの顔色を窺ってのことだ。
 一九八〇年代末まで続いた東西冷戦下で、日本は戦争に巻き込まれることなく経済大国と成り得た。その背景にアメリカの庇護があったことは確かである。しかし、冷戦は終結し、世界の情勢は大きく変わった。ソ連崩壊によって世界唯一の超大国となったアメリカにしろ、かつての「アメリカ」とは全く違う国になってしまっている。
 もし、アメリカへの追随が、日本に「平和」ではなく、近隣諸国との「緊張」をもたらしているとしたら、皆さんはどう考えるだろうか。そして経済面では、「繁栄」よりも「停滞」の原因となっているとしたら……。
 対米一辺倒の日本を尻目に、近隣諸国は着々と連携を強めつつある。ウラジミール・プーチンは二〇一二年にロシア大統領へと返り咲いた直後、先進国で構成されるG8首脳会議には出席せず、中国も参加するG20を選んで出向いた。さらにロシアは一三年三月、中国が新興国を率いて進めた「BRICs基金」の創設にも加わった。外交のみならず国際金融の分野でも中国と連携し、先進国主導の体制に影響力を発揮しようというのである。
 ロシアと同様、韓国もまた中国との関係強化に乗り出しており、とりわけ経済分野での連携が強化されつつある。韓国経済界の意を受けてのことだが、同国では保守層までもが中国との連携に前向きだ。最近になって北朝鮮が韓国との休戦協定を一方的に破棄するなど「瀬戸際外交」を強める背景には、中韓の接近が影響していると私は見る。中国にとっては韓国との結びつきが深まれば、北朝鮮という「緩衝地帯」も必要なくなってしまう。それは北朝鮮にすれば、唯一の後ろ盾である中国から見捨てられることを意味する。だから北朝鮮は危機感を募らせているわけだ。
 こうして近隣諸国がそれぞれに連携を模索するなかでも、日本だけが相も変わらず「対米追随路線」を続けている。もちろん、対米追随が日本の国益に適うなら構わない。だが、現実を冷静に分析すれば、決してそうとは言えない状況が見えてくる。
 九〇年代初めにバブル経済が崩壊して以降、日本は長い不況から抜け出せていない。注目すべきは、その間に日本とアメリカの経済は一体化が大きく進んだことだ。経済復活のキーワードとなってきた「規制緩和」や「新自由主義路線」は、言い換えれば日本経済のアメリカ化に他ならない。結果はどうだったか。経済が立ち直る兆しはなく、世界における日本の存在感は低下していくばかりだ。にもかかわらず、日本はアメリカ主導のTPPに参加するという。一刻も早く、日本人は「対米追随」がもたらす繁栄という幻想から目を覚まさなくてはならない。
 その意味でも、私たち日本人はカレル・ヴァン・ウォルフレンの言葉に耳を傾ける必要がある。ウォルフレンといえば、著作に接した読者ならば誰もが認める慧眼のジャーナリストだ。外国人の目から、官僚独裁に蝕まれた日本社会の本質を鋭く暴いたことで知られている。私も彼の処女作となった『日本/権力構造の謎』(一九九〇年、早川書房)には深い感銘を受けた者の一人である。しかしその後、メディアで見かけることが少なくなっていた。
「もはや、ウォルフレンにかつての切れ味はなくなったのか」
 今回の対談が実現するまで彼と面識がなかった私には、そうした思い込みもあった。しかし、長時間に及ぶ対談を経て、私のウォルフレン観は一気に変わった。彼の切れ味は衰えるどころか、さらに鋭く、深化していたのである。
 ウォルフレンが成功して以降、「官僚批判」は日本社会で一種の流行となった感がある。だが、いくら官僚批判が盛り上がろうとも、官僚機構はびくともしないし、日本社会が変わるわけでもない。そのことは外務官僚として、長く官僚社会で生きてきた私が断言できる。
 今回、私が思い知ったウォルフレンの深化とは、もはや陳腐になった「官僚批判」という枠を超え、日本が抱える「タブー」の本質にまで切り込んでいることだった。
 例えば、「小沢一郎」に関しての考察だ。小沢一郎という政治家が、なぜメディアや検察から執拗な攻撃を受け続けてきたのか。その答えを初めて明確に示したのが、外国人のウォルフレンである。日本社会には、政治や官僚機構、メディアに至るまで「対米追随」のシステムができ上がっている。そんなシステムを小沢は根底から破壊しようとした。だから彼は、検察やメディアによる「人物破壊」のターゲットとなったというのだ。
「外交」から日本の問題を読み解いてきた私と、「官僚」を出発点に日本社会を論じてきたウォルフレンが、ともに「対米追随」という元凶に行き着いた。別々の道で山を登ってきた二人が、頂で出会ったようなものである。
 いつから日本人は、アメリカからの?独立?について真剣に論じなくなったのか。メディアも、官僚も、そして政治も、すべてが思考を停止してしまっている。そんな事実に私は、ウォルフレンとの会話を通じて改めて気づかされた。この本を読み終えた後、読者もまた私と同じ思いを抱くのではなかろうか。
?独立?とは、決して日本の平和と繁栄を妨げるものではない。むしろ、この国が将来にわたって繁栄を築くために必須の思考なのである。


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