白か黒か過程が重大なことも 考える政治を/地獄耳
★今、何かを知りたいと願えばニュースや情報に聞き耳を立てることがなくなり、ニュースを知るためにはたやすくネットで知りたい情報を手に入れることができるし、その方が早い。無論、これに慣れた人たちや、この方法しか知らない人たちに苦言があるわけではない。その結果、結論だけわかれば、解答だけわかればいいという時代になった。物事は正しいか間違いか、やったかやらなかったか、進んだか止まったか。マルかバツか、白か黒かが答えになった。
★政治には両面ある。法律はできたが抜け道が多いザル法もあれば、10の公約のうち3が達成、2が達成半ば、残りは手付かずの場合、成功とみるか失敗とみるかは受け取る側でまちまちだ。場合によっては何が正しいか結論が出ないものもあろう。一方、投票や選挙といった類いは明確に結果が出やすいので今の情報収集にはなじむものなのかもしれない。ところが物事はその混合で成り立っている。
★新聞なら見出しで大筋、リードで要約がわかり、本記でじっくり内容を精査できるが、今はその新聞もネットにこぞって記事を出すため、ネット用の見出しがつけられるために記事の意図と逆の見出しが躍ることもある。政治は結果責任と言われるが、そのプロセスが意味を持つ場合もある。結果はこうなったが、その過程で起きたことの方が重大な要素をはらむ場合がある。だからニュースはややこしい。
★27日、久米宏がラジオ番組の最終回で言葉について直言している。自身のラジオ愛を語る中で、昨今の風潮を憂いた。「日本人が浅慮になった」というのだ。「ラジオで話してる人って、SNSに比べれば起承転結がしっかり話していて、途中まで聞くと危ないんだけど、最後まで聞くと『あぁそういうことなのね』ってふに落ちるような話をしていて。SNSみたいに書き出しの3行で終わるようなことはない。結論の2行もちゃんとある」。瞬間に反応するのではなく、考える政治を導き出すための努力を続けたい。(K)※敬称略