つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町のレイクサイド。

2012年05月26日 18時14分06秒 | 自然
「今日の一枚」は、津幡町・庄の「コメリパワー津幡店」裏から望む内灘。
画面左手奥…彼方に金沢医科大学病院。
手前は、整備され、均一に区画された水田と、真っ直ぐに伸びる農道。
その間には「石川県で一番大きな水辺」…
津幡町・内灘町・金沢市にまたがる「河北潟」が横たわっている。

河北潟は、内灘砂丘の発達によって日本海と遮断されてできた「潟湖」。
成り立ちは数千年前に遡る。
元々は、海水と淡水が混ざった「汽水湖」。
サイズも、東西4km、南北8kmと、今の3倍の大きさを誇っていた。
それが、1963年に始まった国の干拓事業により、水面積が縮小。
海水が入りにくくなってゆき、1980年、水門が設置されて海と隔絶。
完全に淡水となった。

こうした劇的な環境の変化は、河北潟の自然にとってマイナス面がある。
例えば、水が減り浄化力が落ちて、流れ込む生活排水などの負荷が増加。
水質が悪化した。
また、シジミやボラ、スズキなどの汽水性の生物が激減。
干拓以前、盛んだったこれらの漁ができなくなり、
周辺住民との繋がりが希薄になった。
かつて「蓮湖」と呼ばれた水辺から、オニバスの姿が消えた…。

しかし、一方、干拓によって出来た土地には、
ヨシを中心とする広大な草原が出現。
そこは、絶滅危惧種に指定された希少小型猛禽類…「チュウヒ」、
津幡町の鳥ハクチョウをはじめ、オオヨシキリ、ノスリ、オナガなどの生息地。
津幡町の地平は、北陸有数の野鳥の棲家なのだ。
コメント
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