つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

物悲しき残暑の置き土産~抜け殻と訃報。

2010年08月30日 06時23分09秒 | 追悼。
8月が終わろうとしている。
しかし、夏の気配は、まだしぶとく居座っている。
そろそろ、2010年の夏の状況が発表されると思うが、
真夏日・猛暑日の日数、熱中症の被害もかなりの記録になりそうだ。

以前にも書いたとおり、朝晩こそ静かになったものの、日中は蝉時雨が鳴りやまない。
「今日の一枚」は、先日、津幡町・加賀爪の「弘願寺」の境内で見つけた「蝉の抜け殻」。
例年なら夏も終わりになろうという頃なのに、新たに羽化する個体がいるらしい。
これは、まだ暑さが続く前触れかもしれない。
そして、このタイミングで目にする抜け殻は、何となく寂しい感じがするが、
きのう「山本小鉄さん」の訃報に接し、一層、物悲しさを掻きたてられる。

「力道山」最後の弟子として「日本プロレス」に入門し、
「星野勘太郎」とのタッグチーム「ヤマハブラザース」として
アメリカ・テキサスのマットを中心に活躍。
その後、「新日本プロレス」の旗揚げに参加。
現役引退後は、「新日」でレフェリー、コーチを務める傍ら
「ワールドプロレスリング」の解説者としてマイクの前に座った。

僕にとって「小鉄さん」は、正直レスラーとしてより、解説者としての印象の方が強い。
常人離れした体格のレスラー達が、常人離れしたトレーニングで鍛え上げた力や技が、
いかに凄いかを分かりやすく教えてくれた名調子。
「古舘伊知郎」との息の合った名コンビぶりを楽しみに中継を見ていたものだ。
決してスマートではないが、リング上での小気味いいレフェリングも忘れられない。

また、僕が高校一年の夏、
金沢の卯辰山相撲場にやって来た「新日」の夏巡業を思い出す。
当時の地方興行は、ファンが若手に混じって設営を手伝うなど、ずい分と和やかムード。
汗をかきつつリングの床板を運ぶ僕に、「小鉄さん」が笑顔で声をかけてくれた。
試合開始前には、組み上がったリングの上で若手が基礎練習をするのだが、
その横には、先ほどとは打って変わって厳しい形相の「小鉄さん」。
竹刀片手に指導する様子を見て、なるほど、噂通りの鬼軍曹なのだなと実感した。

「山本小鉄」、低酸素脳症のため逝去。 享年68。
昭和の思い出が、また1つ消えた。
合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする