8月が終わろうとしている。
しかし、夏の気配は、まだしぶとく居座っている。
そろそろ、2010年の夏の状況が発表されると思うが、
真夏日・猛暑日の日数、熱中症の被害もかなりの記録になりそうだ。
以前にも書いたとおり、朝晩こそ静かになったものの、日中は蝉時雨が鳴りやまない。
「今日の一枚」は、先日、津幡町・加賀爪の「弘願寺」の境内で見つけた「蝉の抜け殻」。
例年なら夏も終わりになろうという頃なのに、新たに羽化する個体がいるらしい。
これは、まだ暑さが続く前触れかもしれない。
そして、このタイミングで目にする抜け殻は、何となく寂しい感じがするが、
きのう「山本小鉄さん」の訃報に接し、一層、物悲しさを掻きたてられる。
「力道山」最後の弟子として「日本プロレス」に入門し、
「星野勘太郎」とのタッグチーム「ヤマハブラザース」として
アメリカ・テキサスのマットを中心に活躍。
その後、「新日本プロレス」の旗揚げに参加。
現役引退後は、「新日」でレフェリー、コーチを務める傍ら
「ワールドプロレスリング」の解説者としてマイクの前に座った。
僕にとって「小鉄さん」は、正直レスラーとしてより、解説者としての印象の方が強い。
常人離れした体格のレスラー達が、常人離れしたトレーニングで鍛え上げた力や技が、
いかに凄いかを分かりやすく教えてくれた名調子。
「古舘伊知郎」との息の合った名コンビぶりを楽しみに中継を見ていたものだ。
決してスマートではないが、リング上での小気味いいレフェリングも忘れられない。
また、僕が高校一年の夏、
金沢の卯辰山相撲場にやって来た「新日」の夏巡業を思い出す。
当時の地方興行は、ファンが若手に混じって設営を手伝うなど、ずい分と和やかムード。
汗をかきつつリングの床板を運ぶ僕に、「小鉄さん」が笑顔で声をかけてくれた。
試合開始前には、組み上がったリングの上で若手が基礎練習をするのだが、
その横には、先ほどとは打って変わって厳しい形相の「小鉄さん」。
竹刀片手に指導する様子を見て、なるほど、噂通りの鬼軍曹なのだなと実感した。
「山本小鉄」、低酸素脳症のため逝去。 享年68。
昭和の思い出が、また1つ消えた。
合掌。
しかし、夏の気配は、まだしぶとく居座っている。
そろそろ、2010年の夏の状況が発表されると思うが、
真夏日・猛暑日の日数、熱中症の被害もかなりの記録になりそうだ。
以前にも書いたとおり、朝晩こそ静かになったものの、日中は蝉時雨が鳴りやまない。
「今日の一枚」は、先日、津幡町・加賀爪の「弘願寺」の境内で見つけた「蝉の抜け殻」。
例年なら夏も終わりになろうという頃なのに、新たに羽化する個体がいるらしい。
これは、まだ暑さが続く前触れかもしれない。
そして、このタイミングで目にする抜け殻は、何となく寂しい感じがするが、
きのう「山本小鉄さん」の訃報に接し、一層、物悲しさを掻きたてられる。
「力道山」最後の弟子として「日本プロレス」に入門し、
「星野勘太郎」とのタッグチーム「ヤマハブラザース」として
アメリカ・テキサスのマットを中心に活躍。
その後、「新日本プロレス」の旗揚げに参加。
現役引退後は、「新日」でレフェリー、コーチを務める傍ら
「ワールドプロレスリング」の解説者としてマイクの前に座った。
僕にとって「小鉄さん」は、正直レスラーとしてより、解説者としての印象の方が強い。
常人離れした体格のレスラー達が、常人離れしたトレーニングで鍛え上げた力や技が、
いかに凄いかを分かりやすく教えてくれた名調子。
「古舘伊知郎」との息の合った名コンビぶりを楽しみに中継を見ていたものだ。
決してスマートではないが、リング上での小気味いいレフェリングも忘れられない。
また、僕が高校一年の夏、
金沢の卯辰山相撲場にやって来た「新日」の夏巡業を思い出す。
当時の地方興行は、ファンが若手に混じって設営を手伝うなど、ずい分と和やかムード。
汗をかきつつリングの床板を運ぶ僕に、「小鉄さん」が笑顔で声をかけてくれた。
試合開始前には、組み上がったリングの上で若手が基礎練習をするのだが、
その横には、先ほどとは打って変わって厳しい形相の「小鉄さん」。
竹刀片手に指導する様子を見て、なるほど、噂通りの鬼軍曹なのだなと実感した。
「山本小鉄」、低酸素脳症のため逝去。 享年68。
昭和の思い出が、また1つ消えた。
合掌。