我が師匠:竹宮惠子先生から新刊が届きました。
「少女漫画に革命を起こした漫画家の半生記」
こ、これは!?と、息をするのも忘れるくらい、
一回も手を止めることなく4時間かけて一気読み。
感動巨編でした。
作家が描きたいもののために、どんな困難を乗り
越えるのか、どんな葛藤があるのか、いかに先生
が少女漫画のタブーをやぶったか!
すべてが赤裸々に綴られています。
そして、みんなが知っていても言えなかった最大
のもう一つのタブーは、同じ時代に同じように革
命を起こした天才漫画家:萩尾望都先生との奇跡
のような共同生活!
「大泉サロン」ができたいきさつと、解消にいた
るまでの竹宮先生側から見た苦悩。
漫画家デビューして、上京、孤独なひとり暮らし、
運命に導かれるように萩尾望都という同じ年齢の
新人漫画家と出会い、同居することに…。
ドキドキが止まらない。
先生はどう書く気なんだろう??
熱気を帯びた若い才能が集うサロンの話から、そ
こを飛び出すまでのことを。
涙が出た。
まさか先生がこんな本を書くとは夢にも思っていな
かったので、心の底から驚きました。
大泉サロンのことはいつか誰かが歴史に残さないと
いけない!と思っていて、でも当事者の竹宮先生と
萩尾先生が書くわけがないから、と、ふたりを結び
付けたもうひとりの当事者NONさまこと増山法恵
さんから40年に渡りモレ聞いた話を覚えておいて、
いつか私が…なんて、冗談で言っていたのですが、
御大自ら記する日が来るなんて~
聞いてなくても感じていたことや、気が付いていた
こともありましたけど、知らなかったこともいっぱい。
光栄なことに、私の名前も出て来ました。
高校1年生の夏、日本橋三越の屋上に駆け上ったあの
日。それは竹宮惠子という雲の上の存在の漫画家に会
える夢のようなサイン会。
そこで私の運命が変わり、3ヶ月後には公認ファンク
ラブを設立し、2,000人以上の会員さんのトップ
に立っていました(好きだとすぐに会いに行き、応援
団を立ち上げてしまう、どうしようもない「ファンク
ラブ体質」)。
時が流れ、2012年に萩尾先生が、
2年遅れて2014年には竹宮先生が紫綬褒章を受賞。
あまたいる少女漫画家でこの賞を受賞したのは、今の
ところ、このおふたりだけです。
少女漫画界に革命を起こすことを夢見て、若き日共に
同じ屋根の下に暮らしたおふたりが、少女漫画で初め
て男の子同士の恋愛を描き、教育的にけしからん!と
言われたことも多々ありながら、国から勲章をもらい、
そしてついに竹宮先生が自ら当時の気持ちを告白した…。
あ~~長く生きてるとこんな日も来るんだなぁ~。
1970年代、24年組の漫画に熱狂した人は、絶対
に読んで欲しい
心から思います。
すみませんm(__)m。コメントにぜんぜん気が付かずにおりました。申し訳ありません。
Facebookとリンクしているため、コメントはほぼFB上で行っていたため、盲点でした。
24年組の軌跡は絶対残したいですよね。歴史的なすごいエピソードだと思います。
いつか増山さんや当時を知る人たちが記さなければ…と思っていましたが、当事者本人が本を出すとは思いもよらず、ビックリしました。とは言っても、竹宮先生側からみた大泉サロンなので、本当に間に合ううちにみなさんのお話を聞きたいですね。
初めてコメントいたします。今日息子と池袋西武へ買い物に行き、別館へつながる屋上を歩きながらふと「そう言えば、中学生の頃竹宮さんや山岸さんのサイン会に来たな~。」と懐かしく思いながら書店を覗くと、何とジルベールの表紙が目に飛び込みまして。懐かしさの余り即手に取りレジへ。先ほど一気に読み終えました。あの当時大泉サロンと言えば少女漫画ファンにとっての聖地でありました。若い女性だけのヨーロッパ旅行もまだ珍しかった時代、よくぞ決行されたと今でも思います。それまでのロマコメ主流の少女漫画界に自由な表現を掲げて、綺羅星の如く登場した花の24年組。多感な小中学生の時期に、夢中になった日々に暫し戻ったようです。当時の大泉サロンを直に知る方々のお話も、もっと聞いてみたいと思いました。