音楽堂は美しいが、欠陥建築だった。
設計と監理、施行も完璧だったのに、欠陥建築になったのは、施主の不勉強と妄想の所為だ。
全国的な音楽堂建設ブームに乗って、演奏会興行や、聴衆の本音、出演者の都合、裏方業務実態などを考慮せず、突貫工事で建設してしまった。
公の目的は、別荘地の付加価値の向上だが、実際は雇われ社長のオーナー対策。
オーナーは芸術全般に異常な関心があったからだ。
素人が集まって、「理想的な音楽堂」を発注したのだ。
設計・監理は吉村順三建築事務所。施工は長野県の主要企業の北野建設。音響設計はヤマハ音響研究所。空調はダイダンが担当し排気音を最小に抑えた。
どちらも、いい仕事をしてくれたと思う。
主な建築材は唐松の無垢材。八ヶ岳連峰を模した簡潔な外観は、夕暮れに点灯すると神々しいほど美しかった。
内装は和風。飾りは一切無く、美術にも煩いリヒテルが、
”huum, siple is best”と唸ったほどだ。(原文はロシア語ですよ)
森男は上棟式から、この仕事に参加した。
誰も知らない出向先の会社で、やった事のない仕事を任されたから、迷走に次ぐ迷走だったが、表面的にはデカイ面をしていた。
社内は建設を発想した社長・文化人社員と、内心建設反対のオーナー異母弟派に別れ、実権を握っていた異母弟派に音楽堂は白い目で見られていた。
高原の事業所長にもイジワルされた。
音楽堂俯瞰撮影用の高い櫓に登らされて揺すられたり、雨漏りで罵倒されり..........。
ま、これは現場を知らないくせに、シャラクサイ言葉を連発したんだから許そう。
ホワイエの背丈程もある壷は、森男の年収に匹敵する報酬で、音楽堂のロゴデザインを担当した田中一光先生の寄付。
室町時代の備前焼と言ってた。立派だが本物かな。
契約では什器備品は吉村順三設計事務所が監修担当。
だが、監修料が高いので、めくら蛇の森男が了解無しで全て買い付けてしまった。
一光さんの壷や吉村先生の意匠に合わせて、地味だが最高級のものを購入した。
舞台の椅子はN響やサントリーホールより上等だし、楽屋の家具は本革張りのイタリア製、トイレの一輪挿しは備前焼、石鹸はエルメス、玄関マットは和歌山特製のサイザル麻という贅沢さだった。
しかし、異母弟に気遣って、スタインウエイピアノ、衛星放送発信設備、一光先生の玄関プレートを断ったのも、投資額抑制策。
社内では珍しく予算内で完成したが、文化人たちからは睨まれてしまった。
その後音楽会に行っても、先ずハードに関心が行ってしまうのは、この時のトラウマだ。
音響設備はよく分からないまま設置したが、とりあえずクラシック音楽中心の演奏会を続けたから問題は発生しなかった。
とにもかくにも、完成したのは、音楽祭初日の前日!。
普通、新しい音楽ホールは数ヶ月音馴らしをやるそうだが、即オープンという慌しさだった。
オーナーは通例、開業直前に絨毯の変更や、屋根(!)の付け替えを指示するが、無事に合格した。
吉村・田中・リヒテルの威光のお蔭かも知れない。やれやれだった。
音楽祭のポスターは庭園工事が間に合わず、未熟な合成写真のため、音楽堂は登り窯のように見えた。
この見事な音楽堂を欠陥建築とする根拠は以下のとおり。
・ホールのガラス屋根から雨が漏る。
(社員にタオルを持たせて客席に配置し、凌いでる内に自然に直った)
・ホワイエや厨房の音がホールに響く。
・ホール周囲のガラス引戸が結露して、床がびしょびしょになる。
・スタッフの控室が無い。地下のボイラー室で待機する。
・玄関車寄せの屋根が低く、雨天の際、仮設テントで送迎バスを覆う。
(しかも、乗用車の駐車場は騒音を理由に数百メートル先の林間に設けた)
・厨房が狭く、休憩時の立食準備がしにくい。
・楽屋はホワイエより広く、贅沢。
音楽堂はクラシック音楽の聖堂として、社内に位置付けられた。
しばらくして、建設した会社は当然のことながら倒産した。
あれから20年。欠陥は改善されただろう。
いま、行ってみたい。だが、時間はたっぷりあるが........。
知人がいれば掃除夫として潜り込み、勝手知ったる天井裏で、リヒテルの時のように演奏会を楽しめるが.....。
だが、当時の人々はリストラで散り散り。最早、年金生活者になっている。
あの「理想的な音楽堂」が、レストランになっては困る。
ゆとりのある方々、是非音楽会の切符を買ってやって下さいね。
八ヶ岳高原の「秋のソナタ」は、決してソンしませんよ。
♪以下、アンコール2曲♪
地元がこの音楽堂を羨んで、羽田孜先生に村の音楽堂の建設を陳情した時、羽田先生は、どうせ何時も空いてるはずだから無料で借りればいい、と陳情を受け付けなかった。
先生の省エネルックは頂けないが、政治姿勢は支持します。
事業所長は地元対策として、聖堂をおばさんたちの合唱会の会場として、本社に内緒で貸していた。
正しい対応と思った森男は、知らん顔していた。