★ もう2月になった。
3月になると90歳になるので「80歳代もあと1か月」である。
お陰様で私自身は80歳代を元気に楽しく生きてこられたのだが、
80歳になった3月2日は、華々しい幕開けだった。
ホントに突然だったのだが、
その日の朝8時に、稲田三郎さんが80本のバラの花束をわざわざ家までお持ち頂いたのである。
個人的に花束を頂くのは初めてのことだったし、まして「80本の薔薇の花束」である。
その日のブログにこのように書いている。
そしてその日は、
京都であった「マウンテンライダースの50周年記念パーティー」でも
小島松久さんから誕生日のお祝いにと花束を頂いた。
そんな華々しい80歳代のスタートだったのだが、
この10年間、私自身は至って元気に過ごしたのだが、
ある意味、仕方のないことだが多くの人とのお別れがあった。
私が80歳まで生きてホッとしたのだろうか、
この年の5月に母が103歳で逝ってしまった。
80歳になった時、花束を頂いた稲田三郎さんも私より20年近くお若いのに・・・・
カワサキ時代のレース関係で親しかった
安良岡健・金谷秀夫・岡部能夫・歳森康師・金子豊などもいなくなってしまった。
本当に残念で悲しいことなのだが仕方のないことかも知れない。
★ 人の人生はいろいろである。
私など20歳代の時に肺浸潤になって、
それでも野球を続けていたら、肺に空洞が出来てしまって、
長くは生きられないなと思って書き始めた日記が今も続いている。
そのほかにも68歳の時に「くも膜下」になってもうだめかと思ったら、生き返った。
85歳の時には風呂で失神して死にかけたが、意識不明の状態からこの時も生き返った。
こんなことを経験しているのだが、人の人生=運 だなと思っている。
つい先日も「私の人生ツイている」というブログをアップしたが、ホントに「ツイている」のである。
前述したように3度死にかけているのだが、
3度とも周囲の人が上手く援けてくれたのである。
● 肺結核で空洞が出来てた時は、それでも野球を止めなかったのだが、
診療所の先生にユニホーム姿を見つかって強制的に療養所に入れられたら、
1年で空洞が消えてしまったのである。
● 「くも膜下」で倒れたのは、札幌の警察署の本庁だったので、直ぐ救急車が来て、
専門医が30人もいるこんな立派な脳外科専門病院に10分後には運ばれたので、手術もせずに元通りに元気になった。
その時の先生曰く「ほかの病院なら手術をしただろう。非常にムツカシイところが切れてたので、手術をせずにということは会議で決めた。」と。
ホントに運が良かったと思う。
● そして3度目の風呂での失神の時には、運よく娘と孫がアメリカから遊びに来ていて、孫が風呂から引き揚げてくれたのである。
家内と二人だけだったら、果たしてどうなっていたのか?
★ そんなことで、とうとう90歳まであと1か月、何とか90歳は迎えられそうである。
わが家系は祖父も父も伯父も早死にで、みんな50歳代に亡くなってしまったので、男は早死にだとずっと思っていたのだが、
祖母は102歳、母は103歳まで生きたので、そのDNAを運よく受け継いでいるのかも知れない。
60歳代までは、健康的なことは何もしなかったのだが、
70歳代からストレッチを、後半からはダッシュを始めて
80歳代はずっと運動は続けたので今はホントに調子がいい。
こんなことが自由に出来るのも、
家の中のことはすべて家内がやってくれるので、
私は自分のことと庭だけ見ていればいいのである。
家内は今年7月には86歳になるのだが、家内が元気でいてくれたら、
私も心配せずに長生きが出来そうなのである。
そんなことで100歳を目指すことにするか?