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雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

思えば遠くへ来たもんだ

2007-05-16 05:42:28 | 樋渡啓祐さんのこと
「2年。思えば遠くへきたもんだ」 と題して、樋渡さんがこの2年間の感想を纏めておられる。

私が樋渡さんのことを知ったのは、昨年の6月である。
高槻市の 「こちら部長室」 のコメントを読んで共感したのだが、
私が知らなかっただけで、その頃は既に武雄市長になっておられたのである。

樋渡さんにネット上でお会いしなかったら、多分ブログなど始めたりしなかったと思う。
そんな樋渡さんのブログは、以前に、はじめから殆ど読んでいるのだが、もう一度読み直してみた。

高槻時代の 「市長でなかった時代のブログ」 の中から、
特に 「共感を覚えるもの」 を各月一本ずつ 「私自身のために」 整理して纏めておきたいと思う。



ご関心のある方は、どうぞ。

2005年5月 ブログと明治国家
今、問われているのは、 「協働のやり方」 ではなくて 「何をやりたいのか」「何をすべきか」。  
でも、 「やり方の議論」 が一般的です。
樋渡さんらしくなく、文章少し長いが中味は大変面白い。

6月   講演予定メモ
講演の内容が並んでいるが,
「外からの視点」「ブランド」「何よりも情報発信力」「組織よりもまず個人」「デジタル社会は個人社会」「変ることが善」  その通りだと思う。
一般に当たり前の話だが口先では言えても、本当に実行するのは難しい。

7月 武雄での講演メモ
今、企業と自治体に求められていることは、
役割分担はもう旧い。「役割融合、プロジェクト化、フラット化。」
「自治体は頑張っているところを応援すべし」 大賛成である。
一律ばら撒きの発想は「税金の無駄遣い」だと思うのだが。
何も考えることをせずに、差別化の発想はかけらもなく、 「見せかけの公平に」 が主流です。

8月 研修レジュメ
高槻のまちづくりについて、「課長以上は70%が企画と判断」。作業が仕事だと思っている管理者が多すぎる。
「これからの都市競争は、その道のプロしか残らない」。  競争をしているという意識が、現状の自治体にどれだけあるだろうか。
「情報を出せば入る仕掛け」  そうです。 仕掛けがないから、出すだけになってしまうのです。

9月 某県庁講演レジュメ案
いろいろ言われているが、 「ブログを始めて仕事、人生が変りつつある」 という感想に特に共感。 実感しています。 
私も今現役だったら、間違いなくブログやって、必ず毎日更新しているだろう。
今は、簡単に情報発信、収集が出来る 「いい時代だ」。
作業をするには必要ないかも知れぬが、仕事には絶対必要。利用しない手はない。
講演後寄せられたメールの意見も面白かった。

10月  ネット市民
沖縄の座間味村の話ですが、無茶苦茶面白いと思います。
でも、一般には理解できないのかな、とも思います。
樋渡さん、この種のこと、是非やるべきです。
アタマだけで、お金は余り(殆んど)要らない筈です。

11月 ちょっと嬉しい話
15年8月11日、「こちら部長室」の樋渡さんの第一声は「全国一のホームページを目指そう」と宣言してスタートしている。
昨年、高槻市は広報コンクールで、見事「ホームページ日本一」の栄冠を手にしておられる。 
これはまだその途中の話だが。

12月 さよなら
17年12月20日、第62回最後の「こちら部長室」にこの写真が使われている。
「出来ない理由よりは出来る理由を探そう」と最後に結んでおられます。
ブログではご自身を「風」とよんでおられます。




樋渡さんが市長でなかった時代、どのようにお考えだったのか。
市長になられた今と、何か違うところがあるのだろうか。

そんなところも興味があったのだが、
基本的にそのスタンスは全然変っていないとの印象である。 有言実行。

共感するところ、いっぱいである。

ずっと並べてみると、やはり 「ちょっと変っている才人」 である。


ところで、カワサキの大ヒット商品 「ZEPHYR」 は 「西からの風」 という意味をもっているのご存知ですか。

武雄からの、西からの 「新しい風」 を期待します。


雑音に耳を貸すな

2007-04-28 05:58:46 | 樋渡啓祐さんのこと
「雑音に耳を貸すな」 小野田滋郎さんの送別会の席で、小野田さんが 「私にくれた言葉」 である。

小野田さんは、私の生き方に大きな影響を与えてくれた人で、このブログでも何度か触れた。
あのフィリッピンの小野田中尉の弟さんである
世の中にはこんな素晴らしい人が居るのだと、そう実感させてくれた。
今年、年賀状が来なかったが、噂によると亡くなられたとか。 心からご冥福を祈りたい。

私が20代後半頃のことだが、
何事も出来すぎる小野田さんを 「何かと悪く言う人も多かったので」
その時は、ご自分のことを言っておられるのかと、思ったりしていた。

自分が年をとって、当然ながら会社の中の仕事も、そこそこ中枢に属するようになった。
さらに、90年代に入ってからは、実績もよく社内だけでなく業界や、日経などにも取り上げられたりすると、大学の先生からのインタビューが入ったりして、自分でも信じられないような展開になったのである。


ところが、外の評価とは別に、身近なところからの雑音が聞こえ出したのである。
「雑音に耳を貸すな」 と言った小野田さんの言葉を、このときしみじみと思い出し、自分の行く方向をきっちりと確かめ直したのを覚えている。

このブログで、はじめて樋渡啓祐氏について触れたとき「その意見や仕事の進め方に、共感を覚えたのは小野田さん以来と言っていい。」と感想を述べている。
まだその頃はこんなに身近に樋渡さんと繋がるとは、夢にも思っていなかった。



先日の「武雄市長物語」。

佐賀新聞の古賀史生記者の特集記事の中に採り上げられている問題について、珍しく樋渡さんがコメントをされている。

物事上手く行き過ぎると、その時「雑音」と思われるものが出てくるのである。
意見を言っている人たちは「雑音」でなく、それが「正論」であると信じておられるのだと思うが。

「具約42」についても、その冒頭に書かれて下線が敷いてある基本コンセプトの部分には関係なく、個別の問題ばかりを取り上げるのは、「雑音」と見られても仕方がないと思うのである。


その冒頭には
「武雄に生まれて良かった、育って良かった、帰ってきて良かった」といった「ぬくもり」のある元気な、新、武雄市を市民と共に一緒に造り出す。

次世代につながる風格ある都市づくりのために、10数年、舵取り役を行いたい。


と明確にステートメントが記されている。
樋渡さんの市政の1年目は、この「基本コンセプトに示された方向に聊かの狂いもない」、
他のまちに住むものから見ると羨ましいばかりの実績だと思うのだが。


何度も、明言している樋渡ファンの私から、 2年目をスタートされた樋渡啓祐市長に、

小野田滋郎さんが、私に贈ってくれた 
「雑音に耳を貸すな」 の一言を贈りたい。

樋渡武雄市長、就任一周年記事と私の感想

2007-04-21 06:24:16 | 樋渡啓祐さんのこと
昨日の武雄市長物語。就任一周年と題して西日本新聞、田代芳樹記者の大きな記事が紹介されている。

新聞記者の記事だから当然ではあるが、
「いいところもあるが、まだ足りないところも」と指摘している。

「市政運営にブログ」、「職員、市民の意識変化」、「型破りの手腕に戸惑いも」とあり続いて小さな見出しで、「関心高める狙い」、「次々に行動起こす」、「真価はこれから」と続いている。

樋渡さんは、「1年が10年に感じた、中味の濃い日々でした」とこの1年を振り返り、この記事に対しては、田代記者はよく取材されていると褒めている。
そして、むきに反論などする気配など微塵も見せず、僕自身は「型破り手腕」などと思っていませんがと、さらっと結んでいるのはいつもの樋渡流である。



私は、ここ1年にも満たぬことではあるが、高槻の市長公室長時代の「こちら部長室」で樋渡さんに出会って以来、120%の樋渡ファンであるから、そのスタンスで感想を述べてみたい。

まあ、阪神ファンみたいなものだから、「あばたもえくぼ的」なところもあるかも知れぬが、そこは大目にお許し願いたい。


まず、西日本新聞に武雄市のことがこんなに大きく採り上げられることだけを見ても「大成功」である。

全国の首長さんで就任1年目で特集を組んで貰えるのは、まず異例のことだと思う。
その可能性が今あるのは、宮崎県の東国原知事ぐらいではなかろうか。

それだけ見ても、「一般の人たちが注目するに足る業績」があったという証しである。
「一般の人たち」が注目や関心を示さぬことを新聞が採り上げたりは、決してしないものである。

何故、一般の人たちや市民が関心を示したのか、そしてマスコミが注目したのか。
自然に「関心を示した」「注目した」のではなく、「---させた」のである。

樋渡さんのこの1年の動きを見ていると、到るところに「仕掛け」がある。それも「遊びごころ」がある。
この辺りの感想は先日「仕掛けと遊び心」で感想を述べた


もう一つ、行政に効果的に「マーケッテング」が取り込まれて、それが「実効」を挙げている。

マーケッテングは世の誰もが本で読んだり、調査や広報など「実行した経験」はあるのだが、不思議なほど「実効を挙げた」人や企業は少ないのではないかと思う。

私見ではあるが、その理由は 「マーケッテングマインド」 がないのである。
知識、見識があり広報も「マーケッテングが何たるや」もよく理解している人や優秀な人は大勢いるのだが、
相手の立場から常に物事を考える 「マインド」を 「体質として持っている人」 は、極めて少ないと思っている。

また、ほんの些細なことでも、大きなことに結びつく可能性のあるものを 「見逃さない感性」。
「佐賀のがばいばあちゃん」は武雄市に大いに貢献したのだが、ロケ地の立候補の動機は一市民のメールである。そんな小さなことを見逃さない感性が、大きな成功に結びついているのである。

樋渡さんは、こんな資質や、仕事に対するスタンスや感性、をみんな持っている。
それでいて、一言でいえば「東大卒のイヤミ」がない。
ひょっとすると「東大卒」が嫌いなのかも知れない???。経歴には確か記載されていなかった。


田代記者は「真価はこれから」と言い、樋渡さんも同調しておられるが、そんなことはない。
「真価は既に発揮されている」のである。

こんなに進歩や変化の激しい現代で、1年で真価が発揮できない人が何年か経ったら真価が発揮できると思うのは「錯覚か幻想」である。

記事の中に、
一見派手に見える市政運営だが「ハード面よりもソフト面の施策が目立つ」。
職員のやる気を感じるという一市民は「とにかくやってみる」という前向きの姿勢になった、とある。
簡単なようで行政に限らず企業でもなかなか出来ないことである。

もうひとつ、市議会の質問に「市民が本当にしてもらいたいことにもっと目を向けるべきだ」
よくある発言だが、この方の言う市民とはどんな市民なのか、建設や土建業の市民の方の要望はよく解るが、「一般の市民が本当にして欲しいこと」、こんなに価値観が多様化している時代にそれを知ることは、マーケッテングマインドがあっても、それを知ることは本当に難しい課題なのである。
本当にそれが解って仰っているのだろうか。


率直な私の感想である。「少し褒めすぎたかな」と思うが、ファン心理なのでお許し願いたい。

仕掛けと遊び心

2007-04-07 06:11:19 | 樋渡啓祐さんのこと
何度も採り上げるのは面白いからである。

掛け声ばかりで、なかなか前に進まない他の自治体を尻目に、
佐賀県武雄市樋渡啓祐市長は独走状況になってきた。

昨日の武雄市長物語も面白い。

こども部を造ったら、「子育て応援の店」が急増したというのである。

「行政が笛を吹いてもなかなか市民の皆さんが呼応して頂けないと言うのが全国のどの自治体にも見られるケース。然し武雄は今人気沸騰のがばいばあちゃんもそうですが多くの市民の皆さんが参加して頂けます。」と言っておられます。


何故、武雄市だけがそんなに上手く動くのか。

さらっと、樋渡さんは言っておられるが、ここまで来るまでにホントに沢山の仕掛けを造っておられるからだと思っている。
この短い文章の中にも、リンクで繋いでヨコへの広がりを図ったり、人への心遣いが素晴らしい。

一般に企業でもどこでも方針を出し、計画を発表するまでは熱心だが、
目標実現のための「仕掛け」には全然関心も示さないし、「仕掛け造り」などという言葉すらアタマのなかにないのである。

方針や計画を打ち出せば、部下が動くのは当然と思っているトップが多すぎるのではないだろうか。
計画が出来たら、「出来た」と完結してしまう、タテ型組織の弊害である。そこから細かい仕掛けを造ってヨコに繋ぐ努力をしない。
そんなことでは部下は勿論、命令権のない市民が動いたりは絶対にしないのである。

樋渡さんのやり方は、ホントに小さなことも見逃さない仕掛けがあちこちに見られる。それは見事である。


何が仕掛けかと言われると難しいが、
一言でいうと「人の気持ちが解っている」というか
「人の気持ちを大事にしている」それが仕掛けに繋がっている。

そして、「何となく遊びの感覚がある」ので人は動くのである。

世の中では、「仕事よりは遊びのほうが楽しいに決まっている」というのが相場なのだが、
実は、上手く動き出すと「仕事は遊びよりもずっと楽しいもの」なのである。

それがが成功するともっと楽しく、それに参加した人たちはみんな胸を張り誇りをもつのである。

今、武雄市はそんないい状況になっている。それを切らすことなく繋いでゆく仕掛けがいっぱい見られる。
「市長としてこの動きを強く、そして、大きくしてゆきたいと思います」と宣言して結んでおられる。


物事の真の目標を「実現するために」是非「小さな仕掛け」でも仕掛けてみられてはと思うのだが。



何でもあり

2007-03-13 06:09:10 | 樋渡啓祐さんのこと
各地方の議会が始まる時期らしい。
議員からの事前質問に対して、どこでも熱心に勉強会があるのが普通のようである。

何度もこのブログで採り上げている武雄市の樋渡市長が明日から始まる議会に望む態度をブログに書かれている。

私が何度も樋渡さんのことを採り上げるのは、考え方がそっくりで共感を覚えるからである。
ただ、その考え方やアプローチの態度は、世間一般の常識とは少なからずかけ離れていて、普通ではないことが多いのであるが。

それ故に樋渡さんの発言は、私の生き方に対する応援歌のように聞こえるのである。


然し、世の中では事前勉強会のような種類の会議や打ち合わせを何度も積み上げていく手法が一般的であり、
議会対策として事前勉強をするのが普通で、
「何でもあり」で望むのは普通一般的ではないようである。


私も現役時代、いろんな会合、会社での上級会議、デーラーミーテング、方針発表会、組合との協議会、講演会、などなど、
自分の考えや方針などを発表したり議論したりする機会は多いほうであったが、
一度も事前の打ち合わせや、演説原稿など準備したことがない。

常日頃、自分の考えとして確固としたものを持っていれば、
如何に事前勉強しなくても 「それ以上にも、それ以下にも」 ならないと割り切っている。

幸いなことに、永年上司として仕えた高橋鉄郎さんも同じような考えで、
二人で同じ会場で挨拶する機会も多かったが、お互いに「ぶっつけ本番」で打ち合わせなどしたこともない。

大体、話などは、
その場の状況、雰囲気、聞く人の反応などにあわせて展開すべきだと思っており、その時点の思いを正直に誠実に話すことが一番と思っている。

聞く人の状況も意識せず、事前に用意したもの通りに進めるので、居眠りなどされてしまうのだと思う。

若しそれで問題が起こったりもめたりすることは、もともとの考え方に問題があるのだから、それを直さずに細部の勉強をやってみても仕方がないと思うのだが。


「何でもあり」自由闊達な意見が飛び交う、楽しく夢のある議会であって欲しい。
儀式のような議会は、手続きだけで余り意味がないように思う。

武雄市議会のやりとりは議事録が出るだろうから、楽しみにしたいと思っている。

4月14日、土曜日

2007-03-01 07:46:23 | 樋渡啓祐さんのこと
昨日、三木市役所の若い職員の方といろんなお話をする機会があった。

雑談みたいなもので、特にこれといったことはなかったのだが、
この2,3日気になっていたことをお聞きしたが、どうもそうでもなさそうなので少々がっかりした。

三木市長が始めたブログのなかで、4月14日(土)に三木市の文化会館で「佐賀のがばいばあちゃん」の特別映画上映があり、今から期待している。というコメントが載っていた。

「これはやったな。」と内心思っていたのである。

先日、三木市長が佐賀県武雄市に樋渡市長を訪ね、意気投合して両市の協力協定を結ぶとか、今度は樋渡さんが三木市を訪問するとか、公に報道されている。

そんな結果を樋渡さんは5月に慶応大学で講演するとか。

「佐賀のがばいばあちゃん」の準主演格である樋渡さんを三木市に迎えたその日に合わせた映画上演とてっきり思い込んでいたのだが、どうもそうでもなさそうである。

ほんとに少々がっかりした。
今朝のブログは既に更新したのだが、また思い直してブログを書いている。

4月末ごろまでに、樋渡さんが三木に来られる。
日程は、今から調整のようである。
土曜日は一応休みだろうから日程も組みやすいかも知れぬ。
「がばいばあちゃん」が結んだようなご縁だから。

などなど、勝手に考えて「ダメもと」で。
首長の日程の話なので誠にもって僭越だが。
ひょっとしたら、若い職員の方が知らないだけで、もう決まっているのかも。

いろいろ迷った挙句、更新することに決めた。

ある宣言

2007-02-21 06:21:10 | 樋渡啓祐さんのこと

いや、本当にすごいことになるかも知れない。

何度もこのブログで採り上げている武雄市の市長樋渡さんが、またまたすごいことを宣言された。

先日の三木市長薮本さんの武雄市訪問に触れられた後、三木市との「相互交流協定の準備」を担当部門に急ぐようにと、ブログ上で公に指示をされ、これに関連して二つの楽しみがあると言われている。

一つは三木市を訪ねて、薮本市長と再会すること、お二人を引き合わしたことになる私と会うことも楽しみと仰っている。

もう一つは5月に予定されている(日時は未定)慶応義塾大学でこのことを講演したいというのである。

樋渡流ですんなり優しく書いてあるが、
私には、もう逃げられませんよと言っておられるとも取れるし、
慶応大学でこのことを講演するということは、当然内容の整った「成功の相互協定」を5月のいつかまでに期限付きで実現させようという樋渡流の宣言であるとも読める。

三木市では薮本さんのほかどなたが担当されるのか。
相手は樋渡さんである。従来のお役所仕事とはスタンスもスピードも変える必要があるのではないか。
意識改革がMUST条件になるだろう。


私の心酔する服部吉伸先生(立命館大学教授もされていたが、今はまたコンサルタントに戻られたとか)の意識改革の一文にこう記述されている。

「意識改革が出来るのは、一部の極めて優秀な人に限られ指導者の能力の一つになるのである。
意識改革を行うと言うだけではマジョリテイに対する意識改革はできない。
意識改革、それは仕事のやり方を変化させることである。そして成功こそが意識改革のもとである。」

両市の相互協力協定が単なる人事交流などの次元を超えた、
今後の「地方行政の新しい流れや、時代を先取りする高次元の方向を示すもの」になることを期待したい。

退路を断って「宣言すること」。物事の実現への近道と信じている。


ブログがつなぐ縁

2007-02-16 08:48:45 | 樋渡啓祐さんのこと

樋渡啓祐氏。佐賀県武雄市長、今話題の時の人である。

その樋渡さんから直接電話がかかった。
一瞬ビックリしたが直ぐ普通に、長く知っている人とのような会話が続いた。

「今度は三木に行きますよ。その時は是非お会いしましょう。」と電話を切った。


14日に三木市長の薮本さんが、武雄市に樋渡市長を訪ねたのである。

何故、そんなことになったのか。
経緯はいろいろあるが、具体的にお二人を繋いだのはブログである。

私が始めて樋渡さんを知ったのは、高槻市「こちら部長室」の樋渡さんの60回に及ぶ記述である。
これはと思った。

三木市長メールにも、樋渡さんのことを度々紹介をした。

武雄市長になられる前から始められた樋渡さんのブログ、今は武雄市長物語に引き継がれているのだが、最初から殆ど全て目を通した。

その発想と行動力が素晴らしい。「めざす物事が実現する」スタンスとアプローチである。
世の中の発想とは一線を画しているし、完全に差別化が出来ている。

つい先日、役所の職制に「営業部」を造ってまたまた話題となった。
人口も税収の増加も期待できない今の地方行政では、新たな財源を求めるのは至極当然の話で自然な発想と思うが、普通の人には発想できない。

私のブログでも何度も触れたが、樋渡さんの奇人変人の面目躍如である。
そんなことで、三木市長の薮本さんは樋渡さんの「奇人変人振り」を視察に行かれたのだと思う。


その様子が武雄市長物語に紹介されて、今朝私のブログに異変が起こった。
アクセス数944、トータル726331のブログ中131位である。

今までもアクセス500、400位ぐらいはあったが、これは新記録である。
間違いなく、武雄市長物語の影響であるが、
それだけでなく今年の年初に三木市のことを書いた「ブログはじめ」に繋がる細かい配慮がなされている。

更に、丁重なコメントを「除雪」に頂いた。

こんな手数の掛かることを市長自らがおやりになる。
これは「市長にしか出来ない大きな仕事」という認識がおありなのだと思う。

今回の訪問で「武雄と三木は相互協力協定を結ぼう」という動きになりつつある。

たかがブログではあるが、そんな大きな機能を果たすかも。
若し実現したら、それは「ブログがつないだ縁」と言えるかも知れない。


奇人、変人の集まり

2007-01-17 06:42:16 | 樋渡啓祐さんのこと

以前、このブログで少しだけ「奇人、変人」について触れた。

今、佐賀県武雄市長の樋渡啓祐さんが、高槻市長公室長時代のコメントの中の言葉である。
樋渡さんの意見や発想には、私は殆どというか120%共感を覚え、完全に彼のフアンになっている。

中でも、「求む、奇人変人」は特に気に入っている
その中で、この10年最も役割の変った地方自治の最前線、市役所こそ頑張らねばならぬと言っている。
ご紹介をするので、是非一度目を通してみて欲しい。


私自身も「普通の人ではない」どちらかと言えば変っていると思っている。
仕事の上で好んで付き合った人、目をかけた人たちは皆「奇人、変人に近い、あるいは奇人変人そのもの」であった。

上司にも、誠に恐縮だが「奇人、変人」に類する人たちが多かったような気がする。

川重の中でも、単車事業部はまさに「奇人、変人の集まり」であった。
苦しい時には馬鹿にされたが、一端苦境を乗り切ってからは、遺憾なく「奇人変人の実力」を発揮して全社をリードする方向となった。

基本的に「ネアカ」で、樋渡さんの言うように「仕事で仕事をしているのでなく、遊び感覚で仕事をしている」雰囲気が確かにあった。


私の最後の勤めであった「北海道川重建機」も違った意味で、強烈な「奇人、変人の集まり」であった。
だからこそ、メーカーの系列化の波にも飲み込まれず自立を通し得たのだと思う。
そんな「奇人、変人集団」のなかで楽しく仕事が出来たのは、私自身も相当の同類項なのかも知れない。

「奇人変人のいる職場」は楽しく活気がある。
望まれるのは「奇人、変人の育つ環境の維持」である。

これが本当は、トップに立つ人が「一番考えなくてはいけないこと」ではなかろうか。


それは簡単なようで、意外に難しいことだと思う。


「佐賀のがばいばあちゃん」大成功

2007-01-07 06:25:17 | 樋渡啓祐さんのこと
「佐賀のがばいばあちゃん」、視聴率19.1%他を圧倒して大成功である。

この1ヶ月余り、「佐賀のがばいばあちゃん」に懸ける佐賀県武雄市の動き、特に樋渡啓祐市長の発想と動きに注目してきた。

この成功が武雄市の広報活動の結果だけではないことは当然である。

然し、普通なら見逃してしまう 「成功の可能性のある小さな事柄」=「ロケ地の可能性 」を目ざとく見つけて立候補するという具体的な活動に結びつけ、展開していく発想と過程は素晴らしい。

世の中の物事の成否は全て、このような小さな事柄の可能性を見抜けるかどうかに掛かっているものである。

これが民間ではなく、お堅いと言われている行政で行われたのは驚きである。
それも、一般に無関心な市民を渦の中に巻き込んでの行動と話題づくりは、民間の企業も見習わねばならない。

今、武雄市はみんなで一緒にやり遂げた大きな仕事の成功に沸いている。
その様はマスコミにも大きく報道され、一躍武雄市を寵児に仕立て挙げようとしている。

大きな仕事のあとには感動がある。感動を共有する人たちは仲間である。
仲間を通り越した同志かも知れない。
そんな仕事を成し遂げた武雄市の今後の行政の動きにも注目したい。

どのような活動をされてきたのかは、武雄市のHPや市長のブログを見ればその素晴らしさは直ぐにお解かり頂けると思う。

私と樋渡さんとの出会いは、高槻市の市長公室長をしておられた頃の「こちら部長室」の樋渡さんのコメントである。
それ以来の「樋渡フアン」でずっと注目している。 勿論今後も。


関連のあるブログ他ご参考までに
武雄市ホームページ
副議長のブログ
市民のブログー1
市民のブログー2
市民のブログー3
市民のブログー4
高槻市「こちら部長室」

佐賀のがばいばあちゃん課

2006-12-12 06:44:51 | 樋渡啓祐さんのこと
佐賀県武雄市の「がばいばあちゃん課」の動きが面白い。

島田洋七原作の「佐賀のがばいばあちゃん」は今年映画化され人気を博したが、フジTVがドラマ化を図り、来年1月4日の夜放送される予定である。

当初は関東でロケをする予定であったが、「佐賀が舞台の話を何故佐賀で撮らぬのか」という1通のメールから、佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長がロケ地に名乗りを挙げたところから、この話はスタートしている。

武雄市は人口52000人の歴史の旧い小さな温泉町だが、このロケを機会に戦略的、広報的な展開をはじめている。
その動きはとても、市の行政とは思えぬ質の高さであり注目に値する。

ロケに先立って「がばいばあちゃん課」を新設し、担当を公募して課長に昇格させている。
今、白浜課長以下3人で専門にこのプロジェクトにあたっているが、放送終了と同時に解散するとか。

9月はじめから約1ヶ月のロケには、市が1500万円の予算を組み、一般からも1500万円の協賛金が集まったようである。
1000人を越す市民がロケに協力し市を挙げての熱烈なバックアップは、フジのスタッフ、ロケ隊を感激させている。

「がばいばあちゃん課」の活躍は、時期に合わせた年賀状での宣伝ダウンロードサービスやゴム印サービスなどによる年賀状印刷による広報展開などがある。

ゴム印も印象彫刻部門で現代の名工に選ばれた小林修二氏を使うなど話題性を持たせたり、佐賀県内166郵便局との連携や東京宣伝隊を募集するなど、広く武雄市の枠を超えた活動を展開している。

年賀状は人気沸騰ですでに5万枚を越え、パブリシテイとしても読売新聞、西日本新聞に既に大きく取り上げられている。今後も話題になることは間違いない。
1500万円のもとは十分とれお釣りがきている。何よりも「武雄」のブランドが高質化されているのが大きい。

視聴率90%をめざすとして、12月末には視聴率の主戦場東京でも新たな仕掛けをするという。
若し本当に高視聴率がとれたら、フジTVではシリーズ化も考えるとか。
そうなれば、「佐賀のばあちゃん課」も解散せずにすむかも知れない。


少子高齢化で今後税収の増加は見込めない、人員削減、費用削減も必要だが限度もあるというのが現在の地方行政の置かれた立場である。。
市という従来の行政の枠に捉われず投資的な行政を目指し、新たなヨコ展開の発想を対策の方向とすることは、SNS(ソーシャル、ネットワーク、システム)などの世の流れにも乗っていると言うべきであろう。

タテ型の「頑張ろう型」の発想から、「ソフト思考の柔軟な発想」への転換は行政に限らず民間でも今後の主流となるべきだと思う。

高槻時代からの「樋渡啓祐ファン」として、武雄市の今後のご健闘を祈りたい。

佐賀県武雄市長からコメントがきた

2006-11-25 09:32:11 | 樋渡啓祐さんのこと

今朝、ブログを見たらコメントが入っていた。ブログの楽しみの一つである。

先日「市長公室長樋渡啓祐氏のこと」というブログを書いた。
内容は「ブログ」と「奇人、変人」についてである。
樋渡さんが高槻市に居られたときのコメントのなかから、私見を述べさせて頂いた。

コメントを頂いたのは、一面識もないご本人の樋渡さんからである。
びっくりした。
総務省に戻っておられるとばかり思っていたら、今年から故郷、佐賀県の武雄市長になって居られるのである。
二度びっくりであった。

早速、武雄市のホームページを見てみた。どんな市政をやっておられるのか、興味があった。

流石である。広報的な展開は見事であった。

ほんのちょっと、1時間あまりのマーケッテングなので、間違っているかも知れないが、全国の市政の中で、最も進んだ実践的な広報がなされていると思う。

私の住んでいる三木市も、広報展開できるネタはヤマほどあるので、何とかいい展開ができぬものかと、全国の各市の市政のやり方などを調べたので、今の全国各市のレベルは大体解っている。
樋渡さんとも、そんなことで高槻市の「こちら部長室」で出会ったのである。


二つだけご紹介する。

一つは毎日発信されている「市長ブログ」である。
内容も面白いし、市民などから沢山のコメントが入り輪が広がっている。

「全国最年少市長」というテーマには特に多くのコメントが寄せられていた。
36才の樋渡さんが、総務省の後輩の新潟県三条市長34才に抜かれ、2位になったとか。
ちなみに三木市長も兵庫県から総務省に出向されていた。34才ではないが、まだまだ若い市長さんである。

ブログは市政展開に大いに機能すると思っているが、それを現実に使っている市は殆どない。


もう一つは来年1月より放送予定の、今話題になっている島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」の広報戦略である。

このような展開を、戦略的広報展開というのだろう。
手の内にあるいろんなツールを駆使して、ネットワークというかヨコ展開が図られている。
「年賀状PR大作戦」が時期もいいし、幾つものツールの繋ぎは傑作である。

詳しく書けないので、興味のある方は、武雄市のホームページを見てみて下さい。

ただ、多分タテ割りがきつい市役所の組織のなかで、誰が具体的に発想されたのか、そこが私の最も大きな関心事である。

「創造力の源泉はアイデアであり、思考ステップの特徴は絞り込んで考え続けることである。」と言われている。
若し、市役所の職員のかたの発想ならそれは驚きに値する。

「一人でも多くの市民が広告塔に」と言われているが、私も片棒を担がせて頂いた。


今朝、ブログのコメントを頂いての、私の感想である。


市長公室長樋渡啓祐氏のこと

2006-11-20 10:30:11 | 樋渡啓祐さんのこと

http://www.city.takeo.lg.jp/樋渡啓祐氏。面識もないし、勿論話もしたこともなく、私とは直接は何の関係もない。

総務省から出向して、高槻市長公室長を平成15年4月より17年12月まで2年半ほど務められ、また総務省に戻られた。
1969年佐賀県生まれだから、まだ40才前の若さである。

高槻市のホームページ「こちら部長室」で62回に及ぶ、彼のコメントを読んだだけである。
その意見や仕事の進め方にこれほど共感を覚えたのは、
先日ご紹介をした小野田滋郎さん以来といってもいい。三木市のホームページのお手伝いのために、いろいろ調べていたら高槻市に出合ったのである。

樋渡さんの「こちら部長室」の第1回は「全国一のホームページを目指して」で始まり第62回「さよなら部長室」で終わっている。
2年半ではあるが、高槻市は今年のホームページコンクールで、見事全国一になり目標を達成している。

62回のコメントはそれぞれ面白いのだが、次の二つをご紹介したい。


第55回BLOG,BLOG,BLOG

ブログについての、コメントである
「この4月まで、この言葉を知りませんでした。」とある。
そして、いろいろ本などで勉強した結果のブログについての感想を次のように述べている。

「ブログのメリット」
「メールさえ打てれば、そんなに知識がなくても、HPが簡単に作れる。
情報発信が容易である。同時にトラックバックなどで情報の入手も容易になる。
デジカメの画像が簡単に、且つ沢山採り入れられる。」

更に続けて、「アメリカではブログの誕生により、ホワイトハウスの会見にブログの記者の出入りが認められたり、わが国でもこの動きは加速すると思います。」

ご自分でも、ブログに挑戦され、高槻市のホームページにブログの採用を起案されている。
そして、「高槻市が全国に先駆けてブログ化に挑戦し、その成果がでることを楽しみにしたい。」

私は、上述のようなちゃんとした分析は出来なかったが、「カン」だけで、これはイケルと思ったので、自分でも試してみるとともに、三木市の市長メールでも、推薦をした。
間違いなく時代の流れだと思うのである。

ホームページやメルマガを実施している政治家は沢山いるが、ブログをやっているのは、世耕弘成と石原慎太郎の二番目の息子など、まだ極わずかでスタートしたばかりである。

高槻市でのブログは今、「芥川図鑑」ほか、うまくスタートだけは切られた状況である。

三木市もまだまだ「追いつき追い越すチャンス大」と思っている。


第36回 求む 奇人、変人

これも、私には非常に面白かったし、100%共感する。
世の中の人の教育は、まともなことが多すぎて、面白い人、本当に仕事ができる人を殺してしまっていると思っている。

自分自身がどちらかといえば、奇人、変人に近い人たちに親しみが持てたし、事実そんな仲間も多いので、樋渡さんのような総務省のエリートがこのようなコメントを書いてくれたのは、「わが意を得た」と思ったのである。

「組織には必ず、奇人、変人が少なからず存在している。それが許容されているのがいいのだ。」と言っている。

高槻市に「着任して1年経って思うのは、潜在的な奇人、変人の人たちが「普通、一般化」していないか、もっと奇人、変人をそのまま伸ばす方向を採るべき」といっておられます。まったく同感です。

更に「いい企画、いい仕事をするためにも、知的好奇心いっぱいの奇人、変人が是非とも必要です。」
「私自身も勇気をもって奇人、変人の類になるように頑張ります。まだまだ、潜在的に埋もれている奇人、変人は沢山いると思います。」

と続けて、奇人、変人のいい素質を持ちながら、「普通一般化」している、高槻市のAさん、Bさん、Cさんに呼びかけているのである。


これは何も高槻市に限らない。一般の民間企業でも油断をすると、直ぐこの風潮は体質となる。
全ての組織体にとって、「求む、奇人、変人」は通用すると思う。

私が永くお世話になった「カワサキモータースジャパンは、今どうですか。」

奇人、変人は、多ければ多いほどいいと思うのだが。