どうも、ren.です。
今日は私語りです。
でも、心境的に書かざるを得ないので、どうぞお読み飛ばしください。
昨日、漫画家の小山田いくさんの訃報が伝えられました。
享年59、自宅で倒れているところを発見されたそうです。
糖尿病を患っていたという情報もありますが、死因は明かされていません。
まずは改めて、ここに深く哀悼の意を表したいと思います。
私と小山田作品の出会いはこの作品でした。
●「ウッド・ノート」 秋田書店 少年チャンピオンコミックス/1984~1986 全8巻
当時、日本野鳥の会に入会していた私は、探鳥会(日曜に会員を中心に森林公園などでバードウォッチングをする集会)で友人に「バードウォッチングを題材にした漫画が始まった」と教えられ、それがこの「ウッド・ノート」でした。
すぐにバードウォッチャー界隈で話題となり、会誌「野鳥」にゲストとしてイラストを描かれたこともありました。
物語は、高校のバードウォッチング部を舞台とした青春群像劇。
ちょっと主人公の唐須が超人バードウォッチャーすぎでしたが、私も共感とともにハマりました。
そして、いくさんは"一世を風靡した青春ラブコメディー漫画家"だということを知り、古本屋で過去作品を買いあさる日々が始まります。
●「すくらっぷ・ブック」 秋田書店 少年チャンピオンコミックス/1980~1982 全11巻
その作品とは、この「すくらっぷ・ブック」。
小諸の中学校を舞台に、美術部部員の晴ボンを中心としたクラスメートの青春群像劇。
後に「むじな注意報」で成長したキャラがゲスト出演したのはうれしかったなぁ。
連載デビュー作品でありながら多大な人気を呼び、ファンが今で言う聖地巡礼を行ったり、おおらかだった当時はいくさんの仕事場までお邪魔する方も多かったといいます。
中には小諸に引っ越してしまう方もたくさんいるようです。
私もこんな学園生活にあこがれて、布教した友人たちと後悔しない青春時代を心がけたものです
この頃は絵柄もシンプルで、そのタッチは私の好みだったので、よく模写をしました。
なので、今の私の絵の大きな下地を作っています。
いくさんの作品にはマニアックなパロディや、小気味のいい言い回しのギャグが多く、友人たちとは今でも口にしています。
「星のローカス」「ぶるうピーター」「きみはノルン」「気まぐれ乗車券」など青春物を次々と発表していましたが、「もののけトゥモロウ」「どん亀サブマリン」「霊能バトル」とギャグ作品も描くようになり、「ろこモーション」では小学生向け作品も手がけました。
そして、ひとつの転機となるのがこの作品。
●「マリオネット師」 秋田書店 少年チャンピオンコミックス/1987~1990 全11巻
スリの天才・九頭見灯を主人公としたバイオレンスアクション。
どちらかといえばティーンエイジャー向けの作風だったいくさんが、暴力表現が強かったり世間の汚い部分を題材にしたりと、読者の年齢層を引き上げた印象でした。
環境汚染を題材にバイオテロとの孤独な戦いを描く「フォーナが走る」の後は、「迷い家ステーション」「風の宿」「衆楽苑」と、まるで倉本聰作品のような人情物が増えていきます。
また、ホラー短編をサスペリア誌やホラーアンソロに多く発表するようになりますが、この辺りから人の目に付きづらくなっていった気がします。
単行本もほとんど出なくなってしまいましたしね。
単行本化された作品は全て買っているはずですが、私が最後に買ったのは、こちらかな。
●「五百羅漢」 復刊ドットコム
商業デビュー作や、後のホラー短編をまとめた復刊本。
復刊ドットコムならではの、お高めの値段設定(w
そんないくさんの訃報を目にした昨日は、しばらく喪失感に何も考えられなくなりました。
長らく新作に触れていなかったとはいえ、それだけ私にとっては大きなポジションを占めた作品群の漫画家だったということですね。
改めて単行本を前にして、よみがえる思い出に再確認した想いです。
私の絵のタッチ、作風だけでなく、趣味にも大きく影響したんだなぁ。
単行本はしばらく箱にしまいこんであったけど、この機会に全て読み返してみよう。
魂よ、安らかなれ。
ありがとうございました。