Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

最後のキャンプ旅行ーピレニー山脈スペイン側

2016-08-09 21:24:35 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

バーデナスのキャンプ場からまっすぐ北へ行けばパンプローナでそこからフランスへ行く道はもう2度も通っている。今回はピレニー山脈の山越えをしてみたくて、国道240のジャカ(Jaca)から山越えでフランスへ行くE07を通ることに計画した。それでパンプローナを通っていくのは遠回りだから田舎道を通って近道しようと思った・・・・のが間違いのもと。

田舎のレタス畑。

 

国道240まで行くのに山越え4回、田舎道とてスペインの道路は良いが、曲がりくねった坂道を登ったり下りたり、大きな国道をスイスイ走るのとはずいぶん勝手が違う。

 

 あちこちで停まって写真を写したりしながら田舎道で随分道草を食ってしまった。

 

 

国道240をジャカへ向かって走っていると、この辺りの地形が数年前いったバーデナス・リアルス(Bardenasu Reales)の砂漠地帯によく似ているのに気が付いた。

大地全体が砂岩か火山灰の堆積からできているらしく思われる。

 

 

 

 

辺り一面が廃墟になったよう。

 

 

国道を東に向かって走っているとピレニー山脈は雪に覆われているのが良く見える。

 

まるでカッパドキアの地層を思わせるこのあたり。

 

 

そしてこの道路もサンチアゴへ行く巡礼道だった。

 

ジャカからフランスの国境へ向かった谷川は 雪解け水なのだろうか、水は素晴らしく澄んできれいだ。

 

  

 フランスの国境近くの砦らしき塔。

 

 

トンネルへ入る手前の道路でここからサイクリストや巡礼人はトンネルを通ることはできないから山越えをしてゆくのだろう。右へ折れる道路標識がやはりフランスを指していた。

 

あまり急な坂道を上った訳でも無いのに、良く照明されたトンネルに入り約8km、トンネルを出たところがフランスだった。あまりのあっけなさに亭主が驚いていた。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーCamino de Santiago(巡礼道)

2016-08-08 16:41:04 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

ヴァラドリドからバーゴスは何度も通った快適な高速道路で、100㎞を1時間もかからず走り、ここから国道120でログロノー(Logrono)へ向かった。道路に平行して通っている歩道にリュックをしょって歩いている人たちが見受けられる皆私たちの進行方向と正反対に向かっている。

彼らはサンチアゴ デ コンポステーラ(Santiago de Compostela)へ行く巡礼なのだ。

初めて彼らを見たのがもう6-7年前サンタンデル(Santander)の港へ行く前に一泊したCarrion de los Condos でここはコンポステーラから400㎞の地点。そうするとこの日見かけた巡礼たちはまだ5-600kmは歩かねばならぬ。

この日も素晴らしい晴天で暑く、田舎道の一人旅から2-3人連れ立っての旅は楽しいだろうか?つらいだろうか?

 

 

 

 

 

彼らの行路にはいろいろな教会やチャペルがあり宿泊施設も教会や僧院の大部屋だったりする。インターネットで調べてみたことが有ったが、出発地点はフランスやスペイン、英国からなどというのもあった。フランスのピレネー山脈の北側にも何か所か教会や巡礼行路に行き会ったことが有った。

 

 

この小さな教会?か僧院もその一部らしく塀の標識にCamino de Santiago Tosantosと書かれてあった。

 

 

 

 

彼らが宿泊するホスタル。

 

 

 

 

道路のあちこちにこの標識が立っているのがめじるし。

 

 

 

スペインで一番見かけるのがこの牡牛の看板。

 

 

 

いったいどんな花なのかわからないが、野原や道ばた一帯が薄紫色に染まっていた。

 

  

 この夜停まったバーデナス(Bardenas)のキャンプサイトではイースターが近いためか子供づれのスペイン人家族が多く、子供たちが一輪車の上に牡牛の頭を載せて一人の子が押して走り、周りでは子供たちが歓声を上げて逃げ回っていた。

さすが闘牛の国の子供たちの遊びだ。

 

この張り子の牛の頭も一人の子供がかぶって皆を追いかけまわし捕まった子は代わって牛になって走り回っていた。

鬼ごっこによく似た遊びだけれど珍しい。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーヴァラドリド〈Valladolid) スペイン

2016-08-06 17:33:54 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

ブラガンカはポルトガルの最北端でここより北はスペイン領、そしてこのあたりから真北にはキャンプサイトが非常に少ない。たぶん山ばかりになるのだろうか。昨日通ってきたポルトガル・スペインへの高速道路をまたスペインへ向かって走る。途中のヘザーの花はこの地域だけを派手に彩っている。

 

 

 

快適なスペインの無料の高速道路を時速120㎞で飛ばして今夜は ヴァラドリドのキャンピングプラッツへ泊ることにした。キャンプブックではこの町のプラッツには電気と水が無料だと書いてある。ところが行ってみれば下水排水とトイレの廃棄場所はあるけれどその他の設備は一切ない。諦めてこの町で一泊することにした。電気が来ていなくてもここの駐車場は町の真ん中にあるから、安全だろう。

 

 

駐車場の管理人に聞いたところではこの町の旧市街は川向う、橋を渡ってまっすぐ行けと言われてカメラをもって出かけた。

 

 旧市街は教会と大学がほとんどで、教会だけでも5か所はあった。立派な教会のような建物の中を覗いてみたら大学と書いてあり誰もいない。

 

 

 

 

玄関は開いていたが中のドアは閉まっていたのでガラス越しに素敵な階段とタイル模様を写真に収めた。

  

 

きれいな建物はチャペルでその屋根にコウノトリが3組も巣を作っている。今まさに待っていた彼か彼女が帰ってきて ”お帰りなさい” と挨拶をかわしているところ。

 

 

 

 

 

 この古そうな建物も横にヴァラドリド大学の文字が見えなければ決して大学とは思われない。

 

 

 

この日はまだ4月7日だというのに気温は27度にも上がり日向は暑くてたまらない。なるべく日陰を依って歩いていたら道に迷ってしまいずいぶん遠くまで歩いていたことが分かった。

 

 

日中着いたときは4台のキャンパーが停まっていたのに夕方帰ってみたら満杯、一般の駐車場にもキャンパーが停車してトータル30台以上はいた。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーセプ・ヴェルデ 〈Cepu Velde)キャンプサイト

2016-08-05 22:11:42 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

  

 

  

 

ブラガンカから西へ向かって30分山の中の一本道を行くと村も家も見えない林の中にセポ・ヴェルデのキャンプサイトがあった。

 

 

サイトの中一面の桜の花が満開で、小さなテラスのキャンプサイトに10台くらいのキャンパーが泊まった。

 

 

 

桜並木を行くわがキャンパー。

 

 

 

キャンピングサイトのオフィスには2人の若い男性がいて二人とも立派な英語を話す。私が日本人だと判ると、君はこのキャンプサイトで2人目の日本人だ。2-3週間前若い日本人の男性が自転車旅行をしていて一晩このサイトで泊まったという。たぶんテントを持ってきていたのだろう。彼は大阪から来たと言ってたが、君は日本のどこから来たのかと聞くから ”金沢だけど知らないだろうが、北朝鮮がミサイルを落としている日本海側だ。” と言ったら ”オ~恐ろしいところから来たんだねー”

オフィスの壁にかかっていたお面が面白くて写真を撮らせてくれと言ったらわざわざ外のタイルの床へ持って行ってくれた。これらのお面はこの地域のお祭りに使われるものだといい、オフィスのヴィデオでお祭りの様子を見せてくれた。

翌朝その祭りの名前や時期を聞こうとオフィスにいったけれど閉まっていて聞きそびれていまだに後悔している。

 

 

 

晴天の夕方8時近くに夕日が沈んだ。

 

 

 

今夜は満開の桜の木の下でキャンプする。

 

こんな小さなキャンプサイトながらトイレシャワーの設備は良く、きれいで暖房が通っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ーブラガンカ (Braganca)

2016-08-04 20:15:50 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

ミランダ ド ジューロはスペインとポルトガルの国境にあり、ポルトガルの最北端の大きな町ブラガンカへ行くのにカーナヴィをセットしたところ一旦スペインへ出てそこから高速道路でブラガンカへ向かうコースをとった。

この辺りは大きな山はなくほとんどが起伏の少ない農耕地帯であり、牧場の石垣にも平らなスレートを立てて垣根にしているところの多かった。

 

  

 

ポルトガルへ入る前の道路脇は一面ヘザーの花盛りでピンクに染まっている。この辺りではラヴェンダーの花は一切見えない。

 

 

 

 

 

ポルトガルの北端は岡の起伏が激しいから、カーナヴィも高速道路を選んだに違いないが、ミランダからブラガンカへ直接行く道路もある。

 

 

 

ブラガンカ の街角で停まったところに観光案内所があり、町の地図とお城への道筋を聞いた。お城の下の駐車場にキャンパーを停め、歩いて石畳の坂道を城門へ向かう。

 

 

 

この城は中世の城塞で高さ33メータのプリンセスタワーはポルトガルで一番エレガントといわれる。今現在のこのお城は武器博物館になっていて午後1時から3時まで閉まる。着いたのが1時過ぎで3時まで待っておれないから城壁の上を一回り歩いて、今夜のキャンプサイトへ向かったのは3時真近かだった。

 

 

 城壁の上から見下ろすブラガンカの町。

 

 

城壁は完璧でどこにも壊れたり崩れたりしているところがない。城壁内の家屋はお土産店やレストランになっていた。

 

 

城壁の真下にキャンピングプラッツがあるが、電気も水もなくただで一晩中駐車できるだけ。電気がないところはあまり泊まりたくないと今夜はブラガンカから数キロ離れたキャンプサイトへ向かった。

 

 

 町の環状線を彩る真っ赤な新芽が素晴らしい。

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最後のキャンプ旅行ーミランダ ド ジューロ (Miranda do Douro)

2016-08-03 23:03:36 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

 

 

フレイショのキャンピングプラッツから北へ60Km  ミランダ ド ジューロ(ジューロの眺め)の町をめざす。 通り過ぎる道筋の木々は真っ黒に焦げ、この広大な地域のほとんどが焼き畑で開墾している。いずれはまたパッチワークのオリーヴ畑になるのだろう。

 

 

遠くにミランダの町が見えだした。特にどこの田舎町とも変わらない。ここはタヴィラでマイクに教わった場所で、キャンピングプラッツがお城の近くにあるという。平野のあちこちに巨大な岩の塊が見られ、農耕作に不便だろうなと思いながら町へ向かった。

 

 

 

お城のすぐ近くの駐車場には白とピンクの桜の木が今を盛りに咲いていた。やっぱりピンクの花が華やかで見栄えがする。

 

  

 

お城はほとんど崩壊状態で大して見るものもないが、この日は晴天でも丘の上は寒風が吹きつけてあまりの寒さに震えあがった。それでいったんキャンパーへ引き返し、冬用のコートを着込んで短いメインロードを大聖堂へむかった。こんな田舎町でもお土産店やレストランがいくつか並んでいる。

 

 

 

町のスクエアーに博物館らしきものあり、2階のベランダに下がっているものはこの地方の織物かもしれない。スクエアーの真ん中にいわくありげな男女の像、インフォメーション・センターが閉まっていたからわからなかった。

 

 

 

大聖堂は大きいばかりで中は暗くて色彩も乏しく写真を写す気にもならなかった。 その大聖堂の横から見下ろすジューロ河は絶景、ここから上流はスペインから流れ込んでいるから国境も、地図以外ではわからない。

 

 

 

大聖堂の後ろにはいったい何に使うのか広大な屋根なし広場、近くの建築物の軒下は見事なほどツバメの巣であたり一面ツバメが飛び交っていた。

 

 

 

この城の城塞内のストリートは狭くて歩きにくい石畳が延々と続く。崩壊したお城に似合わない城門の頑丈なこと。まるでここだけなん百年もあとに作られたようだ。

 

 

 

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最後のキャンプ旅行ーフレイショ ドゥ エスパダ ア シンタ(Freixo de Espada a Cinta)

2016-08-02 22:01:05 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 フンダウのキャンプサイトで見かけた絵葉書とまったく同じコウノトリのグループが木の上に巣を作っているところを通った。コウノトリは共同生活を好むらしい。

 

 

この盆地はさくらんぼだけでなくいろいろな果物の産地らしい。道端はいろいろな果物の畑になっていた。

 

 

フンダウの町はポルトガルの真ん中あたりにありこの日は車を北西のスペイン国境へ向けた。途中から道路脇は岩山になり生えているものといえば純白のブルームの花。あたり一面が白っぽく見え、まるでモノトーンの世界。

 

ほとんど木の生えていない荒れ地の真ん中に小さなオリーヴ畑があった。あの岩とブルームの間をオリーブ畑へ行くのも大変。

 

 

見晴らしの良い丘の上に観光バスが2台停まっていて、私たちも近くに停車。頭上にハゲタカが一羽大きく円を描いている。

 

 

見下ろす川のある景色の中にもハゲタカが3羽舞っていた。あたり一面はパッチワークのオリーヴ畑で素晴らしい景色に見とれているうちハゲタカはいつの間にか消えていた。

 

 

  

 

山頂から曲がりくねった道を降りてゆくとたどり着いたのは巨大な河で、このジューロ河はスペインからポルトガルとの国境を流れここからポルトガルを横断してポルトの港に流れている。先ほどの2台の観光バスはこの川渕まで観光客を運び、ジューロセレニティと呼ばれる観光船でポルトまで下航していく。こういうのんびりした船旅もいいかもしれない。

 

道路はこのジューロ河に沿って北上していく。この山の急斜面一面に生えているオリーヴの木々は河の対面でスペインになる。

 

 

ポルトへ行く観光船の乗り場以北はこのようなダムが見られ船の行き来はない。

 

 

フレイショの町へ行くまでの道路際は白のブルームと紫いろのフレンチラヴェンダーが派手に咲いていたが、この町の入り口は極め付きフレンチラヴェンダーが私たちを迎えてくれた。

 

 

この小さな町はたいして見るものはないが、町のスポーツセンターの一角に無料のキャンピングプラッツがあり、水と電気を供給してくれる。

午後早く着いたので町の散策に出かけ、きれいな街を歩き回った。

 

丘の上に城壁と塔が立っていて誰もいない。塔の入り口は開いていて誰でも入場可らしい。塔の2階の広間にこの城のモデルがあった。

 

 

昔は城壁も2重だったようだが今は塔が一基と一重の城壁の中は墓地に変わっている。

 

高い塔の頂部はベルタワーになっていて毎30分ごとに鐘が鳴る。

 

整然と並んだ墓地はきっと最近移されたものではないかと思う。あまりに画一化されているから。

 

この日通りのスーパーで大きなビワの実を売っていた。5個で1ユーロは高いが今年は道端で生っていたビワを食べそびれた。そして道端のビワはこれらよりも小さいから一度食べてみたかった。まだ走りらしく酸っぱかった。

この夜キャンピングプラッツにはフランスのキャンパー2台が来て、静かな夜だった。

 

 

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最後のキャンプ旅行ーコンベント・キャンピング

2016-08-01 22:50:15 | キャンピングヨーロッパ2016-2017

 

 

フンダウのキャンプサイトは盆地の山側の急坂にあり盆地の反対の山は非常に遠い。その山の上が白くなっているのを亭主はあんな高い山頂に町があるよという。望遠を最大にしてみたら、白いのは雪だった。過去数年4月初めにスペインのピラニー山脈を通ってフランスへ行くが、、あそこも山にはいつも白銀が輝いている。ポルトガルの北部も冬は雪が降るのだもの山に雪があっても当然、でもポルトガルにもあんな高い山があったのだと驚いた。その高い山の頂に見える不思議な建物。

 

 

サイトに落ち着いてまだ午後の3時、日は高く気温も高くて近くを散歩してみようとサイトを出た。サイトへむかって急坂の道路を登ってきた曲がり角で猛スピードで降りてきた乗用車がキャンパーすれすれに通り抜けていった。こんな急坂であんなにスピードを出してほんとに危なかったと後になってぞ~としていた。この坂道のガードレールがあちこちひん曲がったり、ずたずたに壊れたり、皆スピード出しすぎの事故に違いない。

 

 

キャンプサイトの隣は尼僧院でうっそうとした木々と高い塀に囲まれて尼僧院は見えないが、山麓からマリア像が木の間に見える。

 

 

 

麓からキャンプサイトの横までコンベント・ガーデンがオープンしていて、帰りは恐ろしい道路脇を歩くよりはと入ってみた。この小さなブルーの花はたいしてきれいでもかわいくもないが、ポルトガル南部では見られない。

 

 

 

 

ポルトガル特産のクインス(カリン)の花これは秋のリンゴの実る時期、大きな黄色の実がなる。これで作るクインスのマーマレードは有名。

公園の中に真っ白な西洋ナシの花が満開だった。我が家の庭にもこの梨の木があるが、4月の初めに花が咲くかなーと考えてしまった。ポルトガルで一番輸出されるのが梨だとのことで、これもポルトガル中央部から北部あたりが多いらしい。

 

 

この公園は若い子たちの冒険の場で高い木から木へのつり橋や、綱渡りなどの設備が多く見られた。

 

 

 

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