ジュミェジーのキャンプサイトからカレーのサイトまでは3時間以内には着くから、この朝ゆっくり朝寝坊して9時過ぎにサイトを出発。
数日前からキャンパー内のバッテリーが過熱し硫黄臭いにおいがしだした。あまり臭いので日中走っている間はバッテリーへ送電している線を切って冷凍冷蔵庫は走っているときのエンジンの発電だけで保冷していた。
ルーアンへの高速道路へ行くまでの山道は林の中はブルーベルが満開。
途中まで無料の高速道路はカレーまで205キロだという。12時にはカレーのサイトへ着くだろう。この日から空模様は怪しくなり、雨こそ降ってないが黒雲に覆われてきた。
高速道路脇道も桜並木があったり、遠くの菜の花畑の色合いが目を楽しませてくれる。
>
カレーの高速道路の高台からドーバーの白い壁が見えた。毎年この辺りを走って来ているのに、こんなに近くに見えたのは今回が初めて。
キャンプサイトはカーナヴィをセットしてたどり着き、受付でお金も支払った後に、このサイトが昨年とは違うことに気が付いた。
お金も払った後では手遅れで、諦めてキャンパーを停めて電気もメインにつないだが、冷蔵庫は保冷しない。バッテリーが完全にダメになってしまっている。この日は月曜日だからどこかにお店が開いているかと受付へ行って聞いたが、イースターマンディーのこの日はフランスでも祭日でどこも開いていない。諦めて冷凍庫だけは絶対開けないでおこうと決め明日帰国した際は一番に冷凍食品を移し替えること。
キャンプサイトの裏側の小さなシャトー風お屋敷。 周りが堀になっていて、ニジマスらしいのがたくさん泳いでいた。
このキャンプサイトはこの屋敷が所有しているらしい。
サイトはグイネス(Guines) という小さな町で、歴史的にはフランス領だったり英国領だったりしたからこの町の閉まっていた博物館の前にはヘンリー8世の絵が飾ってあった。
一応この小さな丘が過去の砦だった。これじゃ英国軍が船で渡ってきてもすぐ降参。仕方がないね。
翌朝7時急激にみぞれになり、あられが激しく降った。震えあがるほどの寒さで、ポルトガルが懐かしい。
朝10時半のフェリーに乗るのに9時ころにフェリー乗り場に行けばよいだろうと8時にスーパーへ行ったら閉まっていてディーゼルを満タンにしてカレーの町中を通ってフェリー乗り場へ行くのに道を間違え、焦りまくってやっと着いたところがパスポートコントロールで3台前の車が20分もかかってとうとうどこかへ連れ去られ、フェリーの駐車場について5分後にはわたしたちはもうフェリーに乗っていた。
本当に危ないところだった。