代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

同じ新聞の中でもこれだけ違いが・・・・

2007年09月19日 | マスコミ問題
 9月17日と18日に投稿した記事で、日経新聞の一面の論調を批判したところ、足踏堂さんが、日経ビジネスオンラインの良心的な記事を紹介してくださいました。 
 確かに私も、先の記事では日経全体があのような論調で埋め尽くされているかのように書いてしまいました。日経新聞は、一面・二面・三面あたり、表に近い部分にある論説記事ほどゴリゴリの新古典派論調になります。九面・十面・十一面・・・・と中に入れば入るほど、まともな記事や分析が多くなると思います。新古典派が牛耳っているのは表紙に近い部分ばかりで、社内にも相当に意見の相違があり、良心的な記者の皆様は中の方(十面以降?)でがんばっておられるようです。 
 私たちにできることは、まともな人々の書くものを応援しつつ、原理主義的論調の人々を孤立させることかと思います。先の記事では、ちょっと日経に悪いことしたので、贖罪もかねてこの記事を書きます。

 たとえば、9月17日の記事で引用した「改革の徹底こそ王道」という論説と同じ日付の日経新聞に以下のようなコラムがありました。特別編集委員の末村篤氏の「遠みち近みち」というコラムです。その中で末村氏はガルブレイスの『バブルの物語』(ダイヤモンド社、1990年)を引用しながら以下のように論じています。それをちょっと紹介いたします。ちなみにこの文章は日経新聞の十三面(笑)にあったものです。

****(日経新聞、9月16日朝刊13面コラムより引用)*****
「バブルの物語」  末村篤
 (前略)
 帝国論さえある空前の繁栄。ノーベル賞学者が輩出する金融工学の知的輝き。ウォール街の金融関係者の目がくらむような報酬。
 しかし、革新的で魅力に見えた金融商品は不完全なデータに基づきリスクを過小評価したもので、全体を見渡せば「あらゆる金融上の革新は過大な負債の創造を伴う」というガルブレイスの指摘通りだった。
 (中略)
 重要なのは、金融上の出来事は金融で完結せず、その後の不況を伴って生身の人間の生活に降りかかり、時には戦争に駆り立てることもあるという事実だ。
 98年。英国から一時帰国した経済学者の森嶋通夫さんに取材した時を思い出す。「日本の金融危機は収まりますか」という質問に、森嶋さんは「金融問題は巧拙はあっても政府がなんとかする。問題はその後の失業にどう立ち向かうかだ」と答えられた。その後の展開はその通りになった。
 (後略) 
**********(引用終わり)**********************

 ネット上には「ウォール街は儲けるための投機活動を繰り返し、それが原因で金融パニックが起きて失業が増えると、どさくさに紛れて戦争を煽り、戦争を利用してさらに儲けようとする」などと論じる方が多いです。そういう方には、すぐさま「陰謀論者」というレッテルを貼られて叩かれることが多いです。

 「金融システムの欠陥が戦争を生む」という点で、このコラムで末村氏が言っていることは、ネット上の反ウォール街の論調に近いですね。意図した陰謀か、結果としてそうなってしまうのか、など違いはありますが・・・・。
 さて、ひたすら競争と市場原理の徹底を煽る日経新聞の「表」の顔と、生身の人間の生活を心配する「中」の顔では、えらい違いですね。
 「経世済民」という経済学の王道を忘れ、血も通っていないような新古典派原理主義者たちを、社会的に孤立させるしかないのでしょう。

 失業も貧困も、まともな労働をせずして投機によって儲けようとする人々の存在の「裏」として存在します。投機で儲ける人々をなくさない限り、失業も貧困もなくならないでしょう。無益な戦争も、投機活動の失敗と、その後の失業やインフレといった社会的混乱状態の中で煽られて、引き起こされる場合が多いのです。
 圧倒的大多数の人々にとって「無益な戦争」でも、戦争を投機の材料にして儲けようとする人々にとっては「有益な戦争」なのでしょう。イラク戦争を利用した石油投機による原油高騰で、世界各国の庶民にとっては実質的な増税となってなけなしの所得を吸い取られる一方、石油を投機した人々はどれだけ儲けたことでしょう。

 レバレッジド・バイアウトやデリバティブといった手法による投機活動の規制なくして、21世紀の平和と安定はあり得ないと思います。
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5 コメント

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Unknown (ななし)
2007-09-20 13:51:31
正確には日経ビジネスオンラインの日経BP社と日本経済新聞社は別会社ですよ。
この種の記事の方が多いと感じます…… (デルタ)
2007-09-20 23:43:33
私の書き込みに対して、記事まで探してくださり、申訳ありません。

投機する人は、どんな状況でも投機します。東京株式市場が、つい10年前まで仕手筋のお祭り会場へと簡単に移行していたこと、多分ご存知だと思います。
(そして、小泉構造改革の過程で、マル暴関係の仕手筋を封じられるようになってきたのも、一面事実なのです)

投機を行う為の口実として、「アメリカ」も「構造改革」をも使っている」というのが実情です。
状況をうまく利用しているというべきでしょうか。

レバレッジも「手段」であってそれ自体が企業などの価値を毀損するわけではありません。値動きが急激になるだけであって、それが理由でその会社が解散しなければならない、なんて事態は起きるわけがありませんし。
(買収される危険性はあっても、その会社を全否定してしまえば、買収した側の丸損になります)
株・債券投資を10年やってきて、私が思いあたるのは、「市況の落ち着く先は、経済的に合理的な地点である」との格言の正しさです。経済的に非合理な市況は、せいぜい半年しか保たない

>石油を投機した人々はどれだけ儲けたことでしょう。

皮肉な話ですが、今商品取引をしている人は、相当な損をしています。本当の意味で儲けている人は、油田の持ち主です。
経済合理性を無視して、じたばたする人(例、金融工学を駆使して……な人々)ほど、余計なリスクを取り、自滅しているものです(爆)。巻き添えを食うことがあるとしても、数年の内にはその損は取り戻せます。
平穏に(成り行きをニヤニヤ笑いながら)「自分の手」を作っている人が最後に笑う……てのは、カードゲームと変りませんね。

私は、アメリカというガイアツや、コーゾーカイカクなどという「政府の指導」無しに自己変革できなかった日本の産業界の守旧性にこそ、問題の本質を感じています。
(余談ですが、私のような立場からすれば、小泉流の構造改革も、「余計なお世話」でしかありません。しかし一方で、自己変革なしだと80年代前半の円高不況すら、日本経済界は乗り越えられなかったことのも事実と思っています……)
デルタさま (関)
2007-09-21 13:34:41
 ご丁寧なコメントありがとうございました。

 株・債権投資をしている方々のブログを読んでいて私が感じるのは、「とにかく見方がドライだ」ということです。この残酷なグローバル化の現実を与件として受け入れるのは当然である、と考えている方が多いです。デルタさんは、ドライではなく熱く語ってくれるので、投資家の一般的傾向からは異端のように思えます。
 そして投資家の方々というと、構造改革を支持している方々が大多数です。新しい閣僚が出たりすると、「この人は規制緩和支持だからいい」、「この人は抵抗勢力だからダメ」などと品定めしたりしています。
 その投資家個人はそれほど悪い人のようではないのに、多くの庶民生活の破壊を伴う構造改革をこれほど熱烈に支持してしまうのはなぜだろう? と私は不思議でした。
  
 いろいろ考えて、「そうか、要するに構造改革を進めれば日本の株価が上昇すると単純に信じているんだ」という理解に至りました。まあ、外国人(ウォール街)投資家たちが、そのように宣伝してますからね。
 アメリカでは企業が大量解雇すると株価が上がる・・・。これは精神状態がすでにまともではないと思います。私が投資家だったら、がんばって解雇せずに従業員を大切にしている企業の株を応援するために意図的に買います。日本文化はアメリカと違うのだから、そういう投資行動の文化が根付いてもよいと思うのに、日本人投資家のマインドはだんだんアメリカ化していきます。
 確かガルブレイスもどこかに書いていましたが、投機の熱狂は善良でまじめな市民も愚者に変えてしまう・・・・と思います。

 株というと、株なんか買ったことのなかった私の母親は、日本のバブルが崩壊しかけた頃に、押し売りに「絶対に上がるから、買え買え」と言われて、半ば脅迫されながら強引に買わされて、何百万円も損してます。
 詐欺師みたいな狡猾な連中は、ヤバイと思ったら善良な市民をつかまえて暴落前に売り逃げし、たんまりと溜め込みます。最後に泣きを見るのは庶民です。
 こんな不条理な形で、弱者から強者への所得移転が起こるのは、私にはどうしても認めることができません。
 まじめに働いた人間がふつうに暮らせる状態を作らねばならないと思います。
 それ以外の手段で不労所得を得たいとは思いません。
 
六つの命題 (デルタ)
2007-09-27 00:53:52
関さん、こんにちは。

おそらく関さんと私との間には、ここ10年くらいの社会情勢の分析に、次の6点くらいの認識違いがあるものと思います。現状のまま、関さんがコメントを下さっていることに、一つ一つ再コメントすると、議論が発散するかと思いますので、
一度、私のBLOGの方へ、議論を引き取らせて頂くことにします。


(1)不況の原因は、「モノカルチャー化した産業界の供給過剰」か「過剰な生産調整」か
(2)市場原理主義は、ある「原理」の存在を確信する原理主義か(増して宗教的狂信か)。
(3)投資で得る利益は、「お金に社会性を与えたことの見返り」か、「不労取得」か
(4)構造改革は、ルールの通用範囲に関する諦観か、新たな秩序の構築か
(5)構造改革の目標は、「経済行為のスムース化」か「経済成長」か(実は、小泉氏は後者だったので、いわゆる「市場原理主義者」と考え方が異なっていて、余計な混乱を生んでいます)
(6)日本の経済格差の原因は、「高度経済成長期を通じて残存し続けた、封建的=儒教的社会観念(およびその法制度化)の名残」か、「市場原理の適用によるものなのか」
これらは、事実をどう認識するか、の問題に過ぎません。私の知る限り、新自由主義批判の論理は、外国の例(とりわけ特殊な形で”経済統制的に”実行された、南米あるいは英国)でのフィールドワークからの見解を流用しているように見受けられ、日本の「工業国でのデフレ下での経済構造変革」とは形相を異にしている恐れを感じます。
しばらくの間、上の6点は留保の形で、意見交換をし、これらの論点を別途再検証したいのですが、いかがでしょうか。
デルタさま (関)
2007-10-06 15:42:38
 忙しくて返信が遅れて申し訳ございませんでした。

 構造改革論者の中には柔軟な思考の持ち主もいれば、原理主義者もいると思います。
 デルタさんは「原理主義者」とは全く違ったタイプの方ですが、新古典派に洗脳されて私のブログにも攻撃を仕掛けてくるような人には本当の原理主義者のよう方もおります。私の知っている範囲でも、完全に新古典派で洗脳されて、もう目も座っちゃっているような原理主義者がおります。
 
 また株式投資をする方の中には、「お金に社会性を与えようとしている」、真剣な人もいれば、倫理的にも完全におかしくなっちゃっている方もいると思います。デルタさんが前者だと思いますが、村上氏なんて後者の典型でした。木村剛さんなんかも後者に見えます。

 (1)(4)(6)あたりに関しては、やはり意見が異なると思います。市場原理が格差を縮小させた例など、私は知りません。市場原理主義(というか現行の株主至上資本主義)は、格差を固定化し、社会の活力を奪い、詐欺的投機活動の跋扈を許し、圧倒的多数の貧困層に絶望をもたらすだけだと思います。
 

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