代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

なぜ小選挙区制ではボンクラ議員ばかりになるのか?

2017年09月29日 | 政治経済(日本)
 「中選挙区制の復活を」と訴えた一つ前の記事で書き足りなかった点、加筆します。
 小池百合子氏は「しがらみのない政治」を訴えています。それならば衆院選の公約で小選挙区制の廃止を掲げるべきでしょう。小選挙区制では「しがらみのある政治家」しか当選できないからです。
 

 亀井静香さんは中選挙区制の復活を訴えています。亀井さんは、「小選挙区制じゃ、私みたいなのは議員になれなかった」と常々言っております。
 「地盤・看板・カバン」の三バンが当選の三条件と言われますが、中選挙区制だと、それらがなくても政治理念はあるというポッと出の候補者も、かろうじて当選できる可能性がありました。
 地盤も看板も資金も何もなかった亀井さんが旧広島3区から立候補して当選できたのは中選挙区制度だったからという理由しか見当たりません。初当選では定数5人の選挙区で5位の最下位当選です。

 中選挙区制であれば、異端児も当選できた。ミラクルでかろうじて最下位当選したような議員が、己の才覚だけを頼りに政治家として実績を積んで、何回目かでは地元の信頼を得てトップ当選できる・・・・それが中選挙区制でした。
 
 当初の異端派も当選を重ねれば、いつか利権・しがらみだらけの老害と化すこともあります。中選挙区制だと、新しい異端派が、その選挙区で最下位当選し、やがて老害の利権構造を崩してくれる・・・・ そういうダイナミズムがありました。

 小選挙区では、しがらみ政治家が最後まで当選を続けることになり、その地盤・看板・カバンをボンクラ息子に引き継ぎ、また当選を重ねてしまいます。その選挙区に輝きを持った異端派が立候補しても、初当選という最初の突破をできないので、その政治的才能は開花できずに終わってしまいます。

 二大政党の野党側に風が吹けば、与党のボンクラ二世三世議員を倒すこともありますが、所詮は財界におもねって新自由主義的な政策にすり寄った二大政党の片割れの政治的理念をあらかじめ呑まされた議員ですから、政策的アイディアは凡庸。これじゃ、斬新な政策と突破力、行動力など期待できません。

 かくして大政翼賛会状態に・・・・。
 

 小選挙区じゃなきゃ政権交代は不可能だなどともよく言われますが、ドイツをご覧ください。完全比例代表で定期的な政権交代をしております。
 与党が過半数を取れない場合、緑の党のような小政党を連立のパートナーとして選ぶことになり、そうした小政党の持つ知性と突破力が世界に先駆けた革新的な政策を発明することになるのです。日本を含め、世界中が模倣することになった再生可能エネルギーのFIT(固定価格買い取り制度)など、まさに社民党と緑の党の連立によって発明されたものでした。


 
 一方で、アメリカやイギリスのように新自由主義に政策が収斂してしまった二大政党制など、たとえ政権交代は起こっても、惨憺たるものでした。共和党のブッシュの戦争政策におもねった、労働党のブレアほどの悪夢がほかにあったでしょうか?
 多様性を失ってシステムは脆弱になり、やがて滅びるのです。


P.S. ちなみに、江戸時代の慶応三年に日本で初めて議会制民主主義を唱えた赤松小三郎は、選挙区について、「国の大小に応じて、諸国より数人の道理の明かなる人を、自国及隣国の入札にて選抽」と提言しています。「諸国(藩)より数人」と、いくつかの藩を束ねた中選挙区制にして、その中から数人ずつの議員を選ぶよう訴えていました。小三郎は、小選挙区ではダメだという点にまで先見性があった?


 
 

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