このブログの今年の2月16日付けで「ラテンアメリカとフリードマン: 神話の捏造」という記事を書いて、経済学者のミルトン・フリードマンと、フリードマンの経済理論を国家規模で初めて実践したチリの独裁者アウグスト・ピノチェトを批判しました。先月フリードマンが亡くなり、一ヶ月遅れて今月の10日にはピノチェトが亡くなりました。市場原理主義を唱導したフリードマンと、軍事的抑圧体制によってそれを実現したピノチェトは、今日に続く市場原理主義世界帝国の基礎を作った「キー・パースン」といえます。その二人が相次いで亡くなったことは、これから起こるであろう時代の変化の始まりを告げる象徴的なことかも知れません。
ピノチェト死去のニュースを聞いて、まず気になったのは、この人物に対する国際社会での評価はどうなのだろうというものでした。
同じ市場原理主義の唱導者としてピノチェトの盟友であったマーガレット・サッチャー元英首相は、「大きな悲しみ」を抱いていると表明し、深い哀悼の意を示したそうです(12月11日の『読売新聞』)。さすがにサッチャー。初志一貫しています。
なかなか面白かったのが、サッチャーとは対照的な米国政府の反応です。米国政府はピノチェト元大統領に対して哀悼の言葉を述べることはなく、代わりに「ピノチェト政権の犠牲者やその遺族にお見舞いを申し上げる」との声明を発表したそうなのです。この記事
うーん。ここまで言うのであれば、自国政府(当時の大統領はニクソン)がピノチェトのクーデターを支援し、さらに効果的な虐殺と拷問の仕方までも伝授した事実を自己批判すべきでしょう。
米国がいかにピノチェトのクーデターを支援したのかに関しては、2003年に米国の国家安全保障文書の情報開示で詳細が明らかになり、その内容は、The Pinochet File(Peter Kornbluh著、A National Security Archive Book)として出版されました。
それによれば、民主的に選出された左派のアジェンデ政権を、クーデターで転覆させることを首謀したのはヘンリー・キッシンジャーであり、クーデターの選択肢は、アジェンデ政権の誕生直後の1970年からCIAによって計画されていたことが明らかになっています。
このとき「軍は政治的に中立であるべきだ」と当然の主張をしてCIAのクーデター計画に反対したのがチリ国軍のシュナイダー司令官でした。当初は、チリの軍部の方が、キッシンジャーやCIAに比べて、よほど民主的市民社会の常識にのっとった冷静な判断をしていたのです。しかし米国の狂気は、チリの軍部をも狂気に変えていきました。
クーデターに反対したシュナイダー司令官は、1970年10月に暗殺されます。この暗殺は、CIAが実行犯に3万5000ドルを支払って実行させたことも明らかになっています(CIAは当初誘拐しようとしたのですが、上手くいかずに殺してしまったようです)。今日、シュナイダー司令官の遺族は、米国政府とキッシンジャーを殺人の罪で訴えています(イギリスの『ガーディアン』のこの記事参照)。
シュナイダーという邪魔者を暗殺によって排除したCIAが、自分たちの手足となって動く傀儡として選んだのが後の独裁者・ピノチェト将軍だったのです。そして運命のクーデターは1973年9月11日(この日付に何か意味あるのでしょうか?)、冷酷に実行されました。
クーデターの数週間後には、米国の在チリ大使は、悪名高いチリの政治犯強制収容所に「アドバイザー」を派遣するように米国政府に要請した文書も明らかになっています。政治犯収容所における拷問の技術も、米国が伝授したのでしょう。社会党のバチェレ現チリ大統領も、当時、この拷問を受けました。
米国政府が、中国政府に対して、「人権」とか「民主主義」という言葉を発すること自体、本当に「恥知らず」この上ないのです。
さて、こうした事実が次々に明らかになっていく中で、米国市民はどのように考えているのでしょうか。
私は、米国人のあいだでは、「ピノチェトはチリを共産主義の魔の手から救ったのだ」「ピノチェトの経済政策はチリに繁栄をもたらしたのだ」「クーデターや政治的な殺害は不幸なことだが、共産主義による不幸よりははるかにましだ」「クーデターはチリを救うための必要悪だったのだ」てな声が多数派だろうとばかり思っていました。
CNNのサイトで「August Pinochet: How will he be remembered?」と題して、ピノチェトをどのように評価するのかという視聴者の声を集めて報じており、それを読んでみました。意外にもまともな声が多くて驚きました。
CNNは、ピノチェトを評価する声と批判する声が半々になるようにバランスをとって編集していました。寄せられた声の母集団がどのような分布になっているのかは分かりません。ただし、下記のような、自国政府を批判する米国市民の声をちゃんと載せているCNNの編集方針そのものが、現在の米国が謙虚な方向に変わりつつあるのを象徴しているように思えます。大変にすばらしいことだと思います。以前のCNNだったら下記のような声は意図的に削ったのではないかと思えます。以下、謙虚な米国市民の声をいくつか翻訳して載せてみます。
<以下、下記サイトから翻訳して引用>
http://www.cnn.com/2006/WORLD/americas/12/12/pinochet.emails.two/index.html?section=cnn_latest
Geoff Hartmanさん(ワシントンDC)
彼(ピノチェト)の遺産は、彼の人生が物語っている。人々を拷問して、無実の多くのチリ市民を行方不明にしたことだ。このような犯罪者が公式に罰せられなかったことは、不正義を示す不幸なエピソードだ。
James Ottensteinさん(コロラド)
率直に言って、この問題を議論すること自体に恐怖を覚える。彼(ピノチェト)は、サダム・フセインと同様に、合州国によって支えられた怪物だった。
Eugene Berkovichさん(フロリダ)
ピノチェトは、民主的に選出されたチリ大統領を暴力で排除し、国家テロを制度化し、3500人以上の死と行方不明をもたらした。本当に悲しむべきことに、私たちの政府は彼を支持し、クーデターを生み出した数々の出来事に参加し、両手を広げて彼を歓迎したのだ。彼はサダム・フセインと同じだ。ちょうどフセインのように、私たちの支援によって権力の座に据え付けられた、もう一人の独裁者なのだ。
<引用終わり>
なお、このブログの2月16日の記事で、「ピノチェトの市場原理主義改革によってチリ経済は繁栄した」という言説も、その多くが事実に基づかない捏造であると書きました。この点についてより詳しくは、内橋克人・佐野誠編著『ラテン・アメリカは警告する』(新評論)を是非ご覧ください。私も最近この本を読んだのですが、非常にすばらしいです。その中で、岡本哲史氏が「チリ経済の「奇跡」を再検証する」という論文を書いています。ピノチェトの「新自由主義改革」の成功神話が、いかに事実に基づかない言説であるかを、データに基づいて詳細に検証されています。
ピノチェト死去のニュースを聞いて、まず気になったのは、この人物に対する国際社会での評価はどうなのだろうというものでした。
同じ市場原理主義の唱導者としてピノチェトの盟友であったマーガレット・サッチャー元英首相は、「大きな悲しみ」を抱いていると表明し、深い哀悼の意を示したそうです(12月11日の『読売新聞』)。さすがにサッチャー。初志一貫しています。
なかなか面白かったのが、サッチャーとは対照的な米国政府の反応です。米国政府はピノチェト元大統領に対して哀悼の言葉を述べることはなく、代わりに「ピノチェト政権の犠牲者やその遺族にお見舞いを申し上げる」との声明を発表したそうなのです。この記事
うーん。ここまで言うのであれば、自国政府(当時の大統領はニクソン)がピノチェトのクーデターを支援し、さらに効果的な虐殺と拷問の仕方までも伝授した事実を自己批判すべきでしょう。
米国がいかにピノチェトのクーデターを支援したのかに関しては、2003年に米国の国家安全保障文書の情報開示で詳細が明らかになり、その内容は、The Pinochet File(Peter Kornbluh著、A National Security Archive Book)として出版されました。
それによれば、民主的に選出された左派のアジェンデ政権を、クーデターで転覆させることを首謀したのはヘンリー・キッシンジャーであり、クーデターの選択肢は、アジェンデ政権の誕生直後の1970年からCIAによって計画されていたことが明らかになっています。
このとき「軍は政治的に中立であるべきだ」と当然の主張をしてCIAのクーデター計画に反対したのがチリ国軍のシュナイダー司令官でした。当初は、チリの軍部の方が、キッシンジャーやCIAに比べて、よほど民主的市民社会の常識にのっとった冷静な判断をしていたのです。しかし米国の狂気は、チリの軍部をも狂気に変えていきました。
クーデターに反対したシュナイダー司令官は、1970年10月に暗殺されます。この暗殺は、CIAが実行犯に3万5000ドルを支払って実行させたことも明らかになっています(CIAは当初誘拐しようとしたのですが、上手くいかずに殺してしまったようです)。今日、シュナイダー司令官の遺族は、米国政府とキッシンジャーを殺人の罪で訴えています(イギリスの『ガーディアン』のこの記事参照)。
シュナイダーという邪魔者を暗殺によって排除したCIAが、自分たちの手足となって動く傀儡として選んだのが後の独裁者・ピノチェト将軍だったのです。そして運命のクーデターは1973年9月11日(この日付に何か意味あるのでしょうか?)、冷酷に実行されました。
クーデターの数週間後には、米国の在チリ大使は、悪名高いチリの政治犯強制収容所に「アドバイザー」を派遣するように米国政府に要請した文書も明らかになっています。政治犯収容所における拷問の技術も、米国が伝授したのでしょう。社会党のバチェレ現チリ大統領も、当時、この拷問を受けました。
米国政府が、中国政府に対して、「人権」とか「民主主義」という言葉を発すること自体、本当に「恥知らず」この上ないのです。
さて、こうした事実が次々に明らかになっていく中で、米国市民はどのように考えているのでしょうか。
私は、米国人のあいだでは、「ピノチェトはチリを共産主義の魔の手から救ったのだ」「ピノチェトの経済政策はチリに繁栄をもたらしたのだ」「クーデターや政治的な殺害は不幸なことだが、共産主義による不幸よりははるかにましだ」「クーデターはチリを救うための必要悪だったのだ」てな声が多数派だろうとばかり思っていました。
CNNのサイトで「August Pinochet: How will he be remembered?」と題して、ピノチェトをどのように評価するのかという視聴者の声を集めて報じており、それを読んでみました。意外にもまともな声が多くて驚きました。
CNNは、ピノチェトを評価する声と批判する声が半々になるようにバランスをとって編集していました。寄せられた声の母集団がどのような分布になっているのかは分かりません。ただし、下記のような、自国政府を批判する米国市民の声をちゃんと載せているCNNの編集方針そのものが、現在の米国が謙虚な方向に変わりつつあるのを象徴しているように思えます。大変にすばらしいことだと思います。以前のCNNだったら下記のような声は意図的に削ったのではないかと思えます。以下、謙虚な米国市民の声をいくつか翻訳して載せてみます。
<以下、下記サイトから翻訳して引用>
http://www.cnn.com/2006/WORLD/americas/12/12/pinochet.emails.two/index.html?section=cnn_latest
Geoff Hartmanさん(ワシントンDC)
彼(ピノチェト)の遺産は、彼の人生が物語っている。人々を拷問して、無実の多くのチリ市民を行方不明にしたことだ。このような犯罪者が公式に罰せられなかったことは、不正義を示す不幸なエピソードだ。
James Ottensteinさん(コロラド)
率直に言って、この問題を議論すること自体に恐怖を覚える。彼(ピノチェト)は、サダム・フセインと同様に、合州国によって支えられた怪物だった。
Eugene Berkovichさん(フロリダ)
ピノチェトは、民主的に選出されたチリ大統領を暴力で排除し、国家テロを制度化し、3500人以上の死と行方不明をもたらした。本当に悲しむべきことに、私たちの政府は彼を支持し、クーデターを生み出した数々の出来事に参加し、両手を広げて彼を歓迎したのだ。彼はサダム・フセインと同じだ。ちょうどフセインのように、私たちの支援によって権力の座に据え付けられた、もう一人の独裁者なのだ。
<引用終わり>
なお、このブログの2月16日の記事で、「ピノチェトの市場原理主義改革によってチリ経済は繁栄した」という言説も、その多くが事実に基づかない捏造であると書きました。この点についてより詳しくは、内橋克人・佐野誠編著『ラテン・アメリカは警告する』(新評論)を是非ご覧ください。私も最近この本を読んだのですが、非常にすばらしいです。その中で、岡本哲史氏が「チリ経済の「奇跡」を再検証する」という論文を書いています。ピノチェトの「新自由主義改革」の成功神話が、いかに事実に基づかない言説であるかを、データに基づいて詳細に検証されています。
同じような問題意識をもっていましたので、参照させていただき、あわせて弊記事をTBさせていただきました。
今後ともよろしくお願いします。
数年前、アメリカ人の若い女性と雑談したときのことを思い出しました。
彼女のお父さんは政府機関で働いていたというのですが、「ピノチェトを自由のために助けたんだけど。まずい、彼はただの独裁者だった!」みたいなことを言っていました。
当方も南米の情勢とピノチェト、チリ・アジェンデ政権の崩壊についてブログで書いてみました。暇なときにでも見てください。
http://blog.goo.ne.jp/dabamyroad/e/9103d48987d24f833fc1a7ad130cc3c0
今後ともよろしくお願い申し上げます。