代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

9月5日(水)のNHK「その時歴史が動いた」でフィリピン独立やります

2007年08月30日 | 歴史
 昨年末、大学時代の友人から電話を受け取った。
 友人:「ひさしぶりやな。じつは今度『その時歴史が動いた』でフィリピンの独立について取り上げたいんやけど、相談に乗ってくれへん?」
 彼は、昨年までNHKのディレクターとして福祉関係の番組を担当していたのだが、何でも「その時歴史が動いた」に移ったのだそうだ。おーっ、知らなかった。
 私:「フィリピン史を本気で取り上げるつもり? 視聴率取れないに決まってるじゃない。そんな企画書通るのか?」
 とまあ、こんなやり取りをした上で、いろいろと相談に乗った(一応フィリピン研究者の端くれでもあるので)。しばらくして彼から「企画書通ったで」との電話が入った。
 「すごい。とても視聴率取れるとは思えないフィリピン史の製作を許してくれるなんてはさすがはNHK。リベラルーっ!」と思わず、私は電話口でNHKを称賛した。(しかし、こんなワガママはいつも通るわけではなく、次回は視聴率を確実に取れる戦国モノか幕末モノをやらなあかん、とのことだった。う~ん、テレビの世界はそれほど甘くないですなー)。

 そんなこんなで、私の友人たちが苦労して半年ほどかけて製作した番組が来週9月5日(水)の10時からNHK総合で放映されます。ぜひ多くの方々に見て欲しいと思ってブログで紹介させてもらうことにしました。

 最近「その時歴史が動いた」では、7月には「冷戦の壁を破ろうとした男~石橋湛山・世界平和への願い~」、そして8月には「忘れられた島の闘い~沖縄返還への軌跡~」と、アメリカの諸政策を批判する内容の番組を連発しています。次回のフィリピン独立史も、以上の2作に続く内容ですのでご期待下さい。
 ただ以上の番組が、石橋湛山や瀬長亀次郎という「キー・パーソン」にスポットを当てていたのに対し、来週の番組には「英雄」は一人も登場しません。第二次大戦中の日本軍駐留下のフィリピンで、日本軍に協力した民兵組織マカピリに参加した農家と、米軍傘下の抗日ゲリラに入って日本軍に抵抗した農家という、それぞれの立場の農民たちのオーラル・ヒストリーを軸に番組を構成しています。歴史上の「英雄」を全く登場させず、民衆史を描くという、NHKの歴史番組としては非常に斬新な試みだと思います。 
 
 NHKの番組ホームページから、番組の紹介文を引用させていただきます。

******************(引用開始)**************************
 1941年にぼっ発した太平洋戦争。その最も激しい戦場の一つがフィリピンだった。アジア進出の足がかりとしてここに軍事基地を置いていたアメリカと、インドネシアの石油など南方の資源を確保するための重要拠点と考えた日本は、フィリピンを舞台に激しく衝突したのだ。
 「大東亜共栄圏建設」を大義名分に掲げ、アジアの解放をうたう日本は、現地でフィリピン人部隊「マカピリ」を組織する。参加したのは、戦前からアメリカの植民地支配に抵抗していた人びとだった。一方アメリカも、日本の占領に反対するフィリピン人を抗日ゲリラとして組織した。
 やがて抗日ゲリラに手を焼いた日本軍は、一般住民をも巻き込んだゲリラ掃討戦を展開するようになる。その際に日本軍が活用したのがマカピリだった。しかし、戦況は好転せず、1945年9月フィリピンの日本軍はアメリカ軍に降伏する。その後、取り残されたマカピリは、人びとの憎しみを一身に浴びることになった。
 番組では、住民同士が激しく対立して争った村に視点を据えて、日本とアメリカの間で翻弄され今も癒えることのない傷を残すフィリピン民衆の苦悩と独立への道のりを描く。
**********************(引用終わり)*********************** 

 このマカピリ(Kalipunang Makabayan ng mga Pilipino、フィリピン愛国同士会)と抗日ゲリラの関係については、私も以前このブログで「日本占領下のフィリピン民衆」という記事を書いていますので、興味のある方はご参照ください。


 私も長くフィリピンでフィールドワークをやっていました。熱帯林について調べていたので、日本軍政下で対日輸出向けの木材伐採をやっていたという地域でも調査をしたことがあります。
 米国極東軍傘下の抗日ゲリラの主要な任務は、「日本の戦争遂行能力なくすために、フィリピンにおける資源開発を妨害する」というものでした。鉄鉱山や銅鉱山など、日本の鉱山採掘現場は度かさなるゲリラの襲撃に悩まされたのです。
 日本軍の木材伐採現場なんてのも、当然、ゲリラの攻撃対象でした。私が調査していた場所(ヌエバエシハ州のガバルドン町)も同様でした。ゲリラ側攻撃と、日本軍およびマカピリによるゲリラ掃討戦が凄惨をきわめたのです。日本人として、調査をするのが辛いと感じることもしばしばでした。

 「日本軍に雇われて木材伐採現場で働いていたら、木材運搬トラックをゲリラに襲撃された。乗っていた7人中5人が死んだ。私は幸運にも生き残った一人だった」という話しを聞いたかと思えば、そのトラックの襲撃に加わった抗日ゲリラ兵の一人が、殺されかけた方の隣近所で今も存命だったりしたのです。
 一つの町の中で、隣近所同士でも、日本に協力するかゲリラに協力するかで、お互いに凄惨な殺し合いを演じていたのです。本当にむごいものです。
 
 「父親は、ゲリラと間違えられて日本軍に殺された」なんて話しも幾度も聞かされました。調査の際には親族の構成についても聞くので、「ご両親は?」と尋ねて「父は日本軍に殺された」と返事が返ってくることが何度もありました。その度に本当に辛かったです。
 もちろん、子供にも隠して本当にゲリラに協力していた例もあるでしょうし、無実であるにもかかわらず、疑心暗鬼に陥っていた日本軍に容疑だけで殺された例もあるでしょう。しかし、そうやって多くの方々が殺されたのです。

 日本軍に協力してゲリラ掃討戦に参加していたのがマカピリの人々でした。私の調査地では、マカピリ参加者の生き残りには一人もインタビューできませんでした。彼らは日本軍に従軍して立ち去ったからです。
 日本陸軍は、山下将軍の指揮の下、最終的に北部ルソン・イフガオ州の山岳地帯に立て篭もって、山岳ゲリラ戦で米軍と戦う道を選びます。私の調査地でマカピリに参加していた人々は、イフガオに合流するために、日本軍に従軍してその地域から撤退したという話しでした。
 日本の敗戦後、フィリピン各地で、対日協力者のマカピリが摘発され、戦中の報復としてリンチを受けたり、なぶり殺しに合ったりしたのです・・・・。
 
 来週のNHKの番組は、こうした悲劇を、ラグナ州を事例に描いていきます。米軍と戦うために日本に協力した「マカピリの言い分」をかなり克明に伝えますので、小林よしのりさんを大好きな方々が観ても絶対に面白いと思います。真の独立とは何なのか、米国の植民地だったフィリピンの事例を通して、米国の支配下にある現在の日本をも鑑みる契機になるかと思います。 
  
 さて、今夏のNHKの戦争関連番組といえば、すごい番組が目白押しでした。とくに、BSハイビジョンでの放送だったので観た人は少ないと思いますが、証言記録「マニラ市街戦 ~死者12万焦土への1ヶ月~」はすごい番組でした。あの番組を制作した方々には心から敬意を表したいと思います。
 米兵、日本兵、マニラ市民というそれぞれの立場の人々にインタビューをして、凄惨なマニラ市街戦の全体像を見事に描きだしていました。犠牲者であるマニラ市民へのインタビューを詳細に試みた点はすばらしかったです。
 日本軍は市民が日常生活を営むマニラの旧市街地域に、いわば市民を人質にして篭城するわけです。その中で、抗日ゲリラの嫌疑をかけた市民を片端から殺していきました。米軍も米軍で、多数の市民がいると知っていながら、市街地の外から砲弾の雨を降らせ、マニラ市民もろとも日本軍を吹き飛ばしていきました。それでマニラ市民の死者が10万人・・・・。一般市民に無差別に砲弾の雨を浴びせかけた米軍の作戦のメチャクチャさを見れば、あれを「フィリピンを日本の支配から解放した正義の戦い」などと考えるアメリカ人の歴史認識がいかに間違っているか分かります。
 番組の最後で、マニラ市に砲弾を打ち込んだ側の元米兵のおじいさんも、ゲリラ掃討に参加した元日本兵のおじいさんも、その罪の重さに耐えかねたように、インタビューに答えながら涙を流していた姿が本当に印象的でした。 
 BSじゃなくて地上波でやって欲しかった・・・・・。
 

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2 コメント

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亜細亜主義の陥穽 (かつ)
2007-09-04 13:00:51
こんにちは
アギナルドを支援した宮崎とう天のような人がいたという記憶が、かえって現地の古くからの独立運動家らに日本軍へのおかしな希望を持たせたということもあるのでしょうね。
中国に対して朝鮮に対しても同じですが、最初は連帯であったはずの民間活動家らの運動が、最後は軍部や政府によって簒奪されるという結果になっていますね。
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かつ様 ()
2007-09-06 01:20:11
 はじめまして。トラックバックとコメントありがとうございました。当時、フィリピンの独立戦争の世界史的意義を理解して、アギナルドの支援しようとした孫文や宮崎滔天はすごかったと思います。また日本人では、土佐の自由民権派だった坂本志魯雄という人が、フィリピンに渡ってアギナルドの革命軍に参加しています(この人がどういう人だったかちゃんと調べてないのですが)。
 
 またトラックバックの記事も大変に興味深かったです。玄洋社のことなど私はよく知らなかったので勉強になりました。
 宮台氏は、大したことを言っていないのに、難解なジャーゴンを駆使して大したことを言っているように見せかけるのがうまいようですね。
 難解なことでも優しく書こうとするのが学者の務めではないかと思います。優しいことをわざわざ難しく書いて自分をエラく見せたがる学者を、私は軽蔑してます。
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