ポール・クルーグマンが「スウェーデン銀行賞」を受賞した。ちなみにスウェーデン銀行賞は、俗にノーベル経済学賞と呼ばれているが、アルフレッド・ノーベルとは無縁である。まさに「銀行賞」という名にふさわしい、金融業界の、金融業界による、金融業界が世界を支配するための賞といってよいものだった(少なくとも以前は)。
今回の受賞の理由となったクルーグマンの貿易理論は、貿易に収穫逓増の現実と経済地理学の要素を組み込んだもので、反新古典派の立場の貿易理論である。ところが驚いたことに、日本のマスコミはクルーグマンの理論について、「自由貿易の理論を提示」などと解説していた。自由貿易に対する信仰ゆえに事実を捻じ曲げることをいとわない、日本のマスコミの、あまりの愚かさに頭がクラクラする。
クルーグマンの理論のオリジナルは、伝統的な自由貿易論を否定し、国家の介入による戦略的貿易政策を肯定する理論である。
新古典派は収穫逓減という間違った前提のもとに、比較優位性にもとづく国際分業体制で国際収支は均衡するという間違った帰結を「証明」している。現実の国際貿易が均衡していないことは、周知のとおりである。新古典派経済学の最大の誤りは、収穫逓減という誤った仮定のもとに、現実には存在しない「均衡」を導き出していることだ。経済学に収穫逓増を持ち込んだとたん、新古典派の理論はすべて瓦解する。そして収穫逓増理論にスウェーデン銀行賞が贈られるのは、これがはじめてのことだ。新古典派の時代の終焉を象徴する出来事といえるのかも知れない。
収穫逓増の貿易理論は国際収支が均衡しない理由を説明するし、政府介入を正当化する。クルーグマンの理論は、そもそもは伝統的な新古典派の「比較優位論」を否定する、複雑系の貿易理論の端緒となる反自由貿易論だった。新古典派的な比較優位論を打ち崩す内容のものなのだ。
ところが、クルーグマン本人は、いったんは収穫逓増理論で新古典派の比較優位論を崩し、複雑系の理論に足を踏み入れ始めたかに見えたが、その後、反転して保守化した。1990年代の半ばごろから、収穫逓増の研究を打ち止め、「比較優位論はたいへん美しい理論であり、ただ経済学者だけが理解できるようである」などと述べたりするなど、態度を豹変させたのである。
おそらくクルーグマンは、新古典派貿易論の枠組みを崩すことで、経済学会から孤立したり、政府から煙たがられたり、スウェーデン銀行賞から遠ざかったりしてしまうのをおそれたのであろう。まあ、平気でこのような「転向」をするのだから、基本的にクルーグマンなんてろくな経済学者じゃない。
ところが皮肉にも、今回の受賞は、クルーグマン本人が怖くなって研究を打ち止めたところの、比較優位論を否定する収穫逓増の経済地理学的貿易理論だったのである。なかなか笑える話である。
国際的な自由貿易体制が崩れかかっているこの現状で、反新古典派の貿易理論に賞が贈られたことは、時代の要請だろう。国際エリート層が、今後の世界経済体制は自由放任の市場原理主義と決別しなければならないという意志を持つにいたったという事実を反映しているのだろう。
ちなみに、この領域においてクルーグマン本人の独創性など微々たるものである。本来、賞を贈られるべき人々は他にいる。
反新古典派の収穫逓増の経済理論(進化経済学・複雑系の経済学と呼ばれる)に賞を評価するのだとしたら、その分野を切り開いたブライアン・アーサー氏に贈るべきであろう。また経済地理学から空間経済学という新領域を切り開いた日本の藤田昌久氏にも贈るべきであろう。クルーグマンの理論は、収穫逓増の問題に関しては、アーサーの二番煎じだし、経済地理学や偶然性に基づく産業立地の点に関しては藤田理論の二番煎じだからだ。
ちなみに、収穫逓増の前提に立つ経済地理学的な貿易理論の成果をわかりやすく解説した教科書に、The Spatial Economy(MIT press, 2001)があるが、著者は藤田昌久、ポール・クルーグマン、アンソニー・ベナブルスの三氏で、ファースト・オーサーはクルーグマンではなく、藤田昌久氏である。この分野を切り開いたのは藤田氏なのだから当然だ。
今回の受賞の理由となったクルーグマンの貿易理論は、貿易に収穫逓増の現実と経済地理学の要素を組み込んだもので、反新古典派の立場の貿易理論である。ところが驚いたことに、日本のマスコミはクルーグマンの理論について、「自由貿易の理論を提示」などと解説していた。自由貿易に対する信仰ゆえに事実を捻じ曲げることをいとわない、日本のマスコミの、あまりの愚かさに頭がクラクラする。
クルーグマンの理論のオリジナルは、伝統的な自由貿易論を否定し、国家の介入による戦略的貿易政策を肯定する理論である。
新古典派は収穫逓減という間違った前提のもとに、比較優位性にもとづく国際分業体制で国際収支は均衡するという間違った帰結を「証明」している。現実の国際貿易が均衡していないことは、周知のとおりである。新古典派経済学の最大の誤りは、収穫逓減という誤った仮定のもとに、現実には存在しない「均衡」を導き出していることだ。経済学に収穫逓増を持ち込んだとたん、新古典派の理論はすべて瓦解する。そして収穫逓増理論にスウェーデン銀行賞が贈られるのは、これがはじめてのことだ。新古典派の時代の終焉を象徴する出来事といえるのかも知れない。
収穫逓増の貿易理論は国際収支が均衡しない理由を説明するし、政府介入を正当化する。クルーグマンの理論は、そもそもは伝統的な新古典派の「比較優位論」を否定する、複雑系の貿易理論の端緒となる反自由貿易論だった。新古典派的な比較優位論を打ち崩す内容のものなのだ。
ところが、クルーグマン本人は、いったんは収穫逓増理論で新古典派の比較優位論を崩し、複雑系の理論に足を踏み入れ始めたかに見えたが、その後、反転して保守化した。1990年代の半ばごろから、収穫逓増の研究を打ち止め、「比較優位論はたいへん美しい理論であり、ただ経済学者だけが理解できるようである」などと述べたりするなど、態度を豹変させたのである。
おそらくクルーグマンは、新古典派貿易論の枠組みを崩すことで、経済学会から孤立したり、政府から煙たがられたり、スウェーデン銀行賞から遠ざかったりしてしまうのをおそれたのであろう。まあ、平気でこのような「転向」をするのだから、基本的にクルーグマンなんてろくな経済学者じゃない。
ところが皮肉にも、今回の受賞は、クルーグマン本人が怖くなって研究を打ち止めたところの、比較優位論を否定する収穫逓増の経済地理学的貿易理論だったのである。なかなか笑える話である。
国際的な自由貿易体制が崩れかかっているこの現状で、反新古典派の貿易理論に賞が贈られたことは、時代の要請だろう。国際エリート層が、今後の世界経済体制は自由放任の市場原理主義と決別しなければならないという意志を持つにいたったという事実を反映しているのだろう。
ちなみに、この領域においてクルーグマン本人の独創性など微々たるものである。本来、賞を贈られるべき人々は他にいる。
反新古典派の収穫逓増の経済理論(進化経済学・複雑系の経済学と呼ばれる)に賞を評価するのだとしたら、その分野を切り開いたブライアン・アーサー氏に贈るべきであろう。また経済地理学から空間経済学という新領域を切り開いた日本の藤田昌久氏にも贈るべきであろう。クルーグマンの理論は、収穫逓増の問題に関しては、アーサーの二番煎じだし、経済地理学や偶然性に基づく産業立地の点に関しては藤田理論の二番煎じだからだ。
ちなみに、収穫逓増の前提に立つ経済地理学的な貿易理論の成果をわかりやすく解説した教科書に、The Spatial Economy(MIT press, 2001)があるが、著者は藤田昌久、ポール・クルーグマン、アンソニー・ベナブルスの三氏で、ファースト・オーサーはクルーグマンではなく、藤田昌久氏である。この分野を切り開いたのは藤田氏なのだから当然だ。
>クルーグマンのどの論文を指してそう主張されるのですか?
Krugman(1979),Krugman(1980),Brander and Krugman(1983),Krugman(1985),Krugman(1991)を時間があればでいいので、式の導出を含め手で解けばわかると思います。
日本語の解説本なんかよりよっぽどモデルに精通できます。
何よりKrugmanモデルの成果が何か、そして限界が何かしっかりわかると思います。
>上でコメントしているたんさいぼう影の会長さんは水生生物の研究者で、私は森林の研究者です。
私はブログ主さんが経済学の研究者であることを前提に全て話をしていました。(よく調べもせずすみません。)
厳しい口調で批判してしまい申し訳ありませんでした。
経済学もまだまだ捨てたものじゃありません。
私もこれから頑張っていきます。
他の記事で、私の言っていることを「デタラメ」などとさんざんに誹謗中傷しておられるので、もう一言付け加えておきます。
上でコメントしているたんさいぼう影の会長さんは水生生物の研究者で、私は森林の研究者です。
外部の人間の批判を真摯に受けとることができず、人の言うことをデタラメ呼ばわりしているようは、先が思いやられます。
影の会長さんも私も、自由貿易による外部不経済の問題を死活的に重要と考えています。貿易論の研究者はモデルで分析しにくいという理由で、この問題を真摯に分析しようとしません。
経済学者は不都合な事実から目を背け、真剣に取り組みません。そういう態度だから、私たちのような外野から批判されるのですよ。
たとえば自然科学分野ではネイチャーの以下の論文をご覧ください。
http://www.nature.com/nature/journal/v486/n7401/abs/nature11145.html?lang=en
「国際貿易は動物種の絶滅の原因の30%を占める」これが結論です。これでも少なく見積もっているほどです。自由貿易がもたらす、この甚大な不可逆的損失を費用換算なんかできません。
あなたは、「貿易による外部不経済効果の論文をあまり見たことがない」というように言っておられました。他分野の学術誌で提起されているこうした報告についても、「自然科学分野のジャーナルで、経済学とは分野が違うから読む必要ないや」と考えるのですか?
狭いモデルに閉じこもっていて、現実に発生しているこうした問題から目を背けようとしている経済学者が多いから、経済学は批判されるのです。
自由貿易と外部不経済の問題の問題を扱った経済学者の著作としては島本美保子著『森林の持続可能性と国際貿易』(岩波書店)などをご覧ください。
外部性が大きい場合には、関税の賦課が効果的であることを理論的にも実証的にも示しています。
私も、森林研究者ですが、環境関係のジャーナルばかりじゃ限界があり、経済学者に訴えなければと考え、経済学者と共著で経済学のジャーナルに投稿したこともあります。例えば、自由貿易が森林資源の持続可能性を脅かすという内容です。以下。
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0921800904001508
↑ この論文、FAOやEUのような国際機関が報告書などで盛んに引用・紹介してくれましたし、経済学者も多く海外のジャーナルで引用してくれてます。海外のちゃんとした経済学者は、私のような外野からの批判にも真摯に対応するものなのです。
日本は本当にダメです。あなたのように、権威主義に毒され、検討することもなく、貿易論の専門誌に書いていないからという理由で私の言っていることを、デタラメ呼ばわりして済まそうとしているのですから。これでは、意味のある研究なんてできません。
そのような態度ですと、せいぜい海外の「偉い人」の言っていることを受け売りにして、その解説本を書くのが関の山です。
私が留守のあいだにいろいろと書きこんで下さってありがとうございます。時間が経過してしまったので、もうこのブログを閲覧していないと思いますが、何かの拍子にまた訪れてくれるかも知れませんので返信しておきます。
>残念ながらクルーグマンのモデルでも貿易収支は均衡します。手で解けばわかると思います。
クルーグマンのどの論文を指してそう主張されるのですか?
ヘクシャー=オリーンモデルを前提としても、収穫逓増の場合において、競争均衡は存在しません。貿易利益は双方の国に不均等に分配され、一方の国は貿易によって損失を被ることも示すことができます。
日本語訳されているクルーグマンの本ですと、『国際貿易の理論』(文眞堂、1999年)の第6章「貿易、資本蓄積および不均等発展」などをご覧ください。
貿易によって、初期状態の資本量の大小の差異によって、経路依存的に工業地域と非工業地域に分離していき、動学的に格差は拡大を続けます。
クルーグマンは、このモデルでレーニンやホブソンなどが「帝国主義論」で論じた不均等発展のメカニズムを説明できると論じています。明らかにこれらの論文を書いた時点でのクルーグマンは自由貿易に批判的です。
クルーグマンは時代によって言っていることが異なるので、もちろんあなたの言っていることが該当する論文もあるでしょうが。
しかし、この人とマンキューの経済政策論争など見ていると、(少なくともマンキューよりは)はるかに優れたソフト・サイエンティストであることは一目瞭然です。
理由はおそらく、現実の解釈と政策提言のために使えるもの(理論・モデル)は何でも使う、という態度で経済現象と向き合っているからです。例えば以下の文章。
http://econ101.jp/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8C%E4%B8%96%E8%A5%B2%E5%AF%8C%E8%B1%AA%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%EF%BC%9A%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AD/
優れたソフト・サイエンティストは、様々な理論が適用できる範囲とその限界を心得ていて、状況に応じてフレームワークを使い分けます。そして、貿易理論専攻様が指摘された通り、その使い分けが的確であること、新しい有効な適用範囲を見出すことにこそ、価値があるのです。
ただしクルーグマンの場合、自らの学問を生かして実現すべきものは「アメリカ合衆国の国益」、これ以外の何物でもないことに注意する必要があります。だから彼が書いたものを読むときには、アメリカ合衆国の外部にいる私たちにとってそれがどういう意味を持つのかを、常に考えなければなりません。
以上、応用生態学分野の人間の分析でした。経済学の人たちにはどう見えるかな?
過去の記事なので今はこうした批判は承知のことかもしれませんが。
>驚いたことに、日本のマスコミはクルーグマンの理論について、「自由貿易の理論を提示」などと解説していた。自由貿易に対する信仰ゆえに事実を捻じ曲げることをいとわない、日本のマスコミの、あまりの愚かさに頭がクラクラする。
クルーグマンのモデルをちゃんと解けば自由貿易によって各国の厚生が上がることが分かります。
自由貿易を是とする理論であることは間違いないでしょう。
>クルーグマンの理論のオリジナルは、伝統的な自由貿易論を否定し、国家の介入による戦略的貿易政策を肯定する理論である。
ブランダー・クルーグマンのモデルのことでしょうか?
これについてはばりばりの新古典派だと思いますが。
>収穫逓増の貿易理論は国際収支が均衡しない理由を説明するし、政府介入を正当化する。
残念ながらクルーグマンのモデルでも貿易収支は均衡します。手で解けばわかると思います。
>おそらくクルーグマンは、新古典派貿易論の枠組みを崩すことで、経済学会から孤立したり、政府から煙たがられたり、スウェーデン銀行賞から遠ざかったりしてしまうのをおそれたのであろう。
上述の通りクルーグマンは分析したい内容によって新古典派のモデルと、収穫逓増モデルを使い分けているだけであって、新古典派理論の枠組みを崩すことなど考えていなかったと思います。
>ちなみに、この領域においてクルーグマン本人の独創性など微々たるものである。本来、賞を贈られるべき人々は他にいる。
貿易理論の世界でも、経済地理学の世界でもまれにみる革新的発見をした人です。
>反新古典派の収穫逓増の経済理論(進化経済学・複雑系の経済学と呼ばれる)に賞を評価するのだとしたら、その分野を切り開いたブライアン・アーサー氏に贈るべきであろう。また経済地理学から空間経済学という新領域を切り開いた日本の藤田昌久氏にも贈るべきであろう。クルーグマンの理論は、収穫逓増の問題に関しては、アーサーの二番煎じだし、経済地理学や偶然性に基づく産業立地の点に関しては藤田理論の二番煎じだからだ。
収穫逓増を貿易理論や経済地理学に持ち込み、驚くべき成果を生み出すということが実はとても難しいことなのです。
ちなみに、自由貿易が失業者を増やすという点に関しては、塩沢由典先生の以下の論文を参照ください。
数学的に証明しています。
http://www.shiozawa.net/keizaigaku_saishin/index.html
てな本を出していました。感心したのですが、特にその主張が広まったり、取り上げられることもなく今まで来ているようですが、学問世界ではどのように反論されたのでしょうか。それとも反論もされず黙殺されたのでしょうか。
確かに、日銀がゼロ金利をもっと早く止めていれば、円キャリー・トレードなんかでアメリカに円を吸い取られ続けることもなく、日本の貧困もこれほど深刻になることもなかったのかも知れませんね。
ちなみに、私は経済学についてはシロートなので、「先生」などではありませんが・・・。
先生、それはやりすぎです。
日銀がゼロ金利と量的緩和をもっと早く止めていれば、今の世界経済の崩壊はもっと違ったものになっていたはずです。クルーグマンが最終的には日本国債の長期金利の上昇によりこの国を滅ぼそうとしていたとは思いますが。
あの賞が、米英が市場原理主義イデオロギーに権威を与えて世界に押し付けるための道具になってしまったために、資本主義を批判する宇沢先生に授与することなど決してできなくなってしまったのでした。
けっきょく今でも、米英の世界経済支配を維持したいという戦略は不変なので、クルーグマンには出せても藤田先生には出せないのでしょう。アジア人経済学者に授与して権威を与えることは、米英からみればもっとも忌避すべきことなのでしょう。
ちなみに、アジア人で唯一スウェーデン銀行賞を受賞したインドのアマルティア・センは、ロスチャイルドの娘と結婚しているのです(それがセンの三回目の結婚)。受賞を目的として、金融エリート支配層のインナー・サークルに近づこうとした政略の悪臭がプンプンします。
センは魂をロスチャイルドに売ることによって、受賞を得たといえるのかも知れません。アジア人の面汚しです。
切れ味のいいフリードマン批判は溜飲が下がりました。
閑話休題。
受賞の報せを見て、本屋に行きましたらクルーグマン氏の本はなく、スティグリッツ氏の本を買いました。
「ブッシュ批判」という部分に惹かれてクルーグマン氏に興味を持ったのですが、なるほど・・・でした。
ご教示感謝いたします。
ここで藤田先生がクローズアップされないで、クルーグマンばかりが権威を高めるというのはどう考えてもおかしいです。
皆さん、クルーグマンの内政干渉には今後とも十分に注意しましょう。彼の言うことを聞きいれたりすれば、それこそ日本経済は滅ぼされかねません。
ちなみに私ごとなのですが、私が以前『複雑適応系における熱帯林の再生』という本で、アジア経済研究所から途上国研究奨励賞という賞をいただいたときのアジア経済研究所の所長が藤田昌久先生でした。
審査委員の中にいて、まったく異端のアプローチで、ふつうなら評価されないはずの私の研究を評価して下さったのが藤田先生でした。
当時の私は極貧フリーター研究者でしたが、藤田先生に評価してもらって賞をいただいたおかげで、その後ようやく定職も得ることができたのでした(37歳でようやく)。藤田先生がいなかったら、私は今も漂う極貧フリーターだったのかも知れません。
いつ頃決まったんだろう。
クルーグマンが変節漢で「竹中とグル(笑)」だとは知りませんでした。
スティグリッツの政府発行通貨の話ならネットにちらほらありましたが…
門外漢の私は「クルーグマン教授の経済入門 」を楽しく読んだものでした。
門外漢なもので藤田先生というのを存じ上げないのですが、ノーベル財団のHPの"http://nobelprize.org/nobel_prizes/economics/laureates/2008/sci.html"
にはFujitaという名前が頻出してますね。
Important precursors to Krugman’s analysis were published by Abdel-Rahman (1988) and Fujita (1988), who developed models of location within an agglomeration based on Dixit-Stiglitz monopolistic competition and derived equilibrium patterns of location.
In these models, however, there is no agricultural sector and no migration across regions.
(と、書いてる一方で…)
real-world transport costs appear to be at least as high for agricultural goods as for manufactured products.
This would neutralize the home-market effect (Davis, 1998).
But Fujita, Krugman, and Venables (1999, Chapter 7) have shown that there are similar mechanisms in a world of transport costs in both sectors and differentiated agricultural products.
In such cases, a reduction in agricultural transport costs may trigger agglomeration
In other work, Krugman and several co-authors have bridged the gap between the new economic geography literature and the more traditional research in urban and regional economics (Fujita and Krugman, 1995, Fujita, Krugman and Venables, 1999, and Fujita, Krugman and Mori, 1999).
These contributions seek, among other things, to answer the fundamental question of where and when new cities emerge.
They emphasize how the land requirements of the agricultural sector interact with scale economies of the industrial sector.
(で、結語が…)
His monographs, co-authored with Helpman and with Fujita and Venables, demonstrate the richness of the new theories.
しかし彼が日本経済に要求してきたことはメチャクチャでした。他人の国だと思って、無責任なことを言いたい放題でした。しかも、彼の高圧的な要求ぶりは、まるで宗主国からやってきた行政官が、植民地の行政官に命令するが如しでした。
要するに、「日銀が輪転機を回して紙幣を増刷し、日本国債を直接引き受けてインフレを起こせ」とマネタリストみたいな主張をし続けたのです。
そんなことをしていれば、それこそハイパー・インフレになったと思います。インフレ・ターゲット論では、竹中とクルーグマンは同じ立場で、まさに「アホ」そのものでした。
日銀は、竹中やクルーグマンの「インフレ要求」を断固として拒絶し、決して日本国債の直接引き受けをしませんでした。
私は、クルーグマンのアホなインフレ要求を拒絶し続けた日銀にこそノーベル経済学賞を授与したいです。
この辺のクルーグマンのバカさ加減に関しては、リチャード・クー氏の『日本経済を襲う二つの波』(徳間書店)に詳しく書かれていますので、ご参照ください。
基本的にクルーグマンは日本人をバカにしているとしか思えません。彼に権威など与えてしまえば、日本はますますアメリカに食い物にされてしまいます。
私は彼の著作や言説を利用するつもりです。
彼はその著作の中で小泉・竹中改革を完全に否定して、日本の不況の原因は総需要の不足であると断定していましたよね。
彼が変節漢かどうかは私は気にしません。
強大な敵=新自由主義と闘う上で彼の言説と受賞を最大限に利用しようと思います。
敵(新自由主義者)は手段を問いませんからね。
竹中平蔵をはじめ彼らの言説が詭弁と嘘八百だらけなのはあなたも十分ご存知のはずです。
大衆を騙して世論を誘導する為なら手段を選んでませんからね。
彼等に対抗する為にはクルーグマン教授の著作と肩書が必要なんです。
そこのところを分かって下さい。