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“プラド美術館所蔵、ゴヤ、光と影”展  2011.11.12 (国立西洋美術館)

2011-11-13 09:02:09 | Weblog
 フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)はフランス革命期を生きたスペイン美術の巨匠。
 
  ① ゴヤの自画像
 「自画像」(5、1815年)は69歳のゴヤ。すでにナポレオン侵略期の悲惨と残虐を見ている。表情が暗い。
          
  ② タピスリー用原画における社会批判
 「日傘」(6、1777年):若い娘は上流階級。フランスかぶれ。日傘を差しかける男は下層階級の伊達男、マホ。身分の差が描かれる。
          
 「マハとマントで顔を覆う男たち(旧称、アンダルシアの散歩道)」(7、1777年):マハは下層階級の粋な女。連れの男に言いがかりをかけそうな3人の男たち。女が気をつけるように男に言う。
 「マドリードの祭り」(10、1778-79年):王太子夫妻の寝室用の絵。フランス啓蒙主義の波はスペインにも至る。神話や宗教画でなく街の風俗が主題となる。横柄な上流階級と卑屈な露天の商人が対比される。

  ③ 女性のイメージ:嘘と無節操
 「洗濯女たち」(15、1779-80年):彼女たちは奔放あるいはふしだら。寝る女の手は下腹部にある。羊はエロチックさを示す。
           
  ④ 「国王夫妻以下、僕を知らない人はいない」:宮廷でのゴヤの成功&心理研究としての肖像画
 1789年、ゴヤは首席宮廷画家となる。1800年はゴヤの宮廷での成功の絶頂期。
 「赤い礼服の国王カルロス4世」(48、1789年頃):威厳ある国王。
 「スペイン王子フランシスコ・デ・パウラ・アントニオの肖像」(52、1800年):王子として、将来の国王として、自信に満ちたまなざし。
          
 (参考)「カルロス4世の家族」(1800-1801年)
                       
  ③(続) 女性のイメージ:嘘と無節操(続)
 首席宮廷画家となり成功の絶頂にあったゴヤだが、自由な発想を失わない。
 「掃除している若い女<素描帖A>(n)」(13、1794-95年):彼女は着飾って掃除している。夫は年寄りの好色な金持ち。それを牡牛の頭の骨が暗示する。鳥かごが彼女の立場を示す。もちろん彼女は裕福な生活を望む。
 「アルバ女公爵と“ラ・ベアタ”」(16、1795年):アルバ女公爵はゴヤを寵愛。この絵では彼女が老女の迷信を責める。
 「着衣のマハ」(29、1800-07年):宰相ゴドイからの注文。これとセットの「裸のマハ」は最初、ヴィーナスとの説明だった。異端審問所で問題にされたがゴヤは、うまく言いぬける。マハは下町の伊達女。
     
  ⑤ 版画集『ロス・カプリーチョス』:ごまかし・偽りの告発&魔物たち
 1793年、耳が聴こえなくなったゴヤは内省化する。夢がゴヤの関心を惹く。
 「魔女たちの飛翔」(43、1798年):司教の長い帽子をかぶった魔女たちが若者に口づけし、魔女の知識を注入しつつ飛翔する。これは独立した油絵。
                    
 1799年『ロス・カプリーチョス』をゴヤは出版する。ロス・カプリーチョスとは気まぐれ、奇想、自由な発想、創作の意である。
 「<ロス・カプリーチョス>39番、祖父の代までも」(39、1797-98年制作/1799年出版):人間の愚かさのシンボルとしてのロバ。ロバの先祖もロバ。

  ⑥ 版画集『戦争の惨禍』(1810-14年制作)
 1808-14年、ナポレオンによるスペイン侵略。ゴヤは、故郷サラゴサで、戦争における偉業を描くよう召集される。しかし彼が見たのは戦争の悲惨な成り行きだった。
 「これもまた」(36、1810-14年制作)
                 「同じことだ」(3、1810-14年制作)
                    
(参考)「マドリード、1808年5月3日」(1814年)
                                       
  ⑦ <素描帖C> (1808-14年頃):悪夢が示す狂気・無分別 
 「同じ夜の3番目の幻影(<素描帖C>、41番)」(90、1808-14年頃):理由もなく笑う女が踊っている。

  ⑧ 教会批判をしごまかし・偽りを告発するゴヤが示す宗教への願望
 「無原罪のお宿り」(92、1800-1801年)
 「荒野の若き洗礼者ヨハネ」(94、1808-14年頃):ゴヤの作と2000年に確認される。若く美しい洗礼者ヨハネ。

  ⑨ 版画集『闘牛技』(1814-16年制作/1816年出版)
 1814年、スペインは独立戦争に勝利する。戦後の闘牛人気を見込んでゴヤは1816年、版画集『闘牛技』を出版する。しかし悲劇・不運・残酷・悲惨を主題にしたので売れなかった。
 「<闘牛技>21番、マドリード闘牛場の無蓋席で起こった悲劇と、トレホーン市長の死」(1814-16年制作/1816年出版):悲惨な場面である。

  ⑩ 版画集『ロス・デスパラーテス(妄)』(1815-19年制作/1864年初版):ナンセンスな世界の背後の正気
 「<妄>4番、大阿呆」(108、1816-19年制作/1864年初版):腹の横にも顔がありグロテスク。

 独立戦争勝利後、フェルナンド7世は異端審問所を使って仏協力者を摘発、残酷に取り締まる。
 1821-23年(75-77歳)、ゴヤは「黒い絵」と呼ばれる14枚の壁画を描く。
 (参考)「子を喰らうサトゥルヌス」(1820-23年頃)はそのうちの1枚。
              
 仏協力者=自由主義者に対する弾圧を避けて1824年、ゴヤは78歳の時、フランスに亡命。ボルドーにおいて1828年に死去。享年82歳。
  
  ⑪ <ボルドー素描帖G>(1825-28年頃):奇怪な寓話
 「蝶の牡牛<素描帖G>53番」(1825-28年頃):牡牛を吊り上げる蝶たちには奇妙な顔がある。妄想。
                      
  ⑫ <ボルドー素描帖H>(1825-28年頃):人間の逸楽と暴力
 「必死に喧嘩する二人の大男<素描帖H>38番」(1825-28年頃):喧嘩する大男の一方は手にナイフを持ちもう一方を殺すかもしれない。娯楽と暴力は紙一重。異常なもの、歪んだものをゴヤは描く。

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