今、見頃の花たちです。
≪菩提樹≫




≪紫陽花≫




≪百合≫




どの花も綺麗です。
≪菩提樹≫は、恵光院(福岡市東区馬出)にて。
≪紫陽花≫は、筥崎宮「あじさい苑」(同上)にて。
≪百合≫は、筥崎宮「神苑花庭園」(同上)にて。
恵光院(えこういん)
筥崎宮の社坊である座主坊の末寺で、二代福岡藩主黒田忠之の開基により寛永年間(1624~1644)建立された。明治初期の廃仏毀釈の際、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品を恵光院に移し守った。これらの遺品のうち、木造釈迦如来坐像は高さ94.2cmで、鎌倉時代、中央の仏師により製作されたもので、もと箱崎村原田の瑞応寺という禅寺の本尊で、のちに筥崎宮の社内に移された。脇侍普賢菩薩像、文殊菩薩像(ともに江戸時代製作、木造)とともに市指定文化財(彫刻)。また境内には利休と秀吉の茶会ゆかりの燈籠堂がある。



元は、慈眼院と称して筥崎宮 参道脇に在ったお堂、明治三年に当院に移された。古くは承元二年(1208)の創立と伝えられ、寛政九年(1797)に修築されている。天正十五年(1587)六月、豊臣秀吉公が箱崎にて宿陣の折、千利休居士が茶を奉ったところとして歴史を想わせるお堂。
筥崎宮(はこざきぐう)
筥崎八幡宮とも称し、宇佐八幡宮(大分)、石清水八幡宮(京都)、とともに日本三大八幡宮の一つ。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされている。創建の時期については諸説あり断定することは困難だが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分宮(穂波宮)より遷座したことになっている。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしてきた。鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿った。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはなかった。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜として広く親しまれている。
「楼門」と「一の鳥居」

「楼門」
鹿島神宮(茨城)、 阿蘇神社(熊本)、とともに、日本三大楼門の一つ。 文禄3年(1594)筑前領主小早川隆景が建立、三間一戸入母屋造(さんけんいっこいりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)、建坪はわずか12坪であるが、三手先組(みてさきぐみ)といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物。「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることから伏敵門とも呼ばれている。扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と伝わる。
「一の鳥居」(国指定重要文化財)
慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したとその銘にある。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いている。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれている。


「筥松」または「しるしの松」と呼ばれるこの神木は、応神天皇がお生まれになったときの御胞衣(えな)を筥に入れ、この地に納めたしるしとして植えられた松である。この地は、もともと「葦津ヶ浦」と呼ばれていたが、この筥が納められたことで、この「筥松」のある岬ということで、「筥崎」と呼ばれるようになったという。「筥崎宮」の名の由来でもある。その縁起を能にしたのが世阿弥作による復曲能『箱崎』という。もっとも能では松の下にあるのは、箱に収められた戒(戒律)・定(精神集中)・恵(真理を見通す智恵)の三学の妙文だとされているらしい。

古くは地面から露出した部分で天編地位を占った。今はこの石を撫でると“運がわく”という。

博多では筥崎宮の海岸の真砂を“お潮井”という。これをもって身を清める。春秋の社日祭の“お潮井”はとくに尊いものとして扱われる。
筥崎宮には何度も参拝させていただいています。
ソフトバンクホークスの面々も、シーズン前には必勝祈願の参拝をされます。
「恵光院の菩提樹が見頃です。」という新聞記事をみつけて
さっそく、おじゃました。
恵光院に参拝するのは初めてです。
そして、菩提樹の花を見るのも初めてです。
筥崎宮の紫陽花と百合の花、一緒に見れてなんだか得した気分。
菩提樹の花って、お線香の香りがするんですよ。
「あじさい苑」
平成の御大典を記念し、境内の西奥に造られた神苑。6月になると御社殿を借景としておよそ3,500株のあじさいが、色とりどりに咲き競いあう。その美しい花景色は訪れた多くの参拝者の心をなごませている。
「神苑花庭園」
天正15年(1587年)豊臣秀吉が箱崎大茶会を開いてより400年、地下鉄2号線「箱崎宮前駅」開通などを記念して昭和62年4月開園した。 園内は冬ぼたん、春ぼたん、ユリなど四季折々に咲く花々と、京都より取り寄せた松、苔、石を組み合わせた枯山水を楽しめる本格的な回遊式日本庭園。
菩提樹は樹齢200年。
花のあとは、お念珠の玉になるそうですよ。
筥崎宮の神紋は、
「左三つ巴」です。
恵光院と筥崎宮
6月7日訪問
・・・
≪菩提樹≫




花言葉
結ばれる愛・結婚・熱愛・夫婦の愛

≪紫陽花≫




花言葉
団結・仲良し・家族・友達・和気あいあい・平和

≪百合≫




花言葉
威厳・純潔・無垢

どの花も綺麗です。
≪菩提樹≫は、恵光院(福岡市東区馬出)にて。
≪紫陽花≫は、筥崎宮「あじさい苑」(同上)にて。
≪百合≫は、筥崎宮「神苑花庭園」(同上)にて。
恵光院(えこういん)
筥崎宮の社坊である座主坊の末寺で、二代福岡藩主黒田忠之の開基により寛永年間(1624~1644)建立された。明治初期の廃仏毀釈の際、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品を恵光院に移し守った。これらの遺品のうち、木造釈迦如来坐像は高さ94.2cmで、鎌倉時代、中央の仏師により製作されたもので、もと箱崎村原田の瑞応寺という禅寺の本尊で、のちに筥崎宮の社内に移された。脇侍普賢菩薩像、文殊菩薩像(ともに江戸時代製作、木造)とともに市指定文化財(彫刻)。また境内には利休と秀吉の茶会ゆかりの燈籠堂がある。


燈籠堂

元は、慈眼院と称して筥崎宮 参道脇に在ったお堂、明治三年に当院に移された。古くは承元二年(1208)の創立と伝えられ、寛政九年(1797)に修築されている。天正十五年(1587)六月、豊臣秀吉公が箱崎にて宿陣の折、千利休居士が茶を奉ったところとして歴史を想わせるお堂。
筥崎宮(はこざきぐう)
筥崎八幡宮とも称し、宇佐八幡宮(大分)、石清水八幡宮(京都)、とともに日本三大八幡宮の一つ。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされている。創建の時期については諸説あり断定することは困難だが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分宮(穂波宮)より遷座したことになっている。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしてきた。鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿った。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはなかった。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜として広く親しまれている。
「楼門」と「一の鳥居」

「楼門」
鹿島神宮(茨城)、 阿蘇神社(熊本)、とともに、日本三大楼門の一つ。 文禄3年(1594)筑前領主小早川隆景が建立、三間一戸入母屋造(さんけんいっこいりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)、建坪はわずか12坪であるが、三手先組(みてさきぐみ)といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物。「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることから伏敵門とも呼ばれている。扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と伝わる。
「一の鳥居」(国指定重要文化財)
慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したとその銘にある。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いている。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれている。
筆塚

神木「筥松」

「筥松」または「しるしの松」と呼ばれるこの神木は、応神天皇がお生まれになったときの御胞衣(えな)を筥に入れ、この地に納めたしるしとして植えられた松である。この地は、もともと「葦津ヶ浦」と呼ばれていたが、この筥が納められたことで、この「筥松」のある岬ということで、「筥崎」と呼ばれるようになったという。「筥崎宮」の名の由来でもある。その縁起を能にしたのが世阿弥作による復曲能『箱崎』という。もっとも能では松の下にあるのは、箱に収められた戒(戒律)・定(精神集中)・恵(真理を見通す智恵)の三学の妙文だとされているらしい。
湧出石

古くは地面から露出した部分で天編地位を占った。今はこの石を撫でると“運がわく”という。
お潮井浜の真砂

博多では筥崎宮の海岸の真砂を“お潮井”という。これをもって身を清める。春秋の社日祭の“お潮井”はとくに尊いものとして扱われる。
筥崎宮には何度も参拝させていただいています。
ソフトバンクホークスの面々も、シーズン前には必勝祈願の参拝をされます。
「恵光院の菩提樹が見頃です。」という新聞記事をみつけて
さっそく、おじゃました。
恵光院に参拝するのは初めてです。
そして、菩提樹の花を見るのも初めてです。
筥崎宮の紫陽花と百合の花、一緒に見れてなんだか得した気分。
菩提樹の花って、お線香の香りがするんですよ。
「あじさい苑」
平成の御大典を記念し、境内の西奥に造られた神苑。6月になると御社殿を借景としておよそ3,500株のあじさいが、色とりどりに咲き競いあう。その美しい花景色は訪れた多くの参拝者の心をなごませている。
「神苑花庭園」
天正15年(1587年)豊臣秀吉が箱崎大茶会を開いてより400年、地下鉄2号線「箱崎宮前駅」開通などを記念して昭和62年4月開園した。 園内は冬ぼたん、春ぼたん、ユリなど四季折々に咲く花々と、京都より取り寄せた松、苔、石を組み合わせた枯山水を楽しめる本格的な回遊式日本庭園。
菩提樹は樹齢200年。
花のあとは、お念珠の玉になるそうですよ。
筥崎宮の神紋は、







菩提樹は、その花の事を意識したことがなかったのですが、可愛いお花ですね^^
きれいに撮れていますね。
それに、画像がスクロール?するのですね。
すごいです。その技術……。
分かっているんですけど、中々出かけようとしないのよね、筥崎宮。
菩提樹の花、初めて見たかも・・・
花が咲くこと知らなかった(笑)
はなこころさんは、いつも車でお出掛け?
それとも交通機関を使ってですか?
私も初めてです。
愛らしいお花ですね
花めぐりも素敵ですね~♪
>菩提樹の花って、お線香の香りがするんですよ。
そうなんですか?
だから、お線香の香りを菩提樹に似せたんじゃないですか^^
したっけ。
百合は花粉がついたら最後。取れないよって。
周りにあまり花がないので、こうして写真で見られるのは嬉しい事です
たまにはゆっくり、車ではなく徒歩で花を見に行こうかな~
ユリもアジサイもきれいですね。
週末は仕事がないので
ちょっとドライブしようかな~~~
お花を見に行かないと、ストレスがたまります。
お花がいっぱいなんですね。
菩提樹の花は、私も初めてです。
今日も、おメメもかほう^^
ありがとうございました。
実は「東京のへそ」と言われる神社があるんです^^。
http://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/hachimangu/history
そこに大きな菩提樹があるんです^^。
菩提樹
清楚な気品漂う夏の風物詩 社殿前で大空をさして幾重にも枝を茂らせる菩提樹。松平秀康公の夫人で当宮を篤く崇敬された清涼院のお手植えと伝えられております。 6月の中旬には、写真のように淡黄色の小花を一面 につけ、清楚な気品のある香りを漂わせます。花が散ると樹下は一面、黄色のジュータンを敷いたようになります。
この菩提樹の実を拾ってきてブレスレットにしております^^。
自分としてはお数珠のつもりなんですよ^^。
ぜひ秋に実を拾ってみてください^^。
模様が綺麗なんです^^。
紫陽花見頃で見応えがあります、
此方も紫陽花が色つき初めて来ました、