今日は【小正月】。
・・古くはこの小正月までが松の内だった(この日まで門松を飾った)ものが、江戸時代に徳川幕府の命により1月7日の大正月までとされたが、関東地方以外には広まらなかった。
わたしら昭和の人間にとって、
【成人の日】といえば、やっぱり今日です。
・・1948年公布・施行の祝日法によって制定された。制定から1999年までは毎年1月15日だった。成人の日を1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによるといわれている。
本日の良き日に際し、先達のありがたい言葉を贈ろうと書をあたった。「少年よ大志を抱け」「青春の夢に忠実であれ」のような前途激励未来礼賛型の名言もあるけれど、泥にまみれ打ちひしがれた体験に基づく言葉の方に共感が向いた
▼例えば作家の正宗白鳥。曰(いわ)く、「もう一度若くなって世の中を渡ってこなければならぬと思うと、何よりも先に煩わしい思いがする」
▼まだ人生の前半を歩む若者へは身もふたもない言葉だが、「『青春が楽しい』というのは迷想だ」と言い切ったのは英国のサマセット・モーム。どうも作家というのは、洋の東西を問わず皮肉屋が多い
▼きょうは「成人の日」。青春真っ盛りの、二十歳の門出を祝う。モームは先述の言葉に「青春を失った人たちの迷想だ」と続けた。成功を収めた多くの著名な方たちでさえも、振り返ればほろ苦さを抱えている
▼若い時は迷って当然、壁にぶつかって当たり前だ。現代の若者には「もっと不器用に生きてもいいのに」とも思う。体形ばかりか、生き方もスマートすぎる気がする。もっとも、わずかの失敗も挫折も許さない風潮があるとしたら、それは大人の責任だが
▼作家の吉行淳之介も「青春再体験」を拒否した一人。「青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。もう一度やれと言われてもお断りしたい」。そしてこう続けた。「といって現在がいいということではない」
以上、西日本新聞≪春秋≫より。
「いいということではない今」を生きる
わたしら大人の幸福とこれからを生きる若者の描く幸福とは
その基準に
大きな差があることでしょう。
けど、
≧やら、≦やら、
不等号の向きは、定まりません。
はたち。という響きは、いいものです。
はたち。をむかえられたみなさん
それぞれの幸福の実現、祈ります。
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