今回の台湾旅行を計画していたとき、
「神様になった日本人」というあるインターネット記事を読みました。
敵機に攻撃されて墜落しそうになる機を、村の住居を避けて操縦し、
そのため戦死した搭乗員が神様になっている、という話です。
その祠が今回の訪問先、台湾の台南にあることがわかりました。
台南に到着した次の日、真っ先にここを訪ねてきましたのでご報告します。
毎日日本からの参拝者の絶えないこの「鎮安堂、飛虎将軍廟」。
ここで神様として祀られているのが、冒頭写真の海軍搭乗員。
杉浦茂峰帝国海軍少尉。(戦死時兵曹長)
1944年12月12日朝、グラマン邀撃のため台南市同安区海尾上空に、
この杉浦兵曹長ら海軍201飛行部隊の零戦数機が上がりました。
零戦は勇敢にもグラマンに向かっていきますが、数で勝る敵にはかなわず、
一機、また一機と撃墜されていきます。
この空戦を目撃した者によると、そのなかでも一機の零戦は非常に善戦し、
また敵をよく制したとのことですが、圧倒的な多勢にはその健闘もむなしく、
そのうち被弾し尾翼から発火しました。
零戦はおそらく空戦から離脱し脱出するため、一旦態勢を急降下させました。
しかし次の瞬間、搭乗員は、そのまま機が墜落すればそこは「海尾寮」という村で、
当時の竹と木と土でできた家屋が並ぶ集落であることに気付いたのでしょう。
敢然と機首を上げ、機体を上昇に転じたのです。
機をそのまま村の東側にある畑と養殖池に向けた搭乗員は落下傘で脱出しますが、
グラマンに落下傘を機銃掃射で破られ、畑に墜落しました。
それが今現在、飛虎将軍廟のあるあたりです。
搭乗員は畑の上に仰向けに横たわり死んでいました。
村人が駆け寄ったところ、死んだ搭乗員の軍靴には「杉浦」と書かれていました。
その後、第二〇一海軍航空隊分隊長である森山俊夫大尉の協力で、
この搭乗員が杉浦繁峰飛曹長であることが明らかになります。
杉浦飛曹長はこの戦死後海軍少尉に昇進し、金鵄勲章を授与されました。
これだけなら、戦争中の「一つの戦死」として忘れ去られるところですが、
村人はそうではありませんでした。
自分の村を命を呈して守ってくれたこの海軍搭乗員を彼らは忘れなかったのです。
いや、正確には「忘れていたが、搭乗員が忘れさせなかった」と言うべきでしょうか。
終戦後何年かして、この悲劇のあった養殖池付近で不思議なうわさが立ちはじめます。
「白い帽子をかぶり白い服を着た人物が闇夜に現れ、
泥棒かと思って追いかけるとすうっと消えてしまう」
同じ白い帽子、白い服の人物の目撃談が相次ぎ、
さらには夢枕にその人物が立ったと言うものも現れるに及んで、
村人は恐怖にかられ、この地元の神様にお告げを聴いたところ、
「それは戦時中の戦死者の亡霊である」
という言葉が下されたのでした。
人々は、村を救うために零戦を最後まで操縦して無人の畑に墜落させ、
自分は逃げ遅れて撃墜されたあの日本軍の搭乗員のことを思い出しました。
あの搭乗員が白い帽子に白い服で現れたのだと。
廟の中には海軍の軍帽、昇進した杉浦少尉のために、
ちゃんと抱き茗荷の士官用軍帽が飾られています。
人々が見たのが杉浦飛曹長の霊であるというのが本当であれば、
かれは海軍の白い第二種軍装で村人の前に姿を現したのでしょう。
ここには杉浦少尉にまつわるいくつかのものがこのように飾られています。
この零戦の模型は、日本から部品が送られてきたものだそうで、
案内してくれた日本語の堪能な蔡さんという方が苦心して組み立てたということです。
おそらく、杉浦少尉のために飾ってあげてほしいという思いを込めて、
日本の誰かが、この廟に宛てて模型の部品を送ってきたものと思われます。
この廟では、朝と夕方のお勤めとして、朝は「君が代」夕方には「海ゆかば」
を流し、一日に二度、七本ずつの煙草を、煙草が好きだった杉浦少尉のために
火を灯し、その霊を弔うとともに、村人の感謝の意を受け継いでいます。
「飛虎」とは、「戦闘機」のこと。
戦闘機零戦を駈って勇敢に戦い、最後の最後まで他人の、
台湾人たちのことを思いやる心を持ち、侍のように往ったこの一搭乗員を、
台湾の人々は「神様」と呼び、今日も祈りを捧げ続けてくれているのです。
明日も、この飛虎将軍廟と杉浦少尉のことをお話しします。
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わたしもこの模型は52型だと思いました。
けど、杉浦飛曹長の機が32型、というのは妙にはっきりと記されているんですね。
調べてみたのですが、第201航空隊と言うのは、このあと3月くらいには全く飛行機が無くなっていた、といいますから、もしかしたら飛曹長の機が最後のこの部隊の32型であったのではないだろうか、などと考えています。