アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ヘルメース讃歌に見るヘルメース

2024-03-05 03:53:11 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-08-07

◎地獄も越えて-07

◎天国と地獄での同伴者でもあり

 

ヘルメースはゼウスとマイアの子。ヘルメースは、生まれた直後にアポローンの牛50頭を盗み、ゼウスの愛人イーオーの見張りの百目のアルゴスを殺し、アプロディーテーの黄金のサンダルを盗んだことで、殺しもやるわ(インドのクリシュナも同様)、盗賊の頭でもあるという芳しからぬ名声をも持つ。

ヘルメースは、ヘルメース讃歌の中で、「夢を司る者」と呼ばれ「ハーデースの館の正式な使者」(ハーデースは死の神)であり、

『これをもってわが讃歌も終わる

ポイボス・アポローンはこのようにマイアの息子を心寛き愛で愛し、

クロノスの子はヘルメースに恩寵を垂れ給うた。

あらゆる人間とまた神々と、この神は交わりを持つのだ。

彼が益をもたらすのはまれ、だが漆黒の夜を通して

際限なく彼は人間を欺くのである。』

(迷宮と神話/カール・ケレーニイ/弘文堂P169から引用)

 

東日本大震災の時に改めて思い起こされたのは、神は必ずしも人間の都合の良いように取り計らってくれるものではないということ。

ヘルメースの動きは、死の側も出入り自在、悪の側も出入り自在であり、そのことすらも天意、神意をはずすものではない。だから人間にとって無害とはいえないが、神というもの、世界というもの、現実とはそういうものではないかと気がつかせてくれる、それがヘルメースというトリックスターの役どころなのだと思う。

そこで天国と地獄を超える、神と悪魔の止揚という非二元の本来の立ち位置がここに示される。そこは、もはや人間の立ち位置ではないのだ。

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