源氏物語 と云えば、多くの方が御存知の 古典文学の代表作でしょう
私自身はほとんど馴染みがなく、内容も表現も判らないわけなんですが、、、
コチラで歴史探訪というかアカシゾウに始まり古墳やら史跡を訪ね歩くうちに、何故だか源氏物語に関連する史跡にも出会うこととなったわけです。
ネット検索による にわか仕立てのインスタント知識によれば、源氏物語 第十三帖 明石 にて、光源氏が都から離れ 須磨で謹慎生活を送っていたが 夢のお告げで 明石入道に迎えられ明石の浜の屋形に住むこととなる のようなストーリーらしいのですが、、
その明石の入道のゆかりの史跡がコチラです
果たして、ここに屋形があったのか?は判りません
と云うのは、そもそも源氏物語は創作されたストーリーなわけですから、現実には実在するものでもないでしょう。 では 何故 こちらの石碑が残されているのか?
そ の 秘 密 が ハ ッ キ リ と
判 っ て お り ま す ! !
江戸時代の明石藩 藩主 松平氏が源氏物語の大ファンであったことから、物語に登場する明石のアチコチを光源氏の由緒ある地として石碑などを建て観光化(今で言う所の観光誘致)に役立てたらしいです。
なので後付けとして、 源氏物語のなかに登場する場所を 現実的な場所に結び付けた わけです。
この明石入道の碑がある近所には、、
この白壁の小道は『蔦の細道』と云われ、光源氏が明石入道の一人娘を訪問する際に通った道とのことです。 実は、この細道とそのストーリーを「明石市市立文化博物館」で明石の歴史を紹介するビデオ教材にて視聴して以来 ズーッと気になっておりました。そのビデオは実に良く出来ており、光源氏がこの近辺でお月見をしたり、この小道を通って明石の君を訪ねて行ったことを情緒たっぷりに語りと音楽・映像にて紹介してくれてました。
で、この細道の脇にあるのが 以前紹介した 左甚五郎作の山門がある無量光寺なのです。
その無量光寺の山門をくぐって中に入ると、、、
ハッキリとは判りませんが・・・ 何となく光源氏が住いとした『浜の屋形』の関連施設ではないか?と思われる建物があります。 もっとも後付けなわけですから、どの様にも出来そうなのですが、、
で、ここまでくると、やはり、、、 入道の一人娘 すなわち 明石の君 のお住まいである『岡の屋形』も探訪しなければ おさまりませんネ
が、しかし、、 『岡の屋形』は、かなり遠い!!
丹念にじっくりと地図で場所を確認し い ざ 探 訪 へ
何しろ交通不便な辺鄙な地=明石の街から7kmほどの所
田んぼの脇というか小川のほとりですかね、、
如何にも それらしい一本の大木と風情の漂う場所がありました~
思った通り、イッパツで史跡を見つけることができました。
恐らくは江戸時代に松平藩主が建てたのが 右端の石碑だったのでしょう
新しい大きな石碑には解説があり
でネット検索による情報ですが、この近所に 『岡の屋形』と呼ぶに相応しい趣きのある寺院もあるとのことなので、さらに探索してみると
すこし離れた場所にある地蔵院という山寺です
人里離れた(すぐ近所には民家は無い程度)山寺なのに、すごく手入れの行き届いた 美しく 趣き深い 建物です。コレならば、明石入道の一人娘がひっそり暮らしている屋形として 正にピッタリだと思いましたわ~
◎ ついでに明石のお気に入りを もう一枚
コチラは以前 紹介した 湧き水 = 亀の水 からもほど近いところにある酒屋さんですが、、
ひょっとしたら江戸時代から続いている酒屋なんじゃなかいと勝手に推測しておりますが、どうなのでしょ~
しかし歴史ある建物というのは実際に住むには厄介な事も多いのでしょ~ネ~
歴史を紐解く探訪は、アレコレ勝手な推測もできるわけで 実に楽しめますネェ~
て な わ け で 、
ま だ ま だ 続 き そ う で す
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