Go To トラブル

2020年07月22日 | 旅行

明日から、Go To トラベルが始まるという。
先週、近くの旅行代理店に行って「Go To トラベルキャンペーン」のことを訊いてみた。
女房は22日から4連休、私は23日から3連休になるので、どこかに行ってみたいと考えたのです。
ところが、受け付けてくれた女性はしどろもどろだった。
結論をいえば、何もお勧めできるものはない、
決まっていないことが多いので旅行を計画できないからです、ということだった。
女房と私は、東北に行ってみたいと考えていたが、諦めました。
連休中は家にいて、普段これまでできなかったことをじっくりやります。

Go Toキャンペーン受託団体が二階幹事長らに4200万円献金

こういう文春オンラインの記事があった。

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わが家のゴキブリ

2020年07月22日 | 生き物

昨夜、友人にいただいたゴキブリホイホイを台所に2つ設置した。
女房とゴキブリがかかるかね? と話した。
今朝見てみると、1匹が入っていた。
やっぱりいるんですね。
しかし、わが家でのんびり暮らしていたゴキブリくんにとっては、とんだ災難ですね。

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ミョウガが美味い

2020年07月20日 | 家庭菜園



今年も、ミョウガが成長したので収穫しました。
ここまで大きく育つのはたいへんです。
昨日、冷や奴の上にきざんで載せました。
美味かった。

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アンドーナッツ

2020年07月20日 | 料理



私は、アンドーナッツがパン類の中で一番好きです。
そのアンドーナッツを、昨日女房が作ってくれた。
1ヶ月前ぐらい前に、女房がパン教室で教わったのです。
とても美味かったです。


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空色朝顔

2020年07月19日 | ガーディニング



今朝リビングから庭を見ていた女房が、「ヘブンリーブルーが咲いてるよ」という。
私はリビングからサンダルを履いて庭に出た。
ヘブンリーブルーが1輪咲いていた。
今年も咲いてくれたんだ、と嬉しい気持ちになった。
5月に10コぐらいのタネを撒いたが、芽が出たのは4本だけでした。
そのうちの1本が萎れてしまい、1本の茎が折れた。
今年はどうなるかな?と心配したが、なんとか花が咲きました。
よかったです。
ヘブンリーブルー(西洋朝顔)は、「空色朝顔」という別名があるそうです。
この名前も私は好きです。

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芙蓉→ムクゲに訂正します

2020年07月19日 | ガーディニング

7/10に書いた「芙蓉が咲いた」に、無記名の方からコメントがありました。

> これは芙蓉ではないですよ

私は去年の九想話を見てみたら6/26に「ムクゲの花」として書いていました。
間違いを指摘してくれた方に感謝します。
このようなサイトがありました。

ムクゲ(槿 木槿)・フヨウ(芙蓉)・タチアオイ(葵)の違いや特徴

じっくり読んで勉強します。
これから気をつけます。

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念願のゴーヤチャンプルー

2020年07月18日 | 料理



わが家のゴーヤがこんなに育ちました。
私は今朝女房に、ゴーヤチャンプルーを夕飯に作ってとお願いして出勤した。
女房は今日は仕事が休みで、パンを焼いた。
母親に、パンやスーパーで買ってきたお菓子などを送った。
施設にいる義母は、自分では買い物が出来ないので、女房がたまに送っている。
左にあるのはレーズンパンです。
パンがやわらかくてレーズンがほのかに甘く、おいしかった。
夕ご飯に食べたゴーヤチャンプルーがうまかった。
去年はゴーヤがうまく育たなかったから、今年はよけいうれしいです。
今、5・6本成長しています。



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再び、下肢静脈瘤の手術

2020年07月17日 | 健康・病気

私は5年前の7月21日に、長野県の病院で下肢静脈瘤の手術を受けている。
右脚でした。
そのとき左脚にも、静脈瘤はあるといわれていた。
それから左脚の皮膚が炎症をおこし日々みにくくなった。
といって脚が痛いということはなかったので、ほっておいた。
ところがこの1年ほど前から、夜中に脚がつることが多くなった。
これが痛いんです。
どう考えても、下肢静脈瘤が原因ではないか、と思った。
それで一昨日、毎月高血糖、高血圧、高尿酸値などで通院しているクリニックの医師に相談したら、
私の脚を見てこりゃ大変だといって、
川越市のK下肢静脈瘤クリニックへの招待状を書いてくれた。
昨日、そのクリニックに行ってきました。
7月28日(火)に日帰り手術をすることになった。
長野県の病院のときは1泊でした。
今は、日帰りでいいんですね。
出来ればあの手術はしたくありませんが、下肢静脈瘤を治すためにはしかたありません。
前向きに手術に立ち向かって行こうと思っています。
2015年7月21日の九想話に「 下肢静脈瘤手術」を書き、
そのあとに手術後のことなどを書いてあります。

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藤井聡太七段が棋聖奪取

2020年07月16日 | 将棋・囲碁など


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/trend/mainichi-20200716k0000m040208000c


> 将棋の第91期棋聖戦五番勝負(産経新聞社主催)第4局が16日、大阪市福島区の関西将棋会館で指され、
>午後7時11分、高校生の挑戦者、藤井聡太七段(17)が渡辺明棋聖(36)に110手で勝ち、
>3勝1敗で初タイトルとなる棋聖を奪取した。

快挙です。
現在、木村王位と闘っている第61期王位戦も2連勝中です。
これからは、藤井棋聖の時代になりますね。

私は、うちの息子たちを将棋指しにしたかった。
小学校に入学する前、将棋を教えた。
しかし彼らは、将棋よりもファミコンゲームにのめり込んで行った。
そして、コンピューターが好きになり、大学を出てプログラマーになった。
うちの息子たちは、将棋をやめてよかったのかも知れません。
でも、うちの息子たちが続けていればひょっとして・・・。
そんなわけ、99%ないですね。
いや孫たちの中で・・・。シツコイ

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若いの頃の日記を読む(3)

2020年07月16日 | 暮らし

東京の親戚の家に泊まらせてもらって、私は仕事と住むところを探した。
新聞の求人広告にあった文京区本郷三丁目の試薬会社に、月給4万円で採用された。
その会社は、朝9時から午後4時半までの勤務だった(土曜日は12時まで)。
夜の学校に行く青年に働いてもらいたいということで、その勤務時間だった。
だから5人いた先輩の4人は夜の高校や大学を卒業していて、1人は学校に通っていた。
先輩たちと話していると楽しかった。
私はいい会社に就職出来たと思った。
私は、本郷三丁目の会社から歩いて20分ほどの、お茶の水にある予備校に行くことにした。
地下鉄丸ノ内線で行けば5分ほどで行けるのだが、私は節約して徒歩で通学していた。
アパートは、山手線駒込駅から15分くらい歩くところに決めた。
3畳のアパートは2階にあり、台所とトイレは共同で月5,500円だった。
会社のある本郷三丁目と駒込駅を、本郷通りを走るバスで通勤した。
そんなことが2月の日記に書かれていた。
私と同じ求人広告で採用された人がいた。
それが龍彦だった。
彼は、プロボクサーになるためにその会社に入った。
仕事が終わってから毎日、ボクシングジムに行っていた。
彼は、医療器械の会社や大学病院などに試薬などの商品を車に積んで配達していた。
私は、会社のメインの商品である血液染色液を製造して、
ラベルを貼ったりして商品にしていた。
血液染色液は1回に10リットル造り、
出来上がったときに自分の親指を傷つけて血液を採り、血液染色液で染色して確かめた。
私は週に2・3度自分の親指に刃物で傷つけて血液を採っていた。
今考えれば理不尽な仕事でした。
私は、4月から予備校に通い始めた。
しかし、私はアホでした。
まったく予備校の授業が頭に入らないのです。
そりゃあたりまえです。
茨城の3流以下の高校の私が、東京で有名な予備校の授業についていけるわけがありません。
9月になるともう、絶望感しかなかったです。
だんだん予備校に行くことが厭になってきた。
そのころから小説を読むようになった。
日記に書いてないが、龍彦がその頃プロテストに受かった。
しかし、プロデビュー戦の1週間前に、龍彦が私を居酒屋に誘った。
そこでかなり酔ってから彼は、ボクシングをやめるといった。
龍彦は、「おれは人を殴るのもなぐられるのも、もうイヤだ」といった。
私はそれまで彼に誘われて、近くの後楽園ホールにボクシングの試合などを観に行っていた。
私もボクシングはツライゲームだなと思っていた。
龍彦がボクシングをやめ、私が予備校に通わなくなって、2人はしょっちゅうつるんでいた。
私のアパートに龍彦が来るとギターを教えた。
そのうち彼は私よりギターがうまくなり、フォーク歌手を目指すようなときもあった。
そのうち龍彦が会社を辞め大坂に行き、私も会社を辞めて役者になろうとした。

こんなことを書いて行くとキリがありません。
考えればみなさんにはどうでもいいことでした。
こんな九想話はつまらないですね。
結局2冊目の日記の終わりは23歳で死んだ龍彦のことが書いてあった。
20歳で萩焼の窯元に弟子入りした龍彦は、
弟子だった女性とそこを抜けだし私のアパートに来た。
龍彦が、その女と結婚するという。
私は、龍彦の結婚に反対し、彼は女と別れて(離れて?)備前焼の窯元に行った。
9月に弟子入り、10月に脳の病気にかかり、11月に亡くなった。
私は、彼の死は、ボクシングをやったことが原因ではないかと思っています。
龍彦の結婚に私が反対しないで、2人がどこかで結婚していたら、
あいつは死なないで今も生きていたりして、と思うと結婚に反対しなけりゃよかった。
そんなことが書いてある2冊の日記でした。
しみじみと青春を振り返りました。

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