若いの頃の日記を読む(2)

2020年07月15日 | 暮らし

日記を読むと、その頃の私は活発に動いていた。
いろんな人に会っていた。
東京で働いて、夜の建築の学校に行っている奴。
やはり東京で昼間働いて、夜間の大学に行っている奴。
茨城で働いているが、東京に行ってカメラの学校に行きたい奴。
地元で真面目にサラリーマンやっている奴。
金物屋での私の主な仕事は、セメントや鉄の丸棒やトタン・壁材などの建材を、
2人いる運転手と配達していた。
そのとき運転免許のなかった私は、配達に行ったドライバーが戻ってくるまでに、
もう1台のトラックの荷台に、次に配達するセメントや丸棒などを積んでいた。
金物屋の在庫置き場の広いところを私は、トラックを動かして荷物を積んでいた。
することがないときは、店番だ。
鍋・釜・庖丁などを買いに来た客の相手をしていた。
3ヶ月もして金物屋の仕事をほとんど覚えると、そこにいることが厭になった。
私は、金物屋で働いていることに限界を感じていた。
また東京に行きたいと思うようになった。
金物屋の一番エライ人は奥さんです。
社長は別な建材会社を経営している。
2人の配達専門のドライバーがいて、店番をする女の子が2人いた。
私にとってみんな魅力のない人たちだった。
一所懸命仕事をしている人たちだったが、何も話すことがなかった。
その人たちと会話をしたいとは思わなかった。
私は仕事が終わると、高校のときの友人たちのところに行っていた。
東京で昼間働きながら夜に学校に行っている友人たちの話を聞き、私もそうしたいと思った。
私は中学生の頃、教師という職業に憧れていた。
家に私を大学まで行かせるお金がなかったから、私は大学進学を諦めていた。
あらためてまた上京して、昼間働いて夜の大学に行って教師になりたいな、と思った。
翌年の1月、奥さんに私の心のうちを話した。
奥さんは、店を辞めることを残念に思いながらも、私の生き方を応援してくれた。
私は1月で金物屋を退職して、2月に東京に行き、仕事とアパートを探した。

                               つづく

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