落ち込む

2015年10月22日 | 健康・病気

日々いろんなことで落ち込む九想ですが、この日は特に落ち込みました。
10月20日火曜日、シャワーを浴びて体重計に乗ると、なんと!! 76.3kgだった。
こんなことが私の一生にあっていいのでしょうか?
私は5年前まで、体重がほぼ70kgだった。
それがなんの気まぐれかタバコをやめたせいで、1年間で75kgになってしまった。
タバコがどれだけ、私の身体を太らせないように“努力”していたのかを知りました。
この5年間、73kg~75kgを上下していた。
それでも少なくとも76kgにはなったことがなかった。
そのことに安住していた私がバカでした。
先週、埼玉の家から軽井沢に戻るときに、バッグの中に女房がビスケットを忍ばせていた。
この女房の行為には深い意味はないのでしょう?
いやあったかもしれない。
彼女は最近「太った太った」と呟いていた。
私を“同じ穴のムジナ”にしようと計画していたのかも知れない。

私は深夜、九想話を書いているときに、何気なくそれを食べていた。
みなさん、間食というものはいけませんね。
1袋100円ほどのなんのへんてつもないビスケットが、
夜中に何も食べるものがないときには、とても美味なのです。
女房の“悪意”はそれだけではなかった。
なんとココナッツサブレなんていうものも入れてあったのです。
これが昔から私は大好物なのです。
果たして、無情にも体重計は76.3kgを表示したのです。

現在、私は、深く反省しています。
ゼッタイ、間食はしないと心に誓います。

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さよなら山梨

2015年10月21日 | 健康・病気

私は今日仕事が休みでした。
散髪してきました。
いつものように髭を剃ってもらっているときに熟睡です。
私の行く床屋は、髪のカットはご主人、洗髪と髭剃りは奥さんの仕事です。
私のたるみきった寝顔をいつも奥さんにさらけ出している九想です。
家に帰って、これまでテレビのハードディスクに録画してあったものをいろいろ観た。
その中の「下町ロケット」というドラマを観ていて、
昔いた半導体製造装置関連メーカーにいたときのことを思い出した。
ドラマでは、社員が集まった前で社長が話すというシーンです。
私の場合はまったく違うことですが、なぜかそのときのことを思い出した。
私が山梨に単身赴任していた45歳のとき、ほぼ1年が過ぎるという頃に、
会社の業績悪化のために東京都の小平本社を閉鎖して、山梨に本社が来るという発表だった。
そのときのことを私は、当時参加していたパソコン通信(Asahiネット)の
「かしの木亭談話室」に「さよなら山梨」(1998 3/18)という標題で書いていた。
私は、山梨事業所に1年間の約束で単身赴任していた。
仕事は資材課で、会社の製造部が使う部品、工具、すべてのモノを購入する部署でした。
こんな書き込みがその秋(9月)から九想話になりました。
asahiネットは、そのときのログが今でも見られるのでなんとか探して見つけました。

……………………………………………………………………………………………………………
さよなら山梨
Newsgroups: kashinoki/salon
 From: Fl*h-o**r(** 久)
Date: 18 Mar 1998 03:16:33 +0900

 今、九想は、心の糸が切れた状態です。
 昨日(3/16)、本社の小平工場が閉鎖ということが発表された。
 つまり、私の帰る場所がなくなった。1年という約束で山梨事業所に来た
のに、帰るところがなくなりました。
 本社は10時に全社員を集め社長が話したそうです。
 3/23までに、山梨に行けるか、それとも退職するか結論をだせ、という。退
職する者は、会社都合ということになって、年数に応じた退職金プラス給料の
二ヶ月分を払うという。
 今日現在、本社の製造部、資材部、技術部で山梨に来る者はゼロらしい。そ
の各部署の部長はみな来るが、その部下たちは全滅です。20何人かが辞める。
 今の第一事業部の売り上げでは、60人ぐらいが食っていけるそうです。現
在は119人いる。なんてことはない。リストラするために小平を閉鎖するよ
うなものです。うちの会社がこれまでやってこられたのも、小平の稼ぎだ。
その苦労をしてきた者たちが辛い目にあって、まったく稼いでこなかった山
梨事業所の奴らは暢気にしている。おそらく、景気がよくなって受注がきたな
ら、山梨の人間では対応できないだろう。会社の経営者は何を考えているのか。
 山梨事業所でも、昨日の5時半に全員が集められて発表された。
 業績不振なので、小平を閉鎖し山梨に集約するという。それをいう山梨事業
所長は、その日、本社に呼ばれて行ったがなんのために行くのか知らなかった、
とバカなことをいう。あいつは取締役なのだ。取締役会で決定したと自分でい
いながら、知らなかったという。
 私ともう一人、本社から来ている製造部のやつが、所長にくってかかった。
「会社の業績が悪いのは、Yさんのせいじゃないのか。開発が目的の山梨事業
所で、ちゃんと開発が出来なかったから、売れるものを造れなかったから、会
社の現状がこんなんじゃないですか。あやまってください。頭を下げて下さい。
おれ、**さん(九想)含めて本社の者たちにあやまってください」
 田中(仮名)は、右手の拳を震わせ、いう。
「経営者の一人としてあやまれ、というのか」
「いや、ちがう、山梨の開発部の責任者としてあやまれ」
「取締役の一人としてなら、頭を下げる」
「訳のわかんねェこというな。ろくな装置を造れなかった開発の責任者として
あやまれ」
 田中は、今にも所長に飛びかかりそうだった。田中は、中国拳法を習っている。
私は前に出て、田中の右腕を両手で抱え込み後ろに引きずった。このままじゃ
田中は収まらないだろうと考え、私もいった。なんかいったんだけど、よく覚
えていない。
「去年、山梨に来たとき、これから8インチの装置の部品を17台集めるのが
おれの仕事だった。おれは燃えた。単身赴任はいやだったが、やってやろうじゃ
ないか、と思った。ところが売れない。まだ7台残ってるじゃないですか」
「田中くん、**くんの気持ちも分かる。確かにあの装置の開発は2年遅れた。
そのせいで他社に負けているのかも知れない。しかし、性能はうちのがいいんだ。
みんながんばってあの装置を開発したんだ」
 それを聞いて私はキレた。
「どこが他社より性能がいいんですか。HセミコンダクターにもS社にも、お
れは何回も部品を送っているんですよ。搬入して立ち上げてからあんなに部品
が壊れるなんて、装置の設計が悪いからとしかいいようがないです。それをY
さんはどう考えてるんですか。冗談じゃないですよ」
 所長は、顔をひきつらせている。
 そのとき、左の奥の方から声がした。開発のリーダーのOだった。
「**さん、すいません。私が悪いです。みんな私の責任です」
 私はあっけにとられた。でも、うれしかった。それまでOのことを私は嫌い
だった。わがままで、いばっていて、嫌味な奴だった。
 重い空気が沈殿したまま、散会になった。
 田中と製造のSに煙草を吸いに行こう、と外に出ようとしたら、玄関のとこ
ろまでOが追いかけてきて、
「本当にすいません。私は、今月いっぱいで辞めます。いろいろ不自由な思い
をさせてすみませんでした」
「え、辞めんの。どうして…」
「前から考えてたんです。今日で心が決まりました」

 こんなことがあった。
 私は、会社を辞めます。
                                九想

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バック・トゥ・ザ・フューチャー

2015年10月20日 | 健康・病気

『バックトゥザフューチャー パート2』ダイジェスト BTTF2

大人気SFシリーズ映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で
“未来”として描かれた2015年10月21日に、もうすぐなってしまう。
なんか不思議です。
今年は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」1作目公開から30周年を迎える。
私もこの映画が大好きだったが、女房は私以上に好きだった。
ドクに惚れ込んでいた。
また観てみたいです。

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母乳バンク

2015年10月19日 | 健康・病気

今夜のNEWS WEB(NHK総合23:30~24:00)で「母乳バンク」のことを初めて知った。
平成13年11月に昭和大学で生まれたそうです。
しかし、どんなものでもメリットとデメリットがある。

メリット
・赤ちゃんに必要な栄養が含まれている
・感染症などの予防になるために救える命が増える、免疫力がアップする
・粉ミルクよりも消化がいい
・健康状態がよく喫煙、飲酒をしない人の母乳を使っている
・未熟児・殺菌消毒された母乳が保存されている

デメリット
・自分の子どもが他の人の母乳を飲むことに抵抗がある
・母乳は血液から作られるので感染症が心配
・誰の母乳なのかがわからず不安
・治療ではないので保険外になり費用がかかる

私の息子たちは、生まれて最初の頃だけ母乳で、あとは人工乳でした。
息子たちは双子なので女房の母乳だけでは足らなかった。
生まれたときはどちらの息子も未熟児(2500g未満)でした。
私と女房は、できることなら母乳で育てたかったが、
女房の母乳では、息子たちに足りないのではしかたなかった。
赤ちゃんは3時間ごとにミルクを飲む。
息子たちの飲む時間がずれると、1時間半ごとに女房は母乳をやらなくてはならない。
母親もたいへんだ。
人工乳でしたが息子たちは、大きな病気にもならずに成長してくれた。

しかし現在、母乳バンクを利用できるひとは、昭和大学で出産したひとだけだという。
早く日本中に母乳バンクが普及して欲しいです。

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忘れてしまった歯科医院予約日

2015年10月19日 | 健康・病気

今日私は、歯科治療の日だった。
昨夜は、お酒を控えめにした。
酒が残っていては、治療する歯医者や歯科衛生士に申し訳ない。
財布に保険証まで用意して寝た。
ところが今朝、私は歯科医院に行かなかった。
今日10時からの予約を忘れてしまったのです。
昨日夕方、ちょっと激しい肉体労働をした。
それで今日は体力が衰えていて布団に入っていた。
そのせいかまったく歯科医院の予約を忘れてしまった。
11時45分に忘れたことに気づいて電話をして詫びた。

私は、穴があったら入りたい。
いくつまでこんなことをやっているのでしょう。
ただ言い訳を許してもらえるのでしたら、いいたい。
もっと予約日の間隔を縮めて欲しい。
(これまでの人生で、すべての予約というもので忘れたのは初めてです)
1週間間隔ぐらいで歯科治療ができるといい。
現在は早くて2週間、ひどいときは3週間離れてしまう。
あまり間隔があくと記憶が遠のく。
歯科治療が習慣のような間隔で予約日があるといい。

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色づく湯川ふるさと公園

2015年10月18日 | 健康・病気

私が埼玉に行っている間に、湯川ふるさと公園の木々は色づいていました。
これからが紅葉になり、少し心が癒やされます。

 
 
 
 
         

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盛田幸妃亡くなる

2015年10月18日 | 健康・病気

盛田幸妃さん死去…ブログに心の叫び「健康な身体がほしい」

今朝、ブログのコメントに返事を書いたときに「あわせて読む」と書いてあるところを見ると、
私が2009年08月30日に「盛田幸妃」という九想話を書いていた。
私はすっかり忘れていました。
それをあらためて読み直し盛田幸妃というひとに感動した。
盛田幸妃さんのご冥福をお祈りします。

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永青文庫から目白駅

2015年10月17日 | 健康・病気

私は、関口芭蕉庵からまた永青文庫の前を通り目白通りに出た。
懐かしい日本女子大学に行ってみたかったのです。
歩いて10分ほどで日本女子大に着いた。

私としては校内に入って学生会館内にある生協に入ってみたかった。
しかし、やはり入れなかった。
私が生協に勤めていた頃、男子学生は校内に沢山いた。
おもに早稲田の学生が多かった。
しかし、私は若くない。
どう見ても、学生には見えない。
怪しい初老の不審者と思われるだろう。
「本学にご用のお方は、警備員にお申し出ください。」と書いてあるが、
「40年前に生協に勤めていた者ですが、懐かしいので中を見たいのだが…」
なんて私はいえなかった。

私が日本女子大の生協で働き始めたのが、22歳の3月からだった。
4月から入学したデザイン学校の夜間の授業を受けるために、そこでバイトを始めた。
最初は、学生会館地下の食堂の隅にあったパンやドリンク・アイスクリームを売る仕事をしていた。
女子学生が沢山パンや牛乳を買いに来るお昼が忙しかった。
午後3時頃は、付属中学の女の子が大勢来た。
私は、中学生から「お兄さん」と呼ばれて人気者だった。
私の人生で、あのときほど毎日多くの女性に囲まれて生活したことはない。
学バスで職場に行くのだが、満員のバスに男は運転手と私だけということがほぼ毎日だった。
食堂の隅でパンを売っていた私が、10月から本を売ることになった。
それまで書籍部にいた女性職員が、妊娠して子どもを産むために退職してしまった。
店長がアルバイトの私に、正職員になって書籍部を担当してくれないか、といった。
結局それで私は夜間のデザイン学校に行けなくなった。
正職員となると残業もあり、デザイン学校をやめるしかなかった。
でも、本の好きな私は、書籍を売るのならデザイン学校はやめてもいい、と思った。
それが甘かった。
翌年の8月、私は東大生協に移籍になり、雑貨担当ということになった。
あれは悲しかったですね。
それは、女子大から離れるということではありません、
書籍ではなく雑貨担当ということが悲しかったのです。

私は、日本女子大を横目に見て目白駅に向かって歩き始めた。
都電の線路の上を歩いているときに都電が来た。
 
そして学習院大学があり、そこを過ぎて行くと目白駅に着いた。

私はその先に行った。
前から行きたいと考えていたところがあったのです。
そこは和楽器屋です。
尺八を見たかった。
7・8分歩くとありました。
ホームページは大きかったが、店は小さかった。
入り口に尺八用の乾燥させた竹がいっぱいあった。
しかし、あれで尺八を作るのは大変だ。
いつか作ってみたいとは思うのだが、今はできない。
道具がない。
売っている尺八は、安くて10万以上だった。
とてもじゃないが、私には買えない。
今吹いているプラスティックの尺八を大切に吹こうと思いました。

久しぶりの東京散歩は疲れました。
その夜、眠たくて九想話を書けませんでした。

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神田川

2015年10月16日 | 健康・病気

一昨日の夜、私は春画展に行くことを決めた。
そして昨日の朝、女房と一緒の電車で東京に行くことにした。
途中まで一緒なのです。
女房の朝の出勤がどのような状態か知ることにも興味があった。
家を6時40分に出て、51分のバスに乗った。
地下鉄有楽町線に乗り入れする東武東上線に乗り、8時半頃池袋を過ぎた駅で降りた。
電車に乗りすぐ坐れたので、文庫本を取り出し読んだ。
5分も読んでいるうちに眠くなり、文庫本を閉じて目をつむった。
そうい意味では楽だったが、帰りはこうはいかないと想像した。
おそらく絶対坐れないと思う。
過酷だろう。
なんといっても私の家は東京から遠い。
(私が中古住宅でも、手に入れられたというのは、女房の通勤地獄の犠牲の上に成り立っている)
ドトールでコーヒーを飲み9時20分まで文庫本(漱石の「こころ」)を読んでいた。
東京の街を歩くのは久しぶりだった。
私は18歳で上京し、東京のいろんな場所を様々な心で歩いてきた。

ギターを作る夢に挫折して、トボトボ石神井公園の脇の道を歩きました。
仕事を探して心を強く持って本郷通りを歩いたこともあった。
失恋して泣きたい気持ちで歩いた王子の夜の道。
仕事を辞めて世の中を恨んで歩いた会社からの帰り道。
恋をして有頂天になって歩いた駒込のアパートへの帰り道…。
女房の妊娠を知ったときの喜びと不安を感じた御徒町の雑踏の道。

大通りをちょっと小路に曲がると大きな川があった。
神田川です。



  

亀・サギ・鯉がいた。
次の橋を右に渡ったら春画展を開催している永青文庫の案内板があった。

 

この坂の上のほうは工事中だった。
警備員がいて注意するように声をかけていた。
その先に、ひょいと永青文庫があった。
こんなところで春画展はやるのか、と素朴に私は思った。

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関口芭蕉庵

2015年10月16日 | 健康・病気

春画展を見終わって永青文庫を出た私は、立ちっぱなしで疲れた脚を休めたいと思った。
永青文庫までの坂道を登るところに芭蕉庵と書いてあったのを思い出し、そこで休むことにした。

 

> 江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、
> 1677年から3年間この地に住んだ。
> 当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれに
> たずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれる。
> 後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家を建てたが、これが現在の
> 芭蕉庵につながる。その後焼失し、現在のものは第2次大戦後の建築である。
                      (文京区のサイトより)

真中に冨士聳えたり國の春    
伊藤松宇句碑      昭和10年(1935)

 

ふる池や蛙飛込む水のをと    
芭蕉翁280年祭にこれを建つ 文字は眞筆          昭和48年(1973)

 

素堂の弟子 馬光が中心となり
「五月雨にかくれぬものや 瀬田の橋」
の芭蕉の短冊を埋めて墓とした           寛延3年(1750)

私は芭蕉庵をひとめぐりして庵の縁側に腰を下ろした。
2つの句碑があり、芭蕉の墓があった。
神田川の近くにこんなところがあったなんて、ちょっとよい拾いもんをしました。

 

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