神田川

2015年10月16日 | 健康・病気

一昨日の夜、私は春画展に行くことを決めた。
そして昨日の朝、女房と一緒の電車で東京に行くことにした。
途中まで一緒なのです。
女房の朝の出勤がどのような状態か知ることにも興味があった。
家を6時40分に出て、51分のバスに乗った。
地下鉄有楽町線に乗り入れする東武東上線に乗り、8時半頃池袋を過ぎた駅で降りた。
電車に乗りすぐ坐れたので、文庫本を取り出し読んだ。
5分も読んでいるうちに眠くなり、文庫本を閉じて目をつむった。
そうい意味では楽だったが、帰りはこうはいかないと想像した。
おそらく絶対坐れないと思う。
過酷だろう。
なんといっても私の家は東京から遠い。
(私が中古住宅でも、手に入れられたというのは、女房の通勤地獄の犠牲の上に成り立っている)
ドトールでコーヒーを飲み9時20分まで文庫本(漱石の「こころ」)を読んでいた。
東京の街を歩くのは久しぶりだった。
私は18歳で上京し、東京のいろんな場所を様々な心で歩いてきた。

ギターを作る夢に挫折して、トボトボ石神井公園の脇の道を歩きました。
仕事を探して心を強く持って本郷通りを歩いたこともあった。
失恋して泣きたい気持ちで歩いた王子の夜の道。
仕事を辞めて世の中を恨んで歩いた会社からの帰り道。
恋をして有頂天になって歩いた駒込のアパートへの帰り道…。
女房の妊娠を知ったときの喜びと不安を感じた御徒町の雑踏の道。

大通りをちょっと小路に曲がると大きな川があった。
神田川です。



  

亀・サギ・鯉がいた。
次の橋を右に渡ったら春画展を開催している永青文庫の案内板があった。

 

この坂の上のほうは工事中だった。
警備員がいて注意するように声をかけていた。
その先に、ひょいと永青文庫があった。
こんなところで春画展はやるのか、と素朴に私は思った。

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関口芭蕉庵

2015年10月16日 | 健康・病気

春画展を見終わって永青文庫を出た私は、立ちっぱなしで疲れた脚を休めたいと思った。
永青文庫までの坂道を登るところに芭蕉庵と書いてあったのを思い出し、そこで休むことにした。

 

> 江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、
> 1677年から3年間この地に住んだ。
> 当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれに
> たずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれる。
> 後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家を建てたが、これが現在の
> 芭蕉庵につながる。その後焼失し、現在のものは第2次大戦後の建築である。
                      (文京区のサイトより)

真中に冨士聳えたり國の春    
伊藤松宇句碑      昭和10年(1935)

 

ふる池や蛙飛込む水のをと    
芭蕉翁280年祭にこれを建つ 文字は眞筆          昭和48年(1973)

 

素堂の弟子 馬光が中心となり
「五月雨にかくれぬものや 瀬田の橋」
の芭蕉の短冊を埋めて墓とした           寛延3年(1750)

私は芭蕉庵をひとめぐりして庵の縁側に腰を下ろした。
2つの句碑があり、芭蕉の墓があった。
神田川の近くにこんなところがあったなんて、ちょっとよい拾いもんをしました。

 

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熊倉一雄さん死去

2015年10月16日 | 健康・病気

俳優・声優の熊倉一雄さん死去=「ヒッチコック」「ひょうたん島」、88歳

熊倉一雄が亡くなったのですね。
ここんところまったく私としては縁が無かったです。
このひとが井上ひさしを芝居の世界に引きずりこんだんですね。
私としては、NHKの人形劇の「ひょっこりひょうたん島」で
海賊トラヒゲの声優をやったひとということが一番印象が強いです。
ご冥福をお祈りいたします。

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春画展

2015年10月16日 | 健康・病気

昨日(10/15)、私は文京区にある永青文庫というところで開催されている春画展に行きました。
これは9月19日(土)から12月23日(水・祝)までやっているので来月にでも行こうかな、とも考えたが、
行けるときに行かないと結果として後悔するときがあるので覚悟を決めて行ってきました。
それに前期(~11/1)と後期(11/3~12/23)とあって、展示されるものが違うらしい。
できたら後期のも見に行きたいです。
内容については「春画展」のサイトに詳しく書いてありますので、そちらをご覧になって下さい。

 

私は、永青文庫というところをこれまで知らなかった。
春画展に入る前に茨城の友人に電話で話すと、「細川護煕の持ち物だど」という。
春画展の案内看板(というのか?)に、春画展を開催するのにいろんな美術館で断られていたところ、
細川護煕が「それじゃうちでやってくれ」(こんな言い方をしたかどうか?)といったので、
無事、日本で初めて春画展を開けたらしい。(細川護煕はエライ!)
敷地に入るといきなり仮設トイレがあった。
私は、中にトイレがないのかなと不安になり用をすませて建物に入った。
永青文庫というところは古い建物でした(中にトイレはありました)。
4階に行ってくれ、という案内板があり、ミシミシいう木製の階段を上がる。
展示はそこがプロローグだった。
春画展は、「-プロローグ-」「Ⅰ.肉筆の名品」「Ⅱ.版画の傑作」「Ⅲ.豆判の世界」「-エピローグ-」
という順序で展示してあった。
私が入館したのは9時40分でしたが、かなりの観覧者がいた。
みなさん春画を鑑賞するのに時間をかけているので、なかなか列が進まない。
絵の保存のために照明を暗くしてあるので、解説文を読むのに時間がかかった。
私は、近視で老眼なので文章を読むとき、春画を見るときに、眼鏡をかけたり外したりと忙しい。
係員というか監視員が、
「あとがつかえているんだから、とっとと見て進め。立ち止まるな」
という意味のことを、やさしく丁寧に、なおかつ慇懃に観覧者にお願いしていた。
それでも列はいっこうに先に進まず、私がもうこの絵は見終わったと思っても、次に行けなかった。
4階を見終わって3階の展示場を見る。
そのときには私の左右に若い女の子という状態になってしまった。
全体的に女性の観覧者が多いので、そういうことになりやすかった。
女性の着物が開き、露わになった下半身の所に男の**が**ってる春画を、
若い女性たちと一緒に見ている私はなんなんだ、と複雑な気持ちになりました。
これは特殊な状況です。
いや“異常”な状況ですよね。
人間長く生きていると、こんなことがあるんですね。

今回の「春画展」は、「春画の名品」133点(前後期)を5つの章に分けて展示してあるそうだが、
昨日見た中で私が一番好きだったのは、葛飾北斎の「富久寿楚宇(ふくじゅそう)」という春画でした。

一度全部見てからまた4階に行き、おもだったところを見直しました。
私は、展覧会などに1人で行くと必ずこうします。
会場を出たのが11時50分だった。
疲れたので、近くの芭蕉庵に行って静かな庭を見ながら少し休みました。
楽しめた春画展でした。
できたら後期も見てみたいと思います。

 

 

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