シントコ

2011年02月19日 | 健康・病気


びっくりした。
YouTube に、新所沢駅西口の動画があるなんて!
なんの気なしにYouTubeに「新所沢」と入力して検索してみたら出てきちゃった。
〝瞬間芸〟みたいな動画だが、思わず胸が熱くなった。
涙・なみだ・ナミダ…です。

おれが、警備員をしていたとき、朝仕事から帰ってきて家で寝る。
女房が夕方仕事から帰ってくる。
そのときケータイにメールが入る。
おれは、駅に女房を迎えに行く。
女房の残業の状況でその時間は動いた。
警備員の仕事は24時間勤務だから、女房と会うのは2日ぶりになる。
あの階段の下あたりに突っ立っている。
その先に喫煙所があった。
i-Pod を聴きながら何本キャビンを煙にしたことだろう。

そこで待ってると、陶芸仲間のしんちゃんやみっちゃんと会う。
「今日はどうしたの?」
「女房を待ってるんです」なんておれ。
「今夜、**で呑むんだけど、来ない?」
「それじゃ、あとで」
そんな会話もあった。

女房が階段から降りてくる。
エスカレーターは登り専用だ。
無表情な彼女がおれに気づいて笑顔になる。
それから西友かパルコに行って、夕食の買い物をする。
時間があるときは、ドトールに行ってコーヒーを飲んだりした。

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デジカメ破損 2

2011年02月18日 | 健康・病気

時間の経過というものはありがたいもので、
2日もたつとずいぶん私の心も落ち着いてきた。
壊しちまったモンはしかたあんめよ(茨城弁です)、
というような気持ちになってきた。
やっぱり写真を撮ることは好きだからカメラは欲しい。

私がタバコを吸っていれば毎月1万円は煙にしている。
一昨年の7月から毎月1万円を煙りに変えることをしていない。
でも、酒も呑まなければかなりお金が残っているはずだ。
それはそれとして、やっぱりデジカメを買おうと考え直した。
来週上京したときに、池袋のヤマダ電機かビックカメラに見に行こうかと思った。
11月にあのデジカメを買ったあとに池袋のヤマダ電機に行って確認したら、
佐久のヤマダ電機より3千円ほど安かった。

デジカメを買うなら同じ機種を買おうと考えた。
そうすれば、充電池や付属品が使える。
それにあのデジカメは使い勝手やデザインも気に入っていた。

女房が何度もデジカメを買え、買えと電話してくる。
そうとう私が落ち込んでいたので、彼女も見かねてしまったようだ。
火曜日の午後には、落ち込みからはかなり解放されて、
デジカメを買おうという前向きな気持ちになっていた。
どうせ買うならなるべく安く買いたかった。
去年あのデジカメを買ったとき、ネットで調べたらもっと安かった。
そうだ、今回はネットで買おうと思った。

私はこれまでインターネットで買い物をしたことがない。
どうも私は、実物を見ないで買うということに納得がいかなかった。
しかし、今回は実物のことはよく知っている。
何も悩むことはない。
だったら出来るだけ安いほうがいい。
「価格.com」で見てみると11,699円が最安値だった。
これを買おうと思った。
これプラス代引き手数料が315円だった。
合計12,014円、前回買ったより4千円は安い。

ネットで手続きをすると、メールで16日に佐川で発送したという連絡があった。
17日私は休日でした。これは計算どうりだった。
17日、9時頃起きた。食事をしてトイレにも行った。
10時からはいつ佐川が来ても玄関にお金を持って出て行ける体制でいた。
12,014円をきっちり用意していた。
トイレに入っているときに佐川が来たりしたら目も当てられない。
すみません。私はトイレが長いのです。
しかし、なかなか待ち人は来なかった。
12時にあと10分ほどでなるというときに携帯電話が鳴った。
思ったように佐川のドライバーからだった。
そして5分後にチャイムの音がピンポ~ン。

こんなに簡単に安くデジカメが買えていいのだろうか?
ネットで必要事項を入力して、家で待っていれば安いデジカメが配達される。
これは便利だなと、いまさらながら考えた。
でも、私はカードでの支払いはしなかった。代引きと考えていた。
このへんのことはどうもネットは信用出来ない。
今回はネットでデジカメを買ったが、もうネットで買い物はしないと思う。
やっぱり実物を見て買い物をしたい。
しかし、ネットで見てかなり価格差があったら、やはりネットで買うかな?

さっき、この九想話を書くために「価格.com」を見たら、
あのデジカメの最安値が、10,800円だった。
これに代引き手数料を足しても、私が買ったよりずっと安くなっていた。
こういうことを知ることは精神に良くないですね。

今回、デジカメを壊してしまっていろいろなことを体験した。
これはこれでこれから生きていく上で何かと参考になるでしょう。
5年もたてば、懐かしい軽井沢の思い出の一つになるだろう。
でも、もうデジカメは破損したくない…な。

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デジカメ破損 1

2011年02月17日 | 健康・病気




これが昨年の11月に買ったデジカメで撮った最後の写真です。
2月13日(日)に、中軽井沢のこの居酒屋に行ったのです。
いい感じの店なんです。
これから通ってもいいかな、なんて思った店です。

九想話に載せたいな、と思って、デジカメを持って行ったのがまずかった。
呑み終わって立ち上がるとき左手を床についた。
その手に身体の重みを載せたとき、
「バギ」とも「ボギ」とも表現出来ないイヤな音がした。
私は、床に置いてあった自分の防寒ジャケットの上に手をのせていた。
ジャケットのポケットには、先ほど店の写真を撮ったデジカメを入れていた。
(あぁ…、やっちゃった)と思った。
家に帰ってデジカメのスイッチを入れてみた。
予想した通り、液晶の右3分の1ぐらいに縦に線が入っていた。
そして、まったく画像は写らない。

それからの私は悲惨なモノでした。
もうこの世のこれ以上堕ちられないというところに堕ちました。
日常生活で倹約に倹約を重ね、10円だって安いものを買う暮らしをしている私です。
たった3ヶ月前に、16,500円で購入した新品のデジカメを壊してしまった。
女房の顔が浮かんだ。
このことを話すとなんというだろう?
しかたない。みんな自分が悪いのだ。
女房にメールしました。
さっそく電話がきた。
「なんで呑むときにデジカメなんて持ってくのよ」
私は返す言葉がありません。
女房のいうことはもっともです。

それから私は、最近になく落ち込んだ。
デジカメを買ったとき、長期補償なんてのに金をかけて入ったのだが、
なんの意味もない。
私が破損したのだから補償は受けられない。
メーカーの補償対象にはならない。
私は、もうデジカメなんか持つのはやめよう、
もうブログに写真を載せるのをよそう、と決意した。
形あるものは壊れるんだ、なんて自分を慰めるけどおさまらない。
あぁ…、なんておれはバカなんだろう!!!!!!!
と、職場でも心の中では落ち込んでいるが、顔には出せない。
仕事は通常の状態でやり、客にも明るく健全に接しなければなりません。
ところが一人になると、絶望的に立ち直れない。
家に帰って何度も壊れたデジカメにスイッチを入れ、
写らない液晶を何回も何回もさすりました。
なんと、みっともないみみっちい姿なんだろう。

あの日、きついことをいっていた女房も次の日には、
「新しいデジカメ買えば…」などと電話してくる。
このあたりがわが女房のやさしさです。
「もうデジカメは持たない」と私はいった。

                         つづく

 

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愛の賛歌

2011年02月16日 | 健康・病気

SONGS(NHK総合 22:55 ~ 23:25)を観ました。
「美輪明宏ピアフを語り歌う▽ピアフ人生▽水に流してレコーディング密着▽愛の讃歌」

美輪明宏のこと好きか嫌いかでいうと、群青色です。
けっして嫌いではない。
しかし、毎週日曜日の朝7時からの「三輪明宏の薔薇色の日曜日」(TBSラジオ)を
聴いていると、あまりにも独善的で好きになれない。
しかし、中学生のときに聴いた「ヨイトマケの唄」をうたった丸山明宏は好きだった。

美輪は、戦後間もない10代の頃、
ピアフのレコードを聞いてその歌声に衝撃を受けた。
歌手になってからは、ピアフの歌をうたってきた。
30年前からピアフの人生を描いた自作自演の舞台を演じてきている。
“シャンソンの女王”エディット・ピアフのことを私は詳しくなかった。
ただ歌だけを聴いて好きだった。
プロボクサーのマルセル・セルダンとの恋のことは知らなかった。
「愛の賛歌」はこの恋人のためにピアフが詞を書いた。
20歳も若かったテオ・サラポというピアフの晩年の夫がすばらしい。

「愛の賛歌」は、高校の音楽の教科書にあった。
それがちょうど100ページにあった。
私たち生徒はよく「愛の賛歌」をうたいたがった。
「先生、100ページだっぺよ。うたうべよ」と、
音楽の先生にしょっちゅうリクエストしていた。
いっとき音楽の授業が始まる前に必ずうたうようになった。
無骨な奴も、恋愛に無縁そうなモノも、早弁(早く弁当を食べに行く)グループも、
音楽の授業にはきちんと集合して、「愛の賛歌」をうたったっけ。
あのときだけは3年1組はまとまりましたね。
3年1組は、音楽選択クラスで、音楽の教師は吹奏楽部の顧問でした。
吹奏楽部の部員が多かった。

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腰痛

2011年02月15日 | 健康・病気
この冬の寒さで、再発してしまった私のささやかな腰痛が、
本日の雪かきで決定的なものになってしまった。
昨日から降り続けた雪の量はかなりのものでした。
20センチ以上は積もっていた。
なので、〝雪かき〟とはいうものの、雪をかけなかった。
雪をスノープッシャーに載せて5・6メートル運んで捨てる作業をした。
これがきつかった。
朝の〝雪かき〟を終了してから食事をして、私は布団に入って寝た。
身体が疲れたせいか熟睡した。
結局夕方まで寝ていた。
そして、夜勤のために職場に行った。
仕事をしていても腰が痛かった。
お客様に挨拶するために腰を曲げるとこれが痛い。
なんでこんなことで…、と思ったがしょうがない。
身体をちょっと曲げただけで激痛が走る。
イスに坐ったり立ったりがダメだ。
まいったな。
これからどうしよう。
所沢にいたとき腰痛の治療のために週に2・3回、整形外科に通っていた。
そこでマッサージをしてもらってなんとかやりくりしていた。
軽井沢か佐久で私の身体に合う整形外科はあるのか。
なんとか探さなくてはならない。
このままでは通常の生活がいとなめない。

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母の命日

2011年02月14日 | 健康・病気

忘れてました。
下の九想話を書き終わって思い出した。
2月14日は、私にとってはヴァレンタインデーというより、「かあちゃんの命日」です。
6年前に母は亡くなりました。

そのときの九想話「母逝く」です。
私は、所沢の知的障害者の授産施設で働いていた。

今年の2月2日に母の七回忌を行いました。
月日のたつのは早いですね。



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石岡瑛子

2011年02月14日 | 健康・病気

プロフェッショナル・仕事の流儀」(NHK総合 22:00 ~ 22:50)を観た。
「ハリウッドでも大活躍デザイナー石岡瑛子がスパイダーマンに挑む▽71歳!密着舞台裏」

こういう女性がいることを私は知らなかった。
昭和14年に生まれ、5歳のときに商業デザイナーの父親が亡くなる。
東京芸大美術学部を卒業して父親のやった広告業界の仕事をする。
グラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動した後に独立し、
日本でそれなりの地位になる。
自分が何をしていいか分からなくなり、40歳で事務所を閉め、ニューヨークに行く。
ある日、黒澤明の「七人の侍」を観た。
観終わったあと、観客が黒澤のことを話していた。
「『七人の侍』もいいが、『用心棒』もいい。いや別な映画も…」
こんな仕事をしなければいけない、と思ったそうだ。

石岡さんはフランシス・フォード・コッポラ監督の映画
「ドラキュラ」の衣装デザインでアカデミー賞を受賞。
マイルス・デイビスのアルバムジャケットデザインでグラミー賞を受賞。
2008年には北京オリンピックの開会式の衣装を手掛ける。
彼女が現在取り組んでいるのが、3月にオープニングを迎える
ブロードウェーミュージカル「スパイダーマン」のコスチュームデザイン。

現在、彼女は71歳。
こういう女性がいる。

おれは、何をやっているんだ!!

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消えたモモヒキ

2011年02月13日 | 健康・病気

私には沢山のモモヒキがあった。
なぜだかある程度あったのに、警備員になったときに、
それを知らずに買ってしまったのです。
警備員は24時間交代で外に立っていなくてはならなかった。
それで5枚ほど買ったのです。
結果的に10枚以上は持っていたと思う。
それを軽井沢に来るときに持ってきたはずです。
しかし、そのモモヒキが見あたらない。
なんべんも探したが見つからない。
そのことを女房に電話でいうとそんなことはない、と自信を持っていった。
「ヒサシくんが、あるのに気がつかないでいっぱい買ってしまったんじゃない」
とコケにしたように私に女房がいった。
ところが先日、軽井沢に来た彼女にモモヒキを探してもらうと、なかった。
私が仕事に行っているときに、一日中探してもらったのにない。
どうしてだろう?
現在、3枚はある。しかし、それ以上見つからない。もっとあったはずだ。
この謎を解ける名探偵はいるのか?

 

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また君に恋してる

2011年02月12日 | 健康・病気


1月23日(日)、私の施設にビリーバンバンが来てライブをやった。
ある団体の会員感謝祭というイベントの中のアトラクションとしてでした。
ライブ会場は体育館です。
ビリーバンバンも驚いたと思う。
(本人たちも体育館とは思っていなかったといっていた)
まさか体育館のステージで歌うとは…。
あのビリーバンバンです。
昔、「白いブランコ」の大ヒット曲のあるグループです。
最近だって、坂本冬美でヒットした「また君に恋してる」を歌っているのです。

でも、彼らはりっぱでした。
1時間半ほどのライブを築30年の体育館できっちりとやってくれました。
私は、5・6曲歌って終わりかな、と思っていたんです。
キーボード・ベース・ギターとパーカッションのバックで、
ギターを弾いていた人は、「また君に恋してる」の作曲者森正明でした。

「白いブランコ」は、私が高校2年生のときヒットした。
好きでしたね。よくギターを弾いて歌っていました。
「さよならをするために」がヒットしたあとは低迷して解散。
私は、お兄さん(菅原孝)のディスクジョッキーをラジオでよく聴いていました。
ライブでもお兄さんがほとんど話していた。
その話の中で印象に残ったのは、
「すごいヒット曲もなかったがこうして活動してきてよかった。
 まさかこの歳になって『また君に恋してる』を坂本冬美さんが歌って
 こんなにヒットするとは思ってもみなかった。
 『生きてきてよかった』と思っています」
というようなことを語った。
私は、やっぱり好きなことはやり続けないといけないな、と思いました。
あらためてビリーバンバンが好きになりました。

このライブの6日後に、パンカーラのワイワイガヤガヤコンサートがあった。
そんなわけで私は、「また君に恋してる」をケーナで吹きました。

YouTubeで探したらビリーバンバンのいいのがなかったので、
坂本冬美と歌っているこれがよかったので貼り付けます。


「また君に恋してる」坂本冬美 & ビリーバンバン
 

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降り続ける雪

2011年02月12日 | 健康・病気
私が働く職場のある佐久市では、一日中雪が降り続けていた。
午後は事務仕事をせずにほとんど雪かきをしていました。
20センチほど積もった雪は、何度も何度も運ばないと雪が減らなかった。
腰が痛いです。
夜になっても雪が降っている。
職場を出る午後10時半になっても雪は降っていた。
佐久市から御代田町へ、御代田町から軽井沢に来ても雪は降っていた。
雪道の運転はあらためて怖いと思った。
なんとか家に着きました。
このまま雪が降り続けたら明日はどうなってしまうのだろう?
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