明日の記憶

2006年05月20日 | 健康・病気
私はこの映画を切ない気持ちで観ていた。
50歳になろうとしている主人公は、広告代理店の部長だ。
クライアントと大きな契約を結び、希望に燃えていた。

そんな彼を突然襲う若年性アルツハイマー病。
「どうして俺がこんな目に……なんで、俺なんだ!!」
ときどき記憶がなくなる。
クライアントとの打ち合わせの日にちが変更になったのを忘れる。
打ち合わせ場所が分からなくなる。
車も運転出来なくなる。
結局、26年間勤めた会社を退職。

救いのない話だ。
私は身につまされて涙を流しっぱなしだった。

妻の名前が枝実子(えみこ)という。
字は違うが私の女房も「えみこ」だ。
一人娘が結婚し、女の子が生まれる。
私の息子の子も女の子らしい。

原作者の荻原浩は、私の本名と一字違いだ。
彼はがんばっている。
私は情けない。なんとかしないとな…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

53歳最後の夜

2006年05月19日 | 健康・病気
仕事から帰ってきて楽家に行った。
そしてブロックヘッズに…。
ずーっと飲んでいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新庄剛志

2006年05月18日 | 健康・病気
「新庄剛志:阪神戦を前に縦じまユニホームで練習」

という記事がネットの毎日新聞にあった。
いろいろな話題を世間に提供している新庄ですね。
私は、彼が好きです。
憎めません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日映画2本

2006年05月18日 | 健康・病気
昨日、映画2本観た。
「明日の記憶」と「ブロークバックマウンテン」です。
いつも映画を鑑賞するパルコのシネレッツで、
この2本が今週(19日)限りだった(1本だけだったかな?)。
午前10時50分と午後3時10分に観るのが忙しかった。
なにしろ「明日の記憶」が終わってから家に帰って、
図書館に本を返しにいったりしたのだ。
しかし、図書館の近くの市運営の駐車場が混んでいて、
結局本を返せず帰ってきてしまった。
空くのを待っていたら次の映画が観られなくなる。

「ブロークバックマウンテン」を観終わって家に帰り、
すぐ陶芸教室に行った。
いや~忙しい。
なにしろその後には楽家で飲まなくてはならない。
別に…、飲まなくてもいいのだが、
渡世の義理というものがある。
世の中義理を欠いちゃ生きていけない。

明日、「明日の記憶」のことを九想話に書きます。
いろいろ考えさせられました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蕎麦

2006年05月17日 | 健康・病気
楽家の常連のある人たちは、毎年ゴールデンウィークに
新潟のあるところにキャンプに行っている。
そのキャンプは朝から晩まで誰かがうまいものを料理し、
誰かがもってきた美味しい酒を飲んでいるというものらしい。
私も来年は参加させてもらいたいものだ、などと思っている。

そのとき必ずある人が買ってくる蕎麦がある。
それを先日、楽家でいただいた。
蕎麦の乾麺一袋だった。
とてもうまいから食べてみてくれ、ということだった。

なかなか食べる機会がなかったが、
月曜日に女房が茹でようか、という。
彼女はあまり家にいない人なのでめったにこうならない。
私は小躍りして喜んだ。

第3のビールを飲みながら(最近私はビーシュも飲めない)、
どんなにうまい蕎麦かな、と楽しみにしていた。
当然、私は茹で上がった麺のお湯を切り、
冷たい水で冷やした蕎麦が出てくると思っている。
それを蕎麦猪口に入れた冷たいつゆで食べることを夢見ていた。
出来たらみじん切りにした葱なんかあったら最高だ。
山葵を少しまぜて…、あーたまらない。

ところが女房が「おまたせ~」と持ってきたのは、
どんぶりに入った温かい蕎麦だった。
おいおい、なんでこの5月にこんな蕎麦食えるかよ。
私はしかたなしに食べた。
口の中がモサモサした。あまり食べたくないのに、
どんぶりの中にはこれでもかというほど蕎麦があった。
(それでも蕎麦は美味しかった)
私と女房の間には、これぐらいの“距離”がいつもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日

2006年05月16日 | 健康・病気
昨日の朝、人参の作業を始めようとしているとき、
「今日はボクの誕生日です」
とAくんがテレくさそうに私にいった。
「知ってるよ。おめでとう」
「ハイ。ありがとうございます。今日で38歳になります」
私は、昼休みにでも祝福の言葉をいうつもりだったのに、
朝一番でAくんから催促されてしまった。

ダウン症の彼が38歳になる。
以前、送迎の集合場所にAくんを
送りに来ていたお母さんがいっていた。
「この子は大きくなる前に死んでしまうと医師にいわれていたので、
 あまり辛いことイヤなことはさせないで育てよう、
 という思いから結果的に甘やかしてしまった。
 こんなに大きくなるのならもっと厳しく育てればよかった。
 私が死んだあとのことを考えると、夜も眠れません」
Aくんは、お母さんと2人で暮らしていた。
私は何もいえず黙って聞いているしかなかった。

「それじゃ、こんどの20日土曜日はなんの日だ」
そう私がいうと、しばらくAくんは考えていた。
「分かりません」
「おれの誕生日だよ。忘れたの?冷たいなAくん」
「…ハイ。スミマセン」
これまで何回も、
「5月15日はAくんで、20日はおれの誕生日だよ。
 同じ5月だから絶対忘れないね」
と2人で話していたのだ。Aくんも、
「ハイ、ボクも忘れません」
といっていたのにな。

作業所の子たちは、誕生日のことを必ず私にいってくる。
自分の誕生日が大好きだ。
私はというと、毎年忸怩たる思いで誕生日をむかえている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さなぶり

2006年05月15日 | 健康・病気
   さなぶりに灯してありぬ牛小屋も  鏑木登代子

増殖する俳句歳時記」の5月15日に、さなぶりのことが書いてある。
「さなぶり」という言葉を目にして、思わず懐かしくなった。

「さなぶり(早苗饗)」が私は好きだった。
なにしろ普段食べられないご馳走が食べられた。
メインは鰹だった。町から魚屋を呼んで1本さばいてもらった。
刺身もよかったが、私はアラを煮たものも好きだった。

近所の4、5軒の家が協力しあって田植えをやった。
田植えの終わった家がその夜さなぶりをした。
女たちは、仕事を終えてから料理の準備だ。
夕方、男たちが集まってくる。
うちでは父が神棚に、稲の苗を上げた。
それを見ていた私は厳粛な気持ちになった。

私が小さいとき、田んぼを馬を使って耕していた。
隣の家の馬だった。小学生になった頃は、耕耘機に変わった。
苗は、人が一列になって田に植えた。
私もやった。
お昼に食べた胡麻のついたおにぎりがうまかった。

さなぶりをいつ頃からしなくなったのだろう。
小学5、6年生まではやった覚えがあるが、
中学生のときの記憶がない。
その最後の頃だったと思うが、初めて酒を飲まされた。
お燗した温かいお酒がまずいと思った。
まずいこんなのなんで大人は飲むんだ、と思いながら、
私はかなり飲んで酔っぱらってしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

円楽笑点卒業

2006年05月14日 | 健康・病気
私が落語を聴き始めたのは、おそらく
父がラジオで聴いていたのをわきで聴いていたからだと思う。
テレビが来たのは私が小学4年のときだった。
それまでは毎晩ラジオを聴いていた。
隣の家にテレビを観に行ったりもしていた。
落語、浪曲、漫才などをよく親父は聴いていた。

テレビではあまり落語などはやってないので、
父は演芸を観ることが少なくなった。
私は高校生の頃、深夜にやっていたTBSの落語番組を観ていた。

笑点は、父が観ていた。
私もなんとなく観ていた。
そんなこともあり立川談志に弟子入り希望の手紙を書いたりした。
談志の噺は好きだった。

20歳の頃、本郷三丁目の薬品会社に勤めていた。
湯島を通って御徒町のほうに歩いていくと鈴本演芸場がある。
たまに時間があると覗きに行った。
そこで聴いた三遊亭円楽の「藪入り」に泣いた。
あれは名演だった。

その円楽が、落語をやめ、笑点も卒業するという。
今日、仕事から帰ってきてすぐテレビをつけ、笑点を観た。
私はなんだかんだいっても笑点が好きだ。
薬品会社にいた頃、何度か後楽園ホールに観に行ったことがある。
日テレに、はがきを出していたのです。
会社から歩いて20分ほどで行けた。

これからも私は機会があれば笑点を観るだろう。
春風亭昇太が新メンバーに加入した。
これは楽しみです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京散歩

2006年05月13日 | 健康・病気
久しぶりに女房と東京に行った。
ここんところ女房と休みが一緒のときは、
この辺のスーパーやユニクロなどに車で行っているだけだった。
築地市場の半額市を知り、「行ってみるか」となった。
雨が降っていたが、新鮮な気持ちで出かけた。

雨が降っていなかったら、もっと築地市場を見て歩きたかった。
所沢の市場に勤めている私としては、築地は興味深かった。
フォークリフトが行き交っていて、親しみを覚えた。

銀座は懐かしかった。
20代のときはよく行っていた。
しかし、考えるといつもと変わりなかった。
ドトールでコーヒーを飲み、ユニクロに行ったのだ。

女房は、銀座のユニクロを喜んだ。
所沢にはない商品が沢山あるからだった。
結局、ユニクロで女房は何点か着る物を買った。
そのとき私は1人外に出て、
ブログにケータイで「九想話」を書いたり、
木村屋のあんパンを買ったりしていた。

地下鉄で帰るとき、高田馬場で降りるところを
2人して眠ってしまい、一駅乗り越してしまった。
快い疲れがあった。
乗り越したことに気がついて女房と大笑いしてしまった。

楽しい“東京散歩”だった。
また、どこかに行ってみよう。
寅さんの柴又なんか行ってみたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地から銀座へ

2006年05月13日 | 健康・病気
寿司を食べた私たちは、お腹がいっぱいになり、
築地には用がなくなってしまった。
魚、佃煮、いろんな食材が安かったが、
荷物にはなるし、買うことはやめた。
銀座に行く途中、歌舞伎座があった。
当日券を買うために並んでいる人たちが100人ほど並んでいた。
いつか私も観たいと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする