さなぶり

2006年05月15日 | 健康・病気
   さなぶりに灯してありぬ牛小屋も  鏑木登代子

増殖する俳句歳時記」の5月15日に、さなぶりのことが書いてある。
「さなぶり」という言葉を目にして、思わず懐かしくなった。

「さなぶり(早苗饗)」が私は好きだった。
なにしろ普段食べられないご馳走が食べられた。
メインは鰹だった。町から魚屋を呼んで1本さばいてもらった。
刺身もよかったが、私はアラを煮たものも好きだった。

近所の4、5軒の家が協力しあって田植えをやった。
田植えの終わった家がその夜さなぶりをした。
女たちは、仕事を終えてから料理の準備だ。
夕方、男たちが集まってくる。
うちでは父が神棚に、稲の苗を上げた。
それを見ていた私は厳粛な気持ちになった。

私が小さいとき、田んぼを馬を使って耕していた。
隣の家の馬だった。小学生になった頃は、耕耘機に変わった。
苗は、人が一列になって田に植えた。
私もやった。
お昼に食べた胡麻のついたおにぎりがうまかった。

さなぶりをいつ頃からしなくなったのだろう。
小学5、6年生まではやった覚えがあるが、
中学生のときの記憶がない。
その最後の頃だったと思うが、初めて酒を飲まされた。
お燗した温かいお酒がまずいと思った。
まずいこんなのなんで大人は飲むんだ、と思いながら、
私はかなり飲んで酔っぱらってしまった。
コメント
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