gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/business/ASPB162NXP9ZULFA01Y
>三菱電機、工場長が検査不正隠蔽 調査報告、組織ぐるみの問題指摘
<朝日新聞>
> 三菱電機は1日、名古屋製作所可児工場(岐阜県可児市)と長崎
>製作所(長崎県時津町)における品質や検査の不正について、調査
>報告を公表した。
> 可児工場では工場長が不正を知りつつ、隠蔽(いんぺい)を指示
>していた。長崎製作所でも管理職が問題を把握し、本社にも一部報
>告していたが、十分な対応がとられなかった。組織ぐるみで不正が
>行われていたことを裏付ける。
>社説:トヨタ車検不正 問われる安全への姿勢 <京都新聞>
>自動車の安全と顧客の信頼を揺るがす事態だ。
> トヨタ自動車が直営や系列の販売会社15社16店舗で計6659台の車
>検不正があったと発表した。必要な排ガスの検査を実施していなか
>ったり、ブレーキ検査の結果を改ざんしたりしていたという。
> あってはならない安全性の軽視である。最大手のトヨタ系列での
>大がかりな不正は、自動車業界全体の体質に問題があるのではない
>かとの疑念を抱かせる。徹底した原因究明が必要だ。
三菱電機とトヨタ自動車の直営や系列の販売会社の不正です。
こういうことが続いていたんですね。
こんなことで日本の会社はいいんですかね?
私は、27歳から零細の町工場で働いてきました。
それまではギター製作所、金物屋、薬品会社、大学生協、広告代理店などで働いていた。
27歳のときに初めて物作りの会社に入った。
そのときはデジタル時計のガラスの印刷でした。
たこ印刷やシルクスクリーン印刷でガラスに印刷をしていた。
その会社は、ガラス印刷の自動機の発達で人間が必要でなくなり、
仕事が取れなくなり潰れた。
そのあと、ガス流量制御装置を造る会社に転職した。
半導体製造にはガスコントローラーが必要で、生産を増やすためにその会社は増員していた。
しかしその会社もアメリカの会社の製品に負けて売れなくなり、会社が傾いた。
その会社に私は製造要員として入社したが、辞めたときは資材購買担当をしていた。
それから2社零細企業の資材担当をして、大企業の子会社の資材課に転職した。
その会社は、親会社が変わったり子会社が合併したりして、
最終的には三菱商事の子会社で200人ほどの会社になった。
製造していたのは半導体製造の周辺装置だった。
本社は東京にあり、熊本・長野・埼玉・山梨・福島に工場があった。
その会社で私は40歳になったとき課長になった。
44歳で山梨に単身赴任もした。
そのときに会社の装置が売れなくなり、東京の本社が山梨に来ることになった。
本社と埼玉(所沢)の社員がかなり退職した。
私は1年契約で山梨に出張したのに埼玉工場が閉鎖になり山梨に移転となった。
私も家族も、山梨に移る気持ちはなかったので退職した。
1年後、その会社を三菱商事は売却し消えてしまった。
私は、所沢にもどり旭硝子の子会社に、生産管理として転職した。
その会社は、ホンダ車のウィンドウガラスの加工をしていた。
狭山のホンダに、時間ごとに決められたウィンドウガラスを数通り納品していた。
しかし、その会社も私が51歳のときに消えた。
それまで私は製造会社で働いていた。
私がいた小っちゃな会社も、そこそこの会社でも、一所懸命いい製品を造っていた。
三菱電機やトヨタ自動車の直営や系列の販売会社のようなズルはしなかった。
これらの会社の人には、仕事をする上でのプライドというものはないんですかね?