井上陽水 / 紙飛行機
6月11日、ラジオ深夜便の午前2時台と3時台は、井上陽水へのインタビューだった。
「〔わたしの”がむしゃら”時代〕シンガーソングライター 井上陽水」
この番組は、こちら ↑ で7月8日まで聴けます。
まさか陽水が、こういうラジオのインタビュー番組に出るなんて、
23歳で死んだ龍彦には想像も出来ないだろうな。
おれが、井上陽水を初めて聴いたのは、たしか、龍彦の住むアパートだったと思う。
龍彦は、同郷(山口県)の友人のアパートに居候をしていた。
場所は東京北区の王子駅から20分ほど歩くところだった。
龍彦の住むアパートに行ったのは、彼と知り合って1年近くたってからだと思う。
そのときに、龍彦の友人のステレオで拓郎と陽水の曲を聴いた。
拓郎と陽水を聴いておれは、それまで聴いていた曲とは違うものを感じた。
龍彦とは1972年に就職した会社で出会った。
おれが夜の予備校に入るために、龍彦はボクシングジムに行くために、
本郷三丁目の試薬会社に同じ求人広告を見て入社した。
おれは、夏休みあたりで夜の予備校生活(大学受験)に挫折し、
龍彦は、その晩秋にプロテストに合格し、4回戦ボーイのデビュー戦1週間前にボクシングから逃げた。
「人を殴ることが怖くなった」と、居酒屋で龍彦は震えながらいっていた。
それまでそれほど付き合いの少なかったおれと龍彦だったが、
それからは毎日のように、仕事が終わるとつるむようになった。
といっても龍彦もおれも安い給料なので、だいたいおれのアパートに龍彦が来ていた。
会社が本郷三丁目で、本郷通りを走るバスで龍彦もおれも通勤していた。
地理的に、本郷三丁目-駒込-王子というふうに本郷通りに並んでいる。
現在は、ここを地下鉄南北線なんてのが走っているんですね。
おれの三畳のアパートは駒込にあった。
乾き物とサバ缶、ビール・二級酒などを買ってアパートに帰った。
その頃おれはテレビなど持っていない。
あるのはラジカセとギターとリコーダーぐらいだった。
同じアパートのひとが、毎日アルトリコーダーを吹いていた。
バッハのフルートの楽譜をリコーダーで吹いていた。
そのひとは、芸大を落ちて山谷で週に2・3日、日雇いをして絵を描いていた。
といっても、ほとんどリコーダーを吹いているへんなひとだった。
そのひとと酒を飲むようになり、おれもリコーダーを吹くようになってしまった。
2人で飲んでいるとおれがギターを弾いて歌う。
龍彦もギターに触るようになる。
あるとき龍彦が「ギターを買った」とおれにいった。
それからあいつのギターは上達していった。
おれよりうまくなった。
おれたちは楽しく暮らしていたのにいきなり龍彦は会社を退職し、大阪に行ってしまった。
なのに半年もすると東京に戻ってきた。
で、三ヶ月いるとまた関西に逃げた。
関西で龍彦はギターを上達させた。
陽水のライブも何度か行って、そのようすをおれに話してくれた。
おれは、相変わらずギターは下手だし、暮らしも変わらなかった。
ただ、会社から家に帰ると小説だけは読んでいた。
そのうち演劇に目覚めた。
おれは役者になりたいと思い始めていた。
このあたりのことは憶えていることが正確ではない。
記憶が前後している。
その頃、龍彦はフォーク歌手を夢見ていた。
おれは、演劇の俳優を夢見ていた。
龍彦がよく歌っていた曲は「紙飛行機」だった。
この歌をYouTubeで見つけて聴いて、涙ボロボロです。
龍彦は、21か22歳のとき焼き物に憧れ萩に行った。
萩焼の窯元に弟子入りしたのです。
そこで…、
今日は、もう眠たい。
明日も仕事です。
これは6月14日としてUPしますが、今は15日(03:25)です。
九想話としては、おれが眠るまでが14日です。
このあとの龍彦のこと、気が向いたら書きます。
龍彦の人生は、「紙飛行機」だなとおれは思っています。