映画「炎の人ゴッホ」

2013年06月24日 | 健康・病気

カーク・ダグラス主演の「炎の人ゴッホ」(1956年)を観た。
17日に軽井沢図書館で借りてきたDVDです。
軽井沢図書館のDVDコーナーは、いつ見ても「貸し出し中」の札がついている。
ここで映画のDVDを借りることは絶望的です。
17日に行ったときに、たまたまこのDVDだけ札がついていなかった。
それで私は借りてきました。

正直なところ古い映画はこうなのか、バックの音楽がうるさかった。
それでも私はがまんして映画を観ました。

25歳でゴッホは、炭坑町へ司祭として赴任する。
しかし、挫折する。
弟テオの援助で絵の勉強をする。
従妹の寡婦ケイに求婚したが拒否されてしまう。
彼女を追ってハーグへ出た彼は、
とある酒場で貧しい中年の女クリスティーナと結ばれる。
無知で、子持ちで、売春がおもな仕事とする洗濯女、
お互いに傷ついた身から生まれた愛情だったが、結果は女の無理解による破綻。
パリに行って、いろんな画家と交流する。
アルルでゴーギャンと一緒に暮らす。
ケンカしてゴーギャンが去る。
ゴッホが自分の耳を切る。
精神病院に入る。
ピストル自殺をする。
私が知っているゴッホの人生を映画はなぞってくれた。
それだけでしかなかった。

ゴッホとゴーギャンが暮らしていたときのシーンを観ていて、
私は、十九歳のとき駒込で暮らしていた高瀬荘のことを思い出した。
I さんがいつも部屋で絵を描いていた。
でもアルトリコーダーを吹いているときのほうが多かったかな?
私が会社から帰って、彼の部屋へ一升瓶を持って行きよく酒を飲んだ。
画家や小説家の話や映画や小説のいろんな話をした。
I さんといつも芸術とか文学の話をしていた。
彼の友人もいろいろ来た。
美大の学生、漫画家の卵、一流企業に勤める女性、水商売の女、種々雑多の人間がやってきた。
高瀬荘は、茨城の田舎からポッと出てきた無知な私の“大学”でした。
龍彦もその中にいた。
I さんと私の高瀬荘のあの頃を、ゴーギャンとゴッホの暮らしに思った。
ずいぶんレベルは違うのでしょうが…。

過去にゴーギャンとゴッホのことを書いた九想話です。
ゴーギャン展(2009年8月12日)
また、ゴーギャン(2009年8月19日)
ゴッホ展(2010年10月22日)

コメント
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