「うまいな。えみさんの作ったのいつまでも食べたいよ」
夕飯を食べながらわたしがいう。
「ひさしくん残してさきに死ねないね」
「あぁ…、お願いしますよ」
女房が先週の木曜日に仕事を終えてからやって来た。
中軽井沢に夜10時頃に着く高速バスだ。
わたしは、仕事をすませて11時頃に家に着く。
家に帰ると風呂が沸いていて、あり合わせのもので作ったものがあった。
次の日わたしは仕事が休みだった。
天気が悪かったので遠出はしないで軽井沢のアウトレットに行き、佐久で買い物をした。
3連休の初日だったのでアウトレットはものすごい人出だった。
女房は、スニーカーの底が磨り減ったので買いたいと探したが買わなかった。
女房が気に入ったラガーシャツがあったのでわたしに買ってくれた。
土曜日曜わたしは仕事で、家に帰るとメシができていて風呂にすぐ入れた。
息子たちが小さかった頃、所沢でこんな暮らしをしていた。
貧しかったが、仕合わせだった。
今日、彼女は東京に帰る。
今日の「増殖する俳句歳時記」は、
葱提げて急くことのなく急きゐたり 山尾玉藻
という句を、清水哲男さんが紹介している。
解説文を読んでいて、やるせない気持ちになった。
> この句からだけではこれくらいのことしか読めないが、実は作者の夫君(俳人・岡本高明氏)が
> この夏に亡くなったことを知っている読者には、この苦笑を単なる苦笑の域にとどまらせては
> おけない気持ちになる。苦笑の奥に、喪失感から来る悲哀の情が濃く浮き上がってくる。
(いい文章ですね。こんな文をわたしも書けるようになりたいです)
とろろ汁すすり泪すことのあり 岡本高明
葱雑炊なんぞに涙することも 山尾玉藻
夫婦でこんな句を詠んでいるなんて…。
わたしはぜったい女房よりさきにあっちに行きます。
食材はいただいたものが多いです。
長野の野菜はおいしいです。
女房は料理に金をかけません。
いや、かけられないのです。