トイレの話

2012年10月14日 | 健康・病気

今夜はまさしくクソ話ですね。
いや、そうじゃないんですよ。
トイレで出したものの話ではなくて…、トイレの話です。
これから食事をする方は読まないほうがいいです。

昨日、わたしは、10時50分に家を出てウォーキングをした。
11時半頃ツルヤに着いて、尿意をもよおしたのでトイレに向かって歩いていた。
わたしの後ろから小さな男の子が走ってきてトイレに入った。
幼稚園児ぐらいの子でした。
そのあとから小学生の低学年の男の子もわたしを追い抜いた。
わたしが男子トイレに入ると、2人はいた。
わたしは小便器の前に立った。
どうも小さい子がウンチをしたいようだった。
ツルヤ軽井沢店のトイレは、奥が洋式で手前が和式だった。
その奥のドアが閉まっていた。
手前のは空いている。
あとから父親と思われる男が入ってきた。
「パパ、トイレが空いてないよ」
お兄ちゃんが父親にいう。
父親は何もいわない。
わたしは用をたしているのでどのような状態かわからない。
「我慢できるか?」と父親。
「できない」と弟。
わたしは、手前のトイレのドアが開いているのだから入ればいいのにと思って用をたしていた。
でも、この子たちは和式はトイレじゃないと思っていたりして…。
しかし、このとき奥のトイレに入っていた人は気の毒だったと同情する。
事がすんでも、出るに出られない心境だと思う。
わたしがオシッコをすませて、トイレを出ると、
父親が身障者用トイレのドアを開けて子どもを入れようとしていた。
この子が入っているとき、身障者がトイレに来たらどうするんだろう。

わたしは、この親子の一連の行動のそばにいて複雑な気持ちになった。
この親子にとって和式トイレはトイレじゃないんだ。
それじゃ、ウンチがもれそうになっても和式には坐らないんだろうか。
新聞の記事に、最近の小学生は学校のトイレに行かない子が多いと書いてあった。
和式や汚いトイレなので行かないらしい。
そのことをわたしは実際に肌で感じた。
大変な世の中になったものだ。
わたしは息子たちにいっておこう。
子どもにはどんなトイレでも入れるように教育しておけ、と。

しかし、わたしの実家のトイレ、いや厠なんていうものは汚いを通り越してしまっていた。
まず、家の外にそれはあった。
家から5メートルほど離れた竹藪の中に粗末な小屋が建っていた。
胸ぐらいの高さの扉を手前に引いて中に入ると、
右手に直径3尺ぐらいの素焼きでできた便壺が埋まっている。
その上には幅が1尺、長さが3尺ちょっとの板が載っていた。
尻を拭くのは新聞紙です。
あとはこまかいことは書きません。
想像して下さい。
そんなところにわたしは高校生までお世話になっていた。
わたしは、何が厭かというと、友人が家に来ることでした。
そんな厠を友人に知られたくなかった。
ぜったい友人を家には連れて行かなかった。
この厠は、幼児のときから思春期までのわたしに絶大なる影響を与えている。
このことで、わたしの性格はかなり歪んだものになったということはないだろうか。

コメント (6)
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